闇夜の一族ヴァレンティーノ家の次期当主。
ルロウ・ヴァレンティーノの婚約者になることを提案されたシャノン。
衝撃的な提案だったが、衣食住を保証してくれることが約束された状況で、行くあてのないシャノンが断れるはずもない。
ダリアンの説明によると、正式な婚約というわけではないらしい。シャノンがヴァレンティーノ家に留まるための理由のひとつとして、暫定婚約者の立場を与えるということだった。
「ルロウ様……見世物小屋に入ってきた、あの方のことですか?」
「ああ。私の甥にあたる」
あの夜のことを思い出すと、胸がぎゅっと熱くなる。
それだけシャノンには、激烈で、神々しく、忘れられない出来事だった。
「毒素の浄化をこの目で確認しておきたいが、散々利用され魔力が枯渇したいまのお前の状態では、命を落としかねない。しばらくは安静に過ごしてくれ」
「だけど、わたしに婚約者なんて大役、どう考えても務まらないと思うのですが……」
「ああ、ヴァレンティーノの次期当主という肩書きはこの際意識しなくていい」
「そうじゃなくて……」
肩を竦めるシャノンに、それ以外に拒むのはどんな理由が? という目を向けてくるダリアン。
シャノンは説明がつかない気持ちをグッと呑み込んだ。
「婚約者として、わたしはどう振る舞えば?」
「ありのままで構わない。気品や貞淑さなど、お前に求めていないからな」
本当の理由は、毒素の浄化ができるシャノンを保護するためなのだが、公に発表するには色々と順序があるため、それを踏まえて婚約者ということにしておこうというのがダリアンの考えである。
ヴァレンティーノ家に保護され、早くも二週間が経った。
いまだシャノンは、ルロウに会えていない。
「シャノン様、本日はこちらのお召し物にしましょう」
「頭の飾りはいかがいたしましょうか。どれもお似合いなので迷ってしまいますねぇ〜」
衣食住を提供するというダリアンの言葉に嘘はなかった。
シャノンはこの二週間、手厚くもてなされ、メイド二人から恐縮するほど丁寧に扱われている。
(顔色、少しはよくなったかな……?)
二週間前、数年ぶりに見た自分の顔は酷いものだった。
目には濃い隈、頬は痩けて唇はガサガサ、血色は死人のように蒼く、よくダリアンは毅然とした態度で話してくれたなぁとシャノン自身が思うほどである。
まだ貧弱ではあるけれど、数年ぶりの安眠と体に優しい食事のおかげでかなり顔色はマシになった。
「さあ、今日もばっちり可愛くお支度が整いましたので、お食事にしましょうね」
「ありがとうございます。マリーさん、サーラさん」
お礼を言って椅子を立つ。
「シャノン様、こちらにお掴まりくださいませ」
サーラの腕に掴まり、ゆっくりと歩く。
わずかに左脚を引きずるようにして歩行するシャノンは、マリーが用意した食事の席につく。
(まだ、うまく歩けない。部屋の中で練習は続けているけど、むずかしい)
一番最初に左脚の筋を切られたのは、もう四年も前のことだ。
それから傷が癒えるたびに同じ場所を切られ続けた。万が一にもシャノンが脱走しないための対策と、逆らう意欲を削ぐための行為は、傷が塞がっても後遺症が残ってしまっている。
見世物小屋の中では歩くことも少なかったので、筋力も衰えてしまった。長く歩くにも人の手を借りないといけないことが、歯がゆくてしかたない。
(自分で、自分を癒せたらいいのに……)
癒しの力は他者にしか効果がない。
ほかの聖女ならうまく治せるのかもしれないが、教国から聖女が出ることは原則禁じられている。いまのところ後遺症のある脚とうまく付き合っていくしかない。
食事も同様、軽いものしか胃が受け付けないので、今朝もスープ皿と果物、野菜をすりおろしたジュースでお腹を満たした。
「入るぞ」
シャノンの食事が一息ついた頃、ダリアンが部屋に入ってきた。
ヴァレンティーノの当主という立場にあるため多忙なはずなのだが、必ず毎日シャノンの様子を確認するためにやってくる。
「今日はこれだけ食べられたのか」
テーブルの上にある空っぽのスープ皿とグラスを一瞥し、ダリアンはシャノンの頭を撫でる。
あきらかに年齢より下に扱われているが、不思議と嫌な気はしない。むしろ安心感すらあった。
逆らう者には容赦がないヴァレンティーノというのでもっと構えていたのだが、無条件に残忍というわけではないらしい。
「急だが、これからルロウの元に行く。ようやく顔合わせだ」
「いまから、ですか……?」
驚いて聞き返すシャノンの後ろで、マリーとサーラの戸惑う息づかいが聞こえてきた。
ダリアンは無言で頷くと、シャノンに近寄って軽々と体を抱えあげる。
「あの当主様、この格好はちょっと」
「なんだ、まだうまく歩けないんだろう。ルロウの部屋は三階の端でお前にとったらかなりの距離だ。私が運ぶほうが効率がいい」
「だけど、わたしを抱えてなんて、ほかの人に見られても大丈夫ですか?」
「披露目にちょうどいいだろう」
すまし顔で部屋を出ていこうとするダリアンに、シャノンはぎゅっとしがみつく。
唐突に部屋に残されるマリーとサーラのほうを見れば、二人は両手を組んで祈るような格好をしていた。
シャノンはずっと部屋にいた。
ダリアンが体調回復に専念させていたため、今日までこもっていたのだ。
不便は感じなかった。部屋の中は驚くほど広く、特に不自由もなかった。バルコニーに出れば外の空気も吸えるので窮屈な思いをすることなく体感ではあっという間だったのだ。
「ほら、問題なくお前の存在を知らせられただろう。後ほど正式に伝えるが、これで中庭にも出られるようになるぞ」
「……皆さん、驚きを通り越して震えていましたよ?」
ダリアンの部下からの視線は凄まじく、皆一様に幽霊でも見てしまったかのような顔をしていた。
それはシャノンという異質の存在が一番の原因だが、シャノンに対する扱いも含まれているのだろう。
「面白かったろう?」
「面白がっているの、当主様だけでしたけど……」
「はは、言うようになったな。その調子だ」
「え?」
「目が覚めた日なんて、粗末なものだったぞ。借りてきた猫のように萎縮していたな」
日が経って自分の気持ちを前よりもはっきり言えるようになったことが、ダリアンは満足のようだ。
そうこうしてるうちに三階の端までたどり着く。
人気はなくなり、静まり返った廊下にシャノンは違和感を覚えた。
「さ、ルロウはこの先だ。昨晩、帰ったと報せが入ったのだが」
「当主様……?」
扉の前に立ったダリアンは、ぴくりと片眉を動かす。
中の様子を察した様子で、ため息をこぼした。