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第6話「夏休みの選択肢」

 夏休み。

 学生ならひと月もの間、羽を伸ばす期間だが、働き者の私たちには関係のない話だった。


 歓楽街のとあるビルにて、相も変わらず私は報告を聞いていた。


「随分と、派手に動いたね」

「ええ、いい迷惑です。我々も動きづらくなりました」


 街の景観に全くそぐわない喪服のようなスーツに、サングラスを掛けた男、『真世界』対策チームの代表、小野川が同意を示した。


『真世界』の馬鹿どもは大きく動いたのだ。


 ファミレス立てこもり事件。

 一見何の関係もないその事件で犯人はあるメッセージを報道に乗せた。


『ハートのクイーンはお怒りだ。でも、ギロチン送りはお前じゃない』


 不思議の国のアリスがモチーフか。

 しかし何とも分かりやすい脅迫だ。そのファミレスでは、水無月竜輝の友人がバイトをしていたのだから。


「しかも水無月竜輝が解決しちゃったものね。少し調べればアリスに辿り着いちゃうものね」

「ええ、しかし我々の介入が知られる方が問題だ。情報操作も控えています。よろしかったですね?」

「うん、それで良いよ。警察関係の動きはどうかな」

「彼らものようです。『真世界』に手を焼いているのは彼らも同じですから」


 3勢力に監視されて、水無月家可哀そう。

 しかもその内の1つは積極的に害して来るのだ。かわいそ。


「今回の犯人はどうやら使い捨てのようでしたが、一応留置所を襲撃しておきますか?」

「いやあ、そこまではやらなくて良いよ。過去接触したやつは?」

「取り調べによると、記憶操作の疑いが濃いようです。本人から得られるものはなく、どうにも元より所業も悪いようで、接触者を絞りきれません」

「そ、流石に向こうも対策してるか。膠着状態になりそうだね」


 小野川が退室した後、この件に岳人も関わっているのだろうかと、ふと疑問に思った。


(犯人は能力を使用していなかったから、彼の管轄じゃない。裏に『真世界』がいることに気がついていれば首を突っ込むだろうけど)


 リークさせるのも手かもしれない。

 彼は復讐者だ。事態をひっかきまわして、膠着状態を解消してくれるかも。


(まあ、それは膠着状態になってからだ。きっと彼にも夏休みは必要でしょう)


 時計を見る。

 時刻は11時30分。プールで遊んでいる本体が、そろそろ昼食を取ろうとしている時間だろう。


 私は隣室に居る真希絵を呼んで言った。


「真希絵、今日は寿司食べよう。出前頼んどいて」


 真希絵が大げさに喜声を上げた。

 どうだ。プールで寿司は食えんだろう本体め。




 *




 分身の一体が大トロを食べている時、私は湿った椅子に座りラーメンを食べていた。


「どしたの?」

「いや、ラーメンだなあって」

「うん、見るからに普通の醤油ラーメンだね?」


 華は不思議そうに答えた。

 私は分身と味覚と嗅覚の共有はされていない。目と耳だけだ。

 この場合、それが幸運だったのかは判断に迷うところだった。


 対面でオムライスを食べている岳人を見る。


(特に変わった様子はないし、やっぱり『真世界』の動きは掴んでないか)


 彼は私の視線に何を勘違いしたのか言った。


「……やらないぞ。欲しいなら自分で頼め」


 私そんなに物欲しそうだった?

 でも敢えて私はこう言った。


「えー、良いじゃん一口ちょーだい」


 身を乗り出して口を開ける。


「俺はやらないと言った」

「良いじゃないか岳人。一口くらい」

「そうだよあげなよ岳人」


 零次と華、2人の援護のかいもなく、岳人は決してオムライスを私の口には運ばなかった。




 *




 夕日がアスファルトを紅く染める。

 大地に沈みゆく太陽が、2つ並んだ影を大きく引き伸ばしていた。


 私は一歩大きく進み、太陽を背にして岳人へと振り返った。


「今日は楽しかった?」


 私たちの家は歩いていける距離だ。

 駅からの帰路は必然2人きりになる。


 岳人は苦そうな顔をした。

 特に返答はなかったが、それで十分私には伝わった。


「そ、良かった」


 私は再度半回転し、彼の隣に並ぶ。


「ねえ、岳人」


 私は言った。


「憎しみは、まだ消えてないかな?」


 彼の歩みが止まる。

 私は少し先行し、また半回転。彼に向き直った。


 彼はたっぷりと時間をかけて言った。


「お前は、何なんだ?」


 私は「今は秘密」と答えた。


『真世界』との闘争。

 本部の分身はあくまで慎重に振舞う方針のようだが、私は違う。


 待つのは嫌いだ。だから間接的にではなく、直接、彼に発破をかける。


「貴方が知りたいのは、私のこと? それとも」


 そこで言葉を切る。

 もしも、もしも彼が復讐ではなく、私の正体を優先するなら、それで良い。

 正体を明かす気は更々ないから、今まで通り、疑惑と共に友情を育むだけだ。


 果たして岳人は――


「知っているのか?」


 ――彼は、復讐を選んだ。


「『ハートのクイーンはお怒りだ。でも、ギロチン送りはお前じゃない』」


 彼は踵を返した。

 家に帰るのは取り止めらしい。


 私はその背中を眺め続けていた。




 *




 異能取締課へと赴いた岳人は所長に足止めを喰らっていた。


「今日は残念ながら閉店時間だ。明日来い」


 有無を言わせぬ口調だった。

 口調と同じく、ドアの前から彼は一切動かない。


 これは梃子でも動かないだろう。

 調べごとは多岐にわたる。用事はこの部屋だけではない。そういうことなら、彼が帰った後にまた来るだけだ。


 ならば留置所に行くか。

 多少怪しまれるだろうが、件の立てこもり犯はまだあそこに居る筈だ。


 踵を返すと、肩を掴まれた。

 努めて冷静を振舞い、所長へ向き直る。


「何でしょうか」

「まあ待てよ。閉店時間だが、コーヒーぐらいは出せる」


 頭の中に天秤を浮かべる。

 ここで逆らい留置所へ行くか、コーヒーを飲み部屋での目的を達成するかだ。


 目的コーヒーに傾いた。

 実のところ、比べるまでもないことだ。俺の権利は全てこの人が握っているのだから。


(……冷静になれ、俺)


 自分に言い聞かせる。


「ま、とりあえず座れよ」

「……はい」


 適当な椅子に座り、ユリさんからコーヒーを手渡される。

 ちょうど入れている最中だったのだろう。コーヒーはかなり熱かった。


 俺は覚悟を決めて、一息で飲んだ。

 喉が、次いで胃が焼けるように熱い。


「あ、お前。インスタントとはいえな、もっと味わって飲めよ」


 所長が言うが、知ったことではない。


 俺は立ち上がり、めまいと共に再び椅子に倒れ込んだ。


「……こ、これ、は」

「悪いな。睡眠薬だ。お前には休息が必要みたいだしな」


 やられた。

 しかも、ただ眠らせるわけではない筈だ。


 うちには眠った相手に自白させる能力者がいる。


「……く、そ…………」


 眠りには抗えず、俺の意識は落ちた。




 *




 眠りについた十字岳人の額に、恰幅の良い女性が手のひらを乗せた。


 彼女の手からエネルギーが岳人の脳内に流れるのを確認しながら、異能取締課所長の高橋次郎は言った。


「ユリさん、やっぱ優子ちゃんが原因だと思う?」

「だろうね。情報源そこしかない筈だし」


 時巡優子については、4月の時点で上層部から連絡があった。


 曰く『時巡優子への、十字岳人以外の接触を禁じる』だ。

 当然物申したが、有無を言わせぬ調子だった。


 岳人にとっても良い影響を及ぼしていると判断したからその場は引き下がったが、この様子ではもう一度挑むべきだろう。


「終わりましたよ、高橋さん」

「お、もうか。流石速いですね」

「ええ、依頼通り今日1日の記憶ですが」


 そして彼女の語った1日の最後、時巡優子に岳人が言われた言葉が問題だった。


「なるほどねえ、知らされちゃった訳か」

「その言い方、私にも黙ってたね所長」


 ユリさんには悪いが、秘密を知る人間は少ないほうが良い。


『真世界』の存在が岳人を暴走させることは明白だった。

 同じく理解しているであろう、時巡優子が敢えて知らせた意図はなんだ。


(正体が分からないんじゃ、予想も意味ないか。嫌だねえ、身内を疑うなんて)


「ユリさん、岳人のフォローよろしくね」

「はいはい、子供の面倒を見るのは年長者の役目だしね」


『真世界』そして時巡優子。

 その両者が動く前に、真相だけははっきりさせたいものだ。


 半場玉砕覚悟で別室――別名敵地へと足を運ぶのだった。

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