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第18話「怒れる私」

 十字岳人が奇妙な気配を感じたのは、アパートの扉を開けた時だった。


「……」


 甘ったるい匂いと、すえた臭いが混じった嫌な臭いだ。断じて時巡ではない。扉を勢いよく開け、土足のまま踏み入る。

 男が居た。自分の家のようにくつろいでいる男は、饅頭を食べながら言った。


「この家は茶も出ないのか?」

「ああ?」


 思わず声が出た。

 若干毒気が抜かれたのは確かだが、不法侵入者なのは確かだ。何時でも重力を掛けられるよう構える。


「ああ、これお土産ね。それで茶は?」


 男は意に介さず、既に半分は男の胃に消えたであろう、饅頭の箱を差し出した。


「……誰だ、何の用だ?」


 素性も目的も不明だ。他に仲間がいないか、素早く周囲を確認する。


「だから、茶はねえのかって!?」

「出すわけないだろうが! 何なんだよお前は!?」


 男は「何だこの家は」と勝手な事を言いながら、鞄からペットボトルを取り出した。


「……」


 いっそのこと倒してしまおうかと思ったが、ぐっと堪え様子を見ることにした。


「全く、せっかく助けてやろうと思ったのに」


 助ける?


「……」

「おーおー、興味津々ってか? 俺は優しいから、お前の無礼も許してやるわ」


 男は包装紙を開け、饅頭を口に入れた。

 そのまま租借を続け話し続ける。


「お前北海道で『ミュージアム』に手ぇ出したろ。『コレクター』に完全に目ぇ付けられたぞ」


 不可抗力だった。等という言い訳は、『コレクター』は勿論この男にも通用しないのだろう。男は続けた。


「で、俺が仕入れた情報によると、『コレクター』が本格的に反乱分子を排除することにしたらしい」


 なるほどそれは大変な状況だ。


「で、お前が『コレクター』から俺を助けてくれるのか?」

「半分正解だなぁ」


 男はペットボトルのお茶を勢いよく飲み込んだ。


「俺はこれでも愛国者だ。この国を『コレクター』の好きにはさせたくない。だから戦力が必要だし、仲間を守るためならいくらでも手を貸す」


 つまり


「お前の手駒になれば助けてやるか? くだらない」

「手駒じゃねえって、仲間だよ。それにもう1つ、俺にはカードがあるんだな」


 男は写真を取り出した。

 見知らぬ男。垢の浮いた浮浪者だ。その男が何だというのだ。


「時巡小太郎。探してるんだろ、知ってるぞ、居場所」


 ……随分と、俺について調べたらしい。

 探偵も結局役に立たなかった。今の俺にとっては、自分自身の生死よりも、ある意味では関心のある情報だ。

 話が旨すぎるようにも思えるが、今は乗るべきだろう。


「分かった。俺は何をすれば良い?」

「話が早くて助かるぜ」


 そして男は立ち上がり、手を差し伸べた。


榎木えのき文太ぶんただ。長い付き合いになるだろうよ」

「十字岳人。そうならないよう努力するさ」


 握手を交わしたが、すぐに手を離した。


「おい、べたつくぞ」

「油かな? さっきバイク弄ってたんだよ」

「あぶ……! お前ふざけんなよ!」


 べたべたと辺りの物を触っていないだろうな、と注意深く周囲を見渡しながら洗面台へ向かう。

 蛇口をひねり、手を洗った。石鹸ならなんとか落ちそうだ。


「……?」


 水を止め、気がついた。水が下水道へと流れ落ちない。

 それどころか、水位が上昇している。


「おい!」


 榎木に声をかけ、大きく後退する。その瞬間水が間欠泉のように噴き出した。


「敵襲か!? 気が早えーな、おい!」


 榎木は水が噴き出したのを確認すると、躊躇なく窓を破りベランダから飛び出した。俺も続いて窓から飛び降りる。


「守るんじゃなかったのか!」

「いや流石にこれは想定外だ。あと今の俺は分身だから、戦闘力は期待しないで欲しい!」

「ああ!?」


 分身能力なら、どんなに大きく見積っても半分だ。分身能力は自身を分ける能力。


「俺は仲間に連絡してくる! 1人で頑張ってくれ!」

「そうしとけ!」


 水は今も溢れだしているようだ。ベランダからは既に滝のように流れ出ている。


(臭いはない。下水じゃないな)


 水の能力者。

 しかし下水から侵入できるとなると……。


(マンホール!)


 案の定だった。

 背後にあるマンホールが轟音を立て吹き飛び、水が溢れだす。


 自身と水に対し斥力を発生させ、水鉄砲を防ぐ。爆発したように水飛沫が周囲にたちこめた。


 霧散した水は再度集結し、人型となる。人型が口を開き、空気を震わせた。


「失敗した。失敗」


 それは紛れもなく人間の言葉だった。水の操作では収まらないその異能。


(ステージ2。厄介だな)


 しかし、何故敢えてステージの情報を漏らしたのか。単純な馬鹿なら良いが――


(……なんだ?)


 途端、周囲がぐにゃりと曲がる。歪んだ地面に立っていられない。狂った平衡感覚が吐き気をもたらす。

 これは、毒だ。おそらく水そのものが。僅かな飛沫ですら効果がある。

 十分に観察し終えただろう水の人型が再度口を開いた。


「嘘だよん。これで俺の勝ち。昇進けってーい」


 苛つき紛れに水を重力で圧し潰す。

 だが元より水なのだ。何ら効果はない。再度人型へと再生した。


 本体を倒さなければならない。それも速やかにだ。


(幸い、意識はクリアだ。敵も離れた場所には居ない筈)


 最も可能性が高いのが、マンホールの中、下水道になるか。


(近づけないがな。なら、仕方がない)


 ステージ2に上がったことにより、能力の基礎出力も上がっている。

 だから地上から下水道を潰すことすら可能だ。


 アスファルトの地面が埋没し、毒でやられていることもあって、倒れ込んでしまう。


(どうだ……!)


 水が再度集結する。


「あっぶね。でも外れだよん」

「……くそ」


 思わず悪態が漏れた。倒れ込んだ際、びしょ濡れになってしまった。それがどういう意味かは、これから嫌というほど思い知らされるだろう。


(だけど……!)


 腹に喝を入れる。膝を震わせ立ち上がる。


「諦めねえぞ……!」


 窮地でも絶望するなと北海道で教わったではないか。水に濡れたから何だというのだ。そんなに水が恐ろしいなら、皮膚が弾けるほどの斥力で吹き飛ばしてしまえば良い。

 こいつは『コレクター』の配下。悪の怪人。ならばどうしてヒーローが膝を突くというのだ。


「良い啖呵だ。仲間に申し分ない」


 肩に手を置かれる。気がついたら、としか言いようがない。隣に見知らぬ男が居た。

 男は濡れるのも構わず、俺を抱えるように肩に手を回す。


「毒……!」

「問題ない。もう終わってる」


 男が言い終えた瞬間、背後から雷鳴が響く。俺のアパート、それも隣の部屋だ。そして同時に、水の人型が霧散した。


 そして、アパートの窓から出てきたのは、水無月竜輝。


「岳人! 生きてる!?」


 どうしてお前がここに、という言葉は口から出てこなかった。

 如何せん毒が抜けたばかりで、まだ眩暈が残っているのだ。




  *




 あの場には居られないということで、休む間もなく、車に乗り込んだ。


「事情を説明すれば良いだろ」

「『コレクター』の手は警察にも及んでいるから駄目だってさ」


 竜輝が答えた。

 それが本当なら俺が想定した以上に不味い状況だが、今はひとまず脇に置いておいた。不明点が多すぎる。最も簡単に解決できそうな疑問から解消することにした。


「それで、どうしてお前がここに?」

「それは勿論岳人を助けに……って嘘々、そういう事じゃないよね」


 竜輝も、いや正確に言えば、アリスも『コレクター』に襲われたらしい。俺の時とは異なり、銃器で武装した集団だったらしいが。よくも凌げたものだ。


「うん、頑張ったよ。お陰でステージが上がったよ」


 ピースをして自慢気に言うのは、空元気だと傍目にも理解できた。


「……結局、アリスに平穏が訪れることはないのは、よく理解できたよ」


『真世界』が潰れた矢先の出来事だ。

 アリスの能力は強力無比。世界を狙う連中にとっては、何としても押さえておきたい能力なのだろう。


「それでも守るんだろう?」

「……そうだね。その通りだ」


 確かな決意を感じる言葉だった。俺も彼のように強くならねばならないだろう。


「青春してるとこ悪いけどな、そろそろ到着だ」


 先ほど俺の肩を支えていた、名前を成田なりたアンディと言うらしい男が運転席から言った。


 停まったのは住宅街にある、何の変哲もない一軒家だった。


「ここは支部だ。本部は山奥だから億劫だろ?」


 それなりに大きい組織なのだろう。


「よく帰ってきたなお前ら」


 玄関では榎木文太が出迎えていた。

 時巡小太郎について聞きたいところだが、残念ながら、今は『コレクター』について優先すべきだろう。


「早速で悪いんだが――」

「分かってる分かってる」


 榎木は手を水平に差し出し、俺の言葉を遮った。


「時巡小太郎だろ? ちゃんと教えるって、今すぐ」

「いや」

「今は写真通りホームレスしてるってよ、場所は――」

「違う! 今は『コレクター』優先だろうが!」

「ははは、榎木さんは相変わらずだね」


 竜輝が他人事のように笑った。


「岳人。今は探りを入れている最中らしいから、君の目的を優先する時間はあるよ」


 それどころか、『コレクター』についてはほとんど分かっていないと竜輝は続けた。

 俺が警察に所属していた時も、『コレクター』は謎の人物だった。あの時から大きく動いたというのに、相も変わらず謎の人物とは。


「これ言うと竜輝は怒るかもしれないけどな、今はチャンスなんだってよ」


 成田は続けた。


「アリスには『コレクター』もご執心らしい。彼の手駒は銃を所持していたが、あれは足がつきやすい。取引先の特定ももう完了した。『コレクター』の喉元までそう遠くない」


 朗報と言えば朗報だが、それはつまりアリスを囮にするということだろう。

 竜輝を盗み見る。彼に変わった様子はない。


(意外だな。そういう判断ができるのか)


 俺には、できるだろうか。少し前なら迷うことなく頷いただろうが。


「何で俺を無視して話進めちゃうかなあ」


 榎木は特に気にした風もなくぼやき、続けて言った。


「岳人ぉ、お前はとっとと心残り無くして来い。この支部には他に何人かいるが、顔合わせは別に後でも良いだろ」


 本当に、今はやるべきことはないらしい。ならば厚意には甘えておこうと話に耳を傾けた。




  *




 岳人襲撃の数日前のことである。


「あのさあ、この作戦は失敗できないって言ったよね?」


 正座したアホに向かって言った。


「……」

「何黙ってんだ殺すぞ」


 アホは何かよく分からない鳴き声を垂れ流した。


「はぁーーーーーー……」


 いや、落ち着け私。

 アリスの排除に失敗したのは、まあ、何となくそんな事になる気はしていた。

 勿論必要な戦力は揃えたし、細心の注意を払って寝込みを襲ったのだ。


 それが何故かいつもは眠っている筈の深夜2時にも起きていて、しかも前情報になく水無月家の両親が家を出ていた。しかもしかも竜輝が銃に有利なステージ2に開花して、しかもしかもしかもしかも! この馬鹿は部下を置いて逃げたのだ。何の! 隠蔽もなく!




 落ち着いて私。


(……後半部分はイレギュラーとカスが悪いが、前半はどういうことだ?)


 完全にこちらの襲撃を読まれたということになる。


 裏切者。青木霧江は始末した。だが他にもいるのだろう。


(炙り出すしかないか。そのためにも、盤上を動かす必要がありそうだ)


『ミュージアム警備員』の選出。裏切者の炙り出し。そしてアリスの確保。急にやるべきことが増えた気がする。


(計画を早めた弊害か。仕方がない)


 これも全て、あの子の平穏のためだと思えば、まだまだ頑張れると思えた。

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