プツリと、見えない糸が切れた。
自分の中から分身の核となる力が消えたのを、時巡優子の分身であった少女が自覚した。
砂時計の砂が溜まりきったのだ。時巡優子は如何なる理由でか、この世界から旅立った。
腰から力が抜ける。初めに感じたのは、
(……何で?)
この結果は想定したものではない。だから安堵ではなく焦燥が正しい反応だったのだが、何故だろうか。
(……うん)
状況に反して、心は異様なほど穏やかだった。時巡優子の内心について考察する。
(……大変だったもんなあ)
散々人に迷惑を掛けておいてあれだが、もうとっくに嫌になっていたのだ。生来の負けず嫌いと罪の意識が私の足を進めさせていただけだ。
でももう私には関係ないし?
本体がこれからも苦しみ続けようと、私に出来ることはない。
(……今までの分身って)
そう思うと、今まで作っていた分身が妙に過酷な環境でも働いていたのが理解できた。自分には72時間という制約があったから(それもステージ2が発現するまでだけど)、協力していたのだ。
身勝手な奴らだ。何て最低な奴らなんだろうか。親の顔が見てみたい。
「ふ、ふふふふふ」
しょうもない冗談だ。
「こんにちは、お姉さん」
「ああ、アリス。こんにちは」
音もなく、隠れ家だった筈の場所へアリスが現れた。どうやってって感じだけど、今の私なら穏やかに挨拶を返す余裕がある。
(……いや流石にそれはないわ)
冷や水をぶっかけられたように、茹っておかしくなっていた頭が締まった。おかしいだろ。何でこの場所に現れた? どうやって? 何故?
「答えが欲しい?」
アリスが内心を透かしたように問いかけた。答えは欲しいが、できれば自分で出したい。
(アリスという少女は何者か)
今更の問いだが、今だからこそ分かることもあるだろう。
まずこの隠れ家だが、私以外に知る人間は居ない。だから私の部下から情報が漏れた線はない。
ならば超能力か。アリスの能力では出来ずとも、この広い世界のどこかに私を探知できる能力者が居るかもしれない。その超能力者がアリスと出会い、何故かアリス1人が接触してきた?
(ないな、それはない)
アリスが1人で来る理由がない。それも全てが終わった後に。来るにしても私を捕らえるため有無を言わさず大勢で来るはずだ。
だからこれはアリス1人の功績だ。アリスの能力では考えられない。しかしてアリスの超能力である筈だ。能力は1人につき1つという常識がその考察に矛盾を発生させる。だがその常識を。能力が1人につき1つしかないという前提を崩した例外を1人知っている。
「能力を消失させる以外の能力を、お前は持っている。読心、じゃない。予知能力かな」
私と同じ2つの能力を持つのではないか。それが私の答えだ。
「半分、ううん。8割くらいは正解かな」
私は舌打ちした。8割なら及第点だ。諦めて答えを待つ。
「私の2つめの能力は"全知"。過去現在未来。この世界の全てを知る事が出来る」
「…………は?」
それは、何というか。ズル過ぎない?
「それでもこの場面に辿りついちゃう。全知であって全能ではないから、お姉さんの願いには負けてしまうみたい。時期は今がベストだったけど、選べたのはそれだけ」
内心を透かしたように。いや実際に知っているのだろうな。悩まし気に言った。彼女しか知る由もないが、限界はあるようだ。
しかし全知か。
「私は知らないよ。この世界の外のことは分からない」
もしかして
ホッとした。もし知っていたなら、今までの私は何だったんだという話だ。それを悟られたくはなかったが、無駄な抵抗か。
「私では解決できない。この世界では解決できない。だから砂時計で別の世界に旅立ったんだよ」
「慰め――だよねえ。うん、素直にお礼を言ってあげる」
心に残っていたしこりが解消された気分だ。私は穏やかに最期を迎えることが出来るだろう。
ただ、本体は。
本体は知らない。
どこかの世界で最後まで足掻き続けるのだろう。苦しみながら。その苦しさを否定しながら。どこまでも悪意を振りまき続けて。
それは不幸な生き方だが、今更変えることもできないだろう。
だから願わくば、とっとと正義の味方に滅ぼされますように。
「ひどいね」
「ひどいよ。それが悪役の最後に相応しいからね」
「そっちじゃないけど」
勿論、彼女が言いたいことは分かる。でもひどいのは当然だ。悪役とは身勝手なのである。
だが何にせよ、これが物語の終幕だ。黒幕気取りの悪役の勝利だ。それは何とも味気ない終わりになってしまうものだが、そういうものだと納得してほしい。
完
*
《hr》
《big》最終話「幾千の時空を巡り」《/big》
歯車とモニターがあった。
歯車の動力はモニターへ続き、モニターに映し出されるのは1人の人生。1つのモニターに対し歯車は数えきれない程あり、そのモニターもまた、限界のない空間を埋め尽くさんばかりに点在していた。
ここには生きとし生けるもの全ての生の記録があり、しかし生者はただの1人だけだった。
たった1人の生者は、血に濡れた手をそのままに1つのモニターの前に座り込んだ。
モニターに映し出されているのは、時巡愛の生涯。
姉を医療事故で亡くしたものの、周りの支えにより立ち直り看護師となった女だ。
「医者にはなれなかったかあ」
映し出された光景に、生者――時巡優子は、くすりと笑った。
時巡愛は職場で知り合った男性と交際を開始し、2年後に結婚。そのまた半年後に第一子をもうけた。その二年後には第二子、三年後には三人目まで産んでしまった。
それからは流石に自重したようで、働きつつも育児に苦労させられていた。彼女の母親も大いに育児に貢献したようだった。
そして月日は流れ、89歳。病床で家族に看取られ息を引き取った。
時巡優子は立ち上がり、別のモニターに目を向けた。
ノイズが走り、歯車の動きもぎこちない。
原因となる歯車を注意深く探っていく。
このモニターの歯車は他よりもかなり多く、原因の発見には幾分か時間が掛かってしまった。
原因の
だがそれでも構わないと、時巡優子は1人笑みを浮かべた。
*