超能力発生装置。
それがあの工場で生産されていた物の正体で、『真世界』の切り札であることは疑いようがなかった。
現物と設計図、そして設計者まで押さえたのだ。当然私たちにも、設備さえ整えればこの装置の生産が可能だ。
自社の工場を改造すれば、およそ一月で生産可能になるとのことだ。
ただあの工場自体は警察に押さえられてしまっている。つまり彼らもその気になれば使えてしまうのが懸念点だったが、装置の仕組みを知ればそれが問題ないことが分かった。
装置には人間の脳から脊髄までが必要なのだ。
つまり人体を改造し、その人の超能力を、他者が使えるようにしているということだ。
倫理的に大きな問題があり、政府関係者がこれを生産どころか使用することさえ現実的ではない。
私は希少な能力を集める『コレクター』だったが、これを知ってからは、希少でなくとも汎用性の高い能力者を収集し始めたのは当然の帰結だった。
そして『コレクター』の名が、大衆にとって恐怖の代名詞として知れ渡ったことも。自明の理だったのである。
だがそうなってしまうのは、闘技大会決勝戦、そこでの戦いが終わった後での話である。
*
さび付いて、所々に穴の開いた階段を登る。
私は(勝手に作った)合鍵を鍵穴に差し込み、何度も感じた錠の動く感覚を楽しむ。
「入るよ、岳人」
定期的に掃除しているので、別段汚れてはいない。
それでも暮らしていればゴミは出る。それを片付けながら、窓際に座る彼を盗み見る。
彼はぼんやりと空を見上げていた。
闘技大会から失踪した日、工場を襲撃してから彼はずっと上の空だ。
理由は分かっている。岳人と協力していたらしい零次が、現場で殺されたからだ。
下手人は、私の部下か『真世界』の連中か、分からない。私の部下は態々目撃者を排除した等という報告はしないし、『真世界』の連中ならば尚の事不明だ。
彼がこのまま折れたままだとは思わない。時間が経てば、彼も心の整理を終えて、牙を研ぎ直す筈だ。
掃除を終え、窓際にいる岳人の隣に座る。
「……」
特に話す気はない。
ここに来始めてから数日、彼と交わした言葉はほとんどない。
昼間にぶらりと来て、夕方になったら帰る。その繰り返しだ。
「時巡は」
そして、どういった訳か、彼が口を開いた。
私はまだ返事をしない。彼の言葉を待つ。
「自分の目的に他人を巻き込めるか?」
彼は、私が岳人の事情を知っている前提で話しているのだろう。そして私がどう考えているかも。
「岳人」
私は彼の手を握った。
今の岳人は弱りきっており、きっと彼の望む答えを言えば、私にとって都合が良い駒が手に入るように思えた。
でも――
「岳人、自分の戦う理由を、私に決めさせないで」
そこで私が答えれば、彼に逃げ道を用意してしまえば、その程度の人間になってしまう。
だから、なんというか、答えは彼自身に決めて欲しかったのだ。
それは苦しいことだ。厳しい決断だ。でも、自分自身の心で決意してこそ、戦い抜くことが出来る。……私はそう信じている。
「ねえ、岳人はどうして戦うの?」
*
「ねえ、岳人はどうして戦うの?」
時巡の紅い瞳が、俺の心を射抜く。
俺は楽になりたかった。
時巡なら、俺の理想の答えを返してくれると思った。
何者にも縛られない、復讐を果たすだけの機械になってしまいたかったのだ。
なのに時巡は、答えてはくれなかった。
「岳人」
時巡が俺の手を握る。
不思議と、心が落ち着いた。俺は何の憂いもなく、過去に思いを巡らせる。
かつて俺は『真世界』の起こしたテロにより、家族を失った。
俺から家族を奪った『真世界』を滅ぼすと、そう決意したのだ。
『本当に?』
「……ッ!」
時巡が発したわけではない。彼女は紅い瞳を向けるだけで、口を開いていない。
ただの幻聴。
だからきっと、これは俺自身の言葉なのだ。
(違う、のか?)
俺は更に深く潜り込む。
かつて捨てた筈だった、家族と過ごした日々。
既に失われ、絶対に戻ることのない日常。
動悸が激しくなる。意識が遠のく。五感が失われていくようだ。
だが、温かい熱だけは、乗せられた手のひらから伝わり続ける。
その熱を頼りに、意識の奥底にあった、家族の記憶を掬い出す。
しわくちゃになったそれを、丁寧に、丁寧に広げていく。
駅近くに建てられたマンション。
俺はエントランスに入り、自動ロックを解除する。
自動ドアが開き、目の前にはエレベーターがある。
俺は一階に止まっていたエレベーターに滑り込み、階層を示すボタンを眺める。
……何階だっただろうか。
俺は何気なくポケットを漁り、硬いものに触れた。
鍵だ。502号室を示す鍵。それが、かつての俺の家だったのだ。
俺は5階を押す。僅かな浮遊感と、振動。エレベーターが止まった。
部屋はすぐそこだ。
俺は鍵穴に鍵を差し込んだ。引っ掛かりもなく、鍵が回る。
俺は扉を開けた。
『お兄ちゃんおかえりー!』
「……ッ!」
気がついたら、俺は元のボロアパートに戻っていた。
シャツが汗で張り付く不快感。夏はとうに過ぎたというのに、俺は全身から汗を吹き出していた。
「岳人」
時巡が、俺の汗など意に介さず抱き着く。
さわやかなミントの香りが、俺の鼻腔を満たす。
少しずつ、動悸が収まっていく。
「俺には、妹がいたんだ」
言葉が自然と漏れた。
「俺は、守れなかった。兄貴なのに、守ってやれなかったんだ」
時巡を強く抱きしめる。
彼女も、力を強めた。
俺は言葉を止められなかった。
意思を介さず、勝手に吐き出されるのだ。
「目の前に居たのに、俺には何もできなかった」
あの日、俺達はデパートに出かけていた。
「
子供の小遣いでは、大した物は買えない。
だからその時の俺は、居た堪れない気持ちで、少しだけ家族と離れた場所にいた。
「
その時、
『お兄ちゃん、あのね、ツバキ』
「建物が、倒壊して」
『ツバキ、これが欲しいの』
「親は、一瞬で見えなくなったけど」
『こんなのが欲しいのかよ、どうせならもっと高いのにしろよ』
「
『ううん、ツバキ、これがいい!』
「
『こんな人形の何がいいんだか』
「俺は、
『だって、お兄ちゃんみたいなんだもん』
「だから、俺はその事件を起こした『真世界』に」
『どこが?』
「復讐を、誓ったんだ」
『だって、お兄ちゃんはヒーローだもん!』
そう言って、
「……俺は」
「目の前に居たのに、俺には何もできなかった」
『ねえ、お兄ちゃん』
俺はどうしようもなく取り乱していて、でも何も出来なかった。何かを言おうとしている妹の、最期の言葉にすら、耳を傾ける余裕もなかった。
『お兄ちゃんは』
だから、これは俺が捏造した記憶かもしれない。
『お兄ちゃんは、ツバキのヒーローだから』
「俺は、」
喉はカラカラだった。
全身の水分を汗やら涙やらで流し尽くしてしまったのだろう。
抱きしめてくれた時巡から身を起こす。
彼女は微笑を浮かべ、俺を見つめている。
「俺は、『真世界』を許せない」
それは偽りざる俺の気持ちだ。
どうして家族を奪った『真世界』を許せよう。
それでも――
「俺は、
それが俺が記憶の底に沈めていた、決して変わることのない真実である。
「岳人は」
時巡が言った。
その声は穏やかで、まるで俺を包み込むように思われた。
「正しい道を進み、その目的を目指すんだね」
「――――ああ」
俺は万感の思いを、その一言に込めた。
時巡は一転して、凍えるような平坦な声で言った。
「零次はもう戻らないよ。君に正道を歩む資格はあるのかな」
「……分からない」
零次は俺のせいで死んだのだと、時巡は改めて突きつける。
俺はその答えを持っていない。
「それでも俺は、正しい道を模索し続ける」
例え既に正道から外れてしまったとしても、道なき道を掻き分け、必ずや正しい道へと合流してみせる。
「例え誰が何を言おうと、零次があの世から非難してこようと、これだけは譲れない」
それが俺の決意だ。
時巡はしかし、また一転してクスクスと笑いながら言った。
「岳人の決意は理解したよ。でもね、零次はきっと責めないよ」
時巡は決して適当なことを言っているのではないと、(これは俺の願望が混ざっているのかもしれないが)そう思える調子で言った。
「死者はね、意外と自分よりも、生者の心配をしているものだから」
時巡は立ち上がり、そのまま玄関へと向かった。
そして俺が何か気の利いたことを言う前に靴を履き終えると、こちらに振り返り言った。
「明日は闘技大会決勝だ。お互い棄権しちゃったけど、それだけは一緒に見に行こうね」
俺は「ああ」と短く答えた。
時巡には迷惑をかけた。棄権していたのも初耳で、自惚れでなければ、きっと俺のせいなのだろう。
だからではないが。
「また明日」
「ああ、また明日」
寂しげに見えるその笑顔が、幸せで満開になる様を見たいと思った。
それはこの世の誰よりも、素敵な笑顔になるだろうから。