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第19話「致命的な失敗」

「大した事ないな」


 反『コレクター』、仮に『レジスタンス』とでもしようか。それが彼らに対する感想だった。

 そもそも圧倒的に人員が足りていない。あくまで急造の組織だということだ。

 最明蓮華が属していると聞いた時は血の気が引いたが、所詮は暴力装置でしかない。


「なのに何でまだアリスが捕まってないのかなあ」


 現在アリスは『レジスタンス』に保護されている。

 動向も分かっているのだ。なのにどうしてか、アリスはのらりくらりと私の手をすり抜ける。


 小野川が答える。


「……裏切者、でしょう」

「それ」


 私は小野川を指差す。


「アリスに逃げられたのは3度目だよ。そろそろ絞り込みは済むんじゃないかな」


 逃げられるたびに、こちらも消耗しているのだ。

 少しでも時間を稼がれると、最明蓮華が現れる。その時は尻尾切りして凌ぐしかないのである。


「それは……」


 小野川が言い淀む。彼にしては珍しい、が。


「お前は今までよく働いたけど、これ以上の失敗はお前がではないのかと、判断せざるを得なくなるよ?」

「ち、違います! 『コレクター』、決してそのような事は!」


 小野川が血相を変えて言った。


「私もそう思う。だから、君に残された選択肢は2つだ」


 私は二本指を立て、片方を折り曲げる。


「現状通り、裏切者を探っていく」


 もう一本の指を折る。


「もう1つ、『レジスタンス』共を先に潰してしまう。本拠地さえ分かれば、『ミュージアム』が対処する」


 裏切者など関係ない。組織の核そのものを潰せば、それでゲームセットである。私としては後者の方が好みですらある。


「ああ、もう一つあるだろうけど。それがどんなに愚かな選択肢か、付き合いの長い君なら分かってるよね?」


 私は優しく問いかけたが、彼の顔からは血の気が引いたままだった。




  *




 時巡小太郎は新宿でその日暮らしをしている。


「ほら、あいつだよ」


 ホームレス仲間の男に礼品を渡し、俺はその男に話しかけた。


「時巡小太郎だな?」


 その男は、なるほど確かに時巡優子の面影があった。

 脂ぎってはいるが、深い黒髪。瞳の色は緑だが、目元は似ている。襤褸を纏わず、清潔にしてスーツでも着ていれば、彼女の横に並ぶ姿が目に浮かぶ。


 男は面食らっているようだった。知らない男に名前を呼ばれたら、そうもなるだろう。


「俺は時巡優子の――」


 そこまで言った所で、遮られる。「帰ってくれ」と、悲鳴のような金切り声で。

 彼は明らかに怯えていた。理由は明白だ。時巡優子という言葉で怯えていたのだから。


「落ち着いてください。俺は彼女の指示で来たわけではありません。むしろ逆です」


 自分は味方だと、ゆっくりと言い聞かせる。

 続けていくうち、彼は幾分か落ち着いてきたようだった。


(……何なんだ)


 決して外には出せない悪態を内心で呟く。

 実の娘だぞ。それがどうして、これほど怯える相手となりうるのだ。


「俺は時巡優子を調査しています。彼女の過去について、貴方に話を聞きたい」

「……」


 時巡小太郎は押し黙った。

 過去に何かがあり、今の彼を形作っているのは分かる。そしてそれが――


「貴方の奥さんの死。その時のことについて、お話して頂きたい」


 おそらくは、その時が契機であろうことも。


 彼の口を閉ざされたままだ。

 もう一つ、俺の言葉が必要だ。


 それが何か、確かな証拠はない。だが状況を踏まえれば、推測は十分できた。


 だがその言葉は、俺の心が否定する。そんなことが、彼女に限ってはありえないと告げる。


(ただの言葉だ)


 ありえない、ありえない。


「その死の真相。事故ではなく、事件の犯人を捕まえるために」


 時巡優子が、実の母親と、そのお腹にいた胎児を殺したなど。そんなことがありえて良い筈がないのだ。




  *




 当時、ただの事故として処理されたことだ。だがそれなりに話題性があると見えて、小さいながらもその記事は存在した。


『階段から転落か。妊娠女性、胎児と共に死亡』


 時巡凛明りんめい、時巡優子の母親は妊娠していたのだ。


「女の子だったよ」


 時巡小太郎が言った。


「優子……は、おとなしい子だった。夜泣きなんて一度もなかったし、成長してからも、我儘なんて聞いたことがなかった」

「ただ」


 彼は身震いした。


「時々、視線を感じるんだ。心底冷えるような、おどろおどろしい視線」

「視線の元には、いつもあの子がいた。そして決まってあの子は視線を逸らしていた」

「あれが勘違いであって欲しかった」

「契機が、妹が産まれれば」


 彼の声は震え、涙さえ流していた。

 だが、肝心なことがまだ、聞けていない。


「小太郎さん。一体、あの日に何があったのですか」


 あの日、彼の自我が限界に達した日。時巡凛明の命日。


「分からないんだ」


 その日は、何でもない日だったのだそうだ。


「全部、全部終わっていた。残っていたのは――」


 時巡小太郎は、最後絞り出すように「あれだけだ」と言った。




  *




「あ、蹴った」


 母親が微笑んでいた。


(……うん)


 意識は明瞭。最初の私の疑問は、これがという事だ。


 私、時巡優子には2つの人生がある。


 超能力のない私と、ある私。前者が真であり、後者が偽。


 しかし母親を見ても、判断がつかない。

 では然もありなん。


(はて?)


 いや、そんな事はないだろう。

 偽物の母親は、もっと不自然な感じではなかっただろうか。


 改めて母親を見る。

 彼女は膨らんだ腹を愛おしそうに撫でる。そしてこちらへ顔を向けた。


「優子ちゃんも触る?」


 だらけた顔だ。警戒心を忘れきった、久しぶりに見た母親の顔。


(記憶通り……でも)


 自分の手は、この時からこんなに大きくなかった。

 私は当時の姿ではなく、今の私の姿だったのだ。


 不自然な状況。だからこれは追憶ではなく、夢だ。


(今更、なんでこんな夢を)


 今の私はもちろん、前世の私だって、この平和な世界の延長線上には居ない。


(……だから、せめて、妹だけは。そう考えてたんだっけ)


あいちゃんもお姉ちゃん撫でてえって言ってるよ」


 半場強引に、お母さんが私の手をお腹に持っていく。


 手がめり込み、吸い込まれるように私は胎内へと落ちていった。

 視界がぐるりと回る。


 目を開けると、私は外にいた。

 公園の出入口。公園と道路の間には階段があり、あまり人通りが多くない。


(何、罪悪感でも感じてるの?)


 見下ろした先には、血に塗れた偽物の母親の姿。


 万が一ということがあったからだ。


 あの胎の中に居るのは、偽物の妹に違いない。

 だが、もし私と同じように本物だったら。


 それは本物の世界であの子が死んだということになってしまう。


 だが産まれてさえいなければ。

 この世に生を受ける前ならば、間に合うはずなのだ。


 もぞりと、女が動いた。


(糾弾でもするつもり? くだらない。もう一度殺してやるよ)


 階段を降りる。そしてどうも、想像とは違っていたことに気が付いた。


 動いていたのは、女の股。今、そこから産まれ出でようとしている者がいるのだ。そいつの髪はく――


(ああ)


 そういえば、これはだったなと、思い出した。


「『コレクター』が私と同じくらいの女の子だったなんてビックリだよ。ちょっと幻滅」


 這い出してきた見知った少女が、羊水に塗れたまま立ち上がる。


「青木霧江……!」

「会いたかったぜ、ベイベー」


 既に死んだはずの女が、私の夢に侵入していた。

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