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第2話 聖女とヴァレンティーノ家当主の提案




 嗅いだことのないあまやかな香り。

 身を包むふかふかの感触。


 シャノンはゆっくりと瞼を持ち上げた。

 数回の瞬き、オリーブ色の瞳がふるりと揺れる。


「……もう二十日以上眠りっぱなしだったが、いい頃合いに起きたな」


 わずかな物音が聞こえ、気だるい身体をゆっくりと起こす。


(これ、ベッドだ)


 シャノンは自分が寝かせられていた事実を確認しながら、視線を寝台横に移す。

 そこには二十代後半と思わしき男が悠々とした居住まいでいた。

 銀の髪と赤い目。見覚えがあると思ったら、男は見世物小屋に押し入ってきた集団の中で一番「偉い人のオーラ」が出ていた人物である。


 どうやら優雅に紅茶を嗜んでいたらしい。

 片手にティーカップを持ち、唇から離す仕草は高貴な気品すら感じられる。

 まだ頭が回っていないシャノンは、どう声をかけるべきか悩んだ。



「目覚めて早々だが、ひとつ確認がある。お前は、聖女だな?」

「っ!」


 確認というには生ぬるい、確信のある鋭い眼差し。

 シャノンは反射的に被っていた毛布を手繰り寄せる。


 気を失う前のシャノンに男は寄り添うような言葉をかけてきた。だが、目の前の人物が本当に安全な人間かどうかを知らない。

 また、この力を利用されるかもしれない。


 警戒心が働いて、身体を隠すような動きを見せるシャノンに、男はふっと口角を緩めた。


「そう警戒しないでくれ……と言っても無理だろうな。まずは、自己紹介でもしよう」


 男は近くのテーブルにティーカップを置くと、再び口を開いた。


「私は、ダリアン・ヴァレンティーノ。以後お見知りおきを、聖女」


 男――ダリアンは、とても簡潔な自己紹介を済ませて、シャノンを見据える。

 その名に聞き覚えがあったシャノンは、まじまじとダリアンを見つめた。


(ヴァレンティーノ……たしか、あの人が警戒していた。ヴァレンティーノにだけは嗅ぎつけられるなって。この人が、あの……?)


 裏で貴族や富裕層を相手に人身売買や見世物小屋を経営し、教国から逃げ出したシャノンを拾った男が、警戒を強めていた一族の名。


 闇夜の一族ヴァレンティーノ。ラーゲルレーグ帝国で伯爵位を授かる家門であり、ある特別な能力を有する血族。

 詳しくは知らないが、どうやら男が見世物小屋を経営していた場所は、ヴァレンティーノ家が管理する領地だったらしい。


「次はお前の番だ。いつまでも聖女と呼ばれては、居心地も悪いだろうしな」

「…………シャノン、です」


 素直に名乗ると、ダリアンは「ふむ」と短く頷いた。


「シャノン。お前の首裏にある刻印は、クア教国の聖女の印だと記憶している。聖女で、間違いはないな?」

「……はい」

「では、フリークショー……見世物小屋で"癒しの力"を扱い、金儲けのために労働させられてた。それも理解していたか」

「はい……」

「表向きは光属性による治癒魔法、ということになっていたようだが。治癒魔法とは比べものにならない威力、なによりも『黒花クロバナ』の毒素によって身体を脅かされていた有毒者を浄化していたという話じゃないか」

「――」


 黒花、有毒者。

 それはユストピア大陸全土が抱えている危機的問題。



 ***



 いまから数百年以上も前。

 まだユストピアが大陸国として通っていた頃、海を越えてやってきた民族によって領土戦争が勃発した。

 戦を憂いた大陸国民は、魔法の力と研究によって人体に影響を及ぼす毒素を放つ花、クロバナの種を作り出すことに成功する。


 人間のみに害を与えるクロバナは、種をまくとたちまち根を生やして土壌や川、山や森林に蔓延り、蔦は高い壁となって侵略民の進行を防いだという。

 クロバナの蔦は大地を三つに分断し、これがその後の帝国、西華国、教国となった。


 そして、クロバナによって互いの領地の行き来が不可能となり、領土戦争もなんとか終結を迎えることとなった。だが、戦は終わってもクロバナの進化は止まらなかった。


 クロバナの種を生み出した大陸国民の子孫である帝国の民は、クロバナの駆除を試みたが、どういうわけか刃や火が一切通らなかったのだ。

 人々が駆除に力を入れている間にも、クロバナは地中の魔力を糧として成長を続け、たくさんの花を咲かせ、そして毒素を放ち続けた。


 いずれ毒素が大陸中を呑み込む恐怖を前に為すすべをなくしていたとき、毒素の脅威を抑えることができる者が現れた。

 それが、帝国を故郷とする初代ヴァレンティーノ当主だ。 


 闇の魔力を有する初代ヴァレンティーノは、クロバナの毒素にも同じく闇の魔力が含まれていることを突き止めた。

 クロバナを消滅させることは不可能だったが、害のある毒素を体内に吸収することで勢いを止めることに成功したのである。


 そうして皇室は藁にもすがる思いで毒素の対応を一任し、初代ヴァレンティーノは、数十年のうちに家門を大きく広げていった。


 西華国、クア教国の無法地帯に築かれた闇使いの一族とも繋がりを深め、ヴァレンティーノ家は皇室がむやみに手を出せない家門となったのである。


 ――クロバナは、数百年が経った現在でも枯れていない。

 大陸を三つに分断した境界線で根を強め、いまも毒素を放っている。


 闇使いたちによってなんとか毒素を抑え込んでいるが、それもいつまで続くかわからない。


 だが、どの国も毒素を打ち消す奇跡を生み出せてはいない。

 だというのに、見世物小屋の少女が毒素を浄化できるなど、前代未聞のことであった。



 ***



「クア教国は癒しの力で毒素を浄化できるようになったということか……しかし、そのような報告は受けていなかったが。なにか知っていることは?」

「わかりません。わたしが教会で暮らしていたときも、癒しの力が毒素を消すとは聞いたことがありませんでした」


 相手がヴァレンティーノ家当主だとわかり、シャノンは抵抗せず知っていることは全部話すことに決めた。

 逆らう者には容赦しない残虐性のある闇夜の一家に逆らうなど、シャノンにはできっこない。


「ということは、お前が特別ということかな?」


 ダリアンの獲物を見定めるような目つきに身が竦む。

 しかし、シャノンは返答できないでいた。


(わからない。教会にいたときは、ただ公務を繰り返しおこなっていただけ。怪我人も、精神を病んだ人も平等に。そして、不浄を祓う。だけど、毒素のことは本当になにも……)


 聖女が扱う『癒しの力』は、光属性の魔力を宿す女人だけが聖女となる洗礼を受けてはじめて使える能力。中には深い古傷や病を治せるほど強い力をもった聖女もいたが、シャノンは違った。


「心当たりも……その様子じゃなさそうだな」

「わたしはただ、言われるままに見世物小屋に来た人を癒していただけです。毒素が浄化できるとわかったのも、それぐらいの時期でした」

「……ところで、なぜ聖女が教会を出るような状況になっている? あのような場所に囚われていた理由は?」


 シャノンは数年前の自分の身にあったことを話した。

 それを聞いたダリアンはぐっと眉を顰める。放つ空気からは、わずかに怒りが滲み出ていた。


「つまり、運河に飛び込み流れに流れて帝国に来たと?」

「流れ着いたのは、西華国です。そこで拾われて、帝国まで運ばれました」

「……西華国の連中とは何かと交流がある。商団として闇使いが管理する道を抜けられれば国境越えは可能だ。が、教国から西華国へはどういう原理で流れたんだろうな」


 大地と同じように、水中にもクロバナの蔦は広がり、国と国の往来を阻んでいる。

 そのため、川を流れて国境を越えたというのは事実上不可能だ。


「ごめんなさい、わかりません……もう、ずっと前の話なんです。その時のこともあんまり覚えていなくて」

「……そういや、お前。歳はいくつだ」

「15です」

「な……に?」


 ダリアンはぴしりと固まり、無言になる。

 それから小声で「多く見ても12歳やそこらだろう」とつぶやいた。


 シャノンが見世物小屋に連れて行かれたのは、いまから四年前のこと。見世物小屋の男はシャノンが反抗しないようにと最低限の食事しか与えていなかった。その最低限の食事も自分より小さな子供に分けることがしょっちゅうだったため、シャノンは実年齢よりかなり幼い見た目をしていた。


 久しく自分と同年代の少女を見ていないので、自分がどれほど平均と違うのか認識が甘いが、ダリアンの反応を見る限り相当なのだろう。


「見世物小屋の環境のせいか、それとも……クア教国の聖女はローブで姿を隠していたが、皆小柄な印象だった。もしや成熟期を……いや、それならむしろ都合が良いのかもしれない」

「?」


 少しの思案を挟んだ後、ダリアンは独り言をぶつぶつと唱える。


「お前の事情はわかった。不可解な点はあるが……教会の人間から命を狙われていたということは、そう簡単に帰国もできないだろう。とはいえ、ほかに身寄りもない」


 改めてダリアンから告げられる自分の状況に、シャノンは心細さに駆られる。

 見世物小屋が良かったわけじゃない。逃げられないように足の筋を切られたり、反抗の意思を削ぐために無意味な暴力を振るわれたりもした。

 だから絶対に戻りたいとは思わない。


 それでも、行くあてのない自分が唐突に囚われの身から解放されても、どこに向かえばいいのかわからなかった。



「…………そう、不安そうにするな。提案がある。シャノン、お前にとっても悪い話じゃないはずだ」

「提案?」

「毒素の浄化ができるお前を、我がヴァレンティーノで保護したいと考えている。衣食住は保証する。手厚い待遇もだ。他にも要望があればなんでも叶えよう。その代わり――」


 至極真面目な表情で、ダリアンは言った。




「私の義息である、次期ヴァレンティーノ当主の婚約者になってはくれないか」




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