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告げられた訃音










翌日、八月十日。


京、島原の街は騒然としていた。夜の賑わいから一変、路地裏にて死体が発見されたからだ。


男の名は佐伯又三郎。壬生村に居を構える壬生浪士組の一員で、彼らが捜索し続けていた男でもあった。


この知らせは、壬生浪士組の下にも直ぐに届けられる事になる。





――壬生村、前川邸。


ドタドタと響く足音。屯所内は走り回る事を禁じられているのだが、この青年にはそれも通じない。



「ひーじーかーたー、さぁぁあんっ!!」



青年が断りもなく、勢い良く開いた障子戸の先に居たのは長身の美丈夫だった。不機嫌そうに眉間に皺を刻むと、青年をジロリと睨み付ける。



「朝っぱらから、うるっせぇぞ総司。一体、何だってんだ」


「佐伯さんが見つかったそうですよ。島原で」


「何だと?」



男性の目が鋭くなる。それに青年は笑みを溢すと、男性に一通の文を手渡した。



「残念ながら、生きてはいませんけどねぇ」



文は佐伯を監視していた浪士組の一人、斎藤からのものだった。


男性は青年から文を受け取ると、素早くそれに目を通していく。



「……成程な。下手人は分かってねぇのか」



斎藤からの文には、宿に居た佐伯が逃げていた事。人気のない路地で誰かと話していた事など、記されていた。


だか、そのどれもが犯行に繋がるものではない。情報の一つとして考えるしかないようだ。



「ええ、目撃者もいないそうなんで。巷では“彼”の犯行ではないかと、噂になっているそうですよ」


「奴か……」



文から目を離し、男性は胡座を掻き直すと徐に腕を組んだ。


二人が言う彼と奴は同じ人物を指す。現在、京で暗躍する人斬りの事である。


佐幕派、倒幕派に関係なく剣を奮い、彼は毎夜京に血の雨を降らせていた。派手な殺害方法の割に、誰も姿を見た事がなく実在するのかさえ疑われる程だ。


彼の者は、畏怖を込めて紅雨こううと呼ばれていた――。



「紅の雨、か。普通は花が散る様を例える言葉なのに、可笑しいですよねぇ。彼は、そんなに鮮やかに斬るんでしょうか」



笑みを溢す青年の瞳は笑っていなかった。獲物を射るように鋭く、ギラギラさせている。


それに男性は微かに眉を動かすと、青年を見据えた。



「総司、勝手に動くなよ」


「ええぇぇぇ!!」



総司と呼ばれた青年は、不服そうに声を上げる。


その態度から、男性が制止しなければ探索に乗り出す気満々だった事が窺える。


つまらない、と言わんばかりの態度を見せる青年に男性は、舌打ちを鳴らした。



「紅雨なんぞに、今は構ってらんねぇんだよ。目の前の問題を片付けてから言いやがれ」


「問題? ああ、佐伯さんの件ですか」



紅雨は夜に暗躍する人斬りだ。だが、民衆を襲う事は絶対にない。佐幕派、倒幕派、各藩から流れてきた浪人達など、名のある奴に手を下す。


それは、この壬生浪士組でも例外ではない。


しかし、佐伯は壬生浪士組の者として殺されたというよりは別のものとして殺害された可能性が高かった。



「やはり――佐伯は黒、か」


「毎夜、血臭を漂わせて帰ってきてましたからねぇ。あれを、花街帰りだなんて法螺も良いとこです」



頭を振り、溜め息を吐く青年は呆れたような表情を見せる。


そんな青年とは違い、男性は腕を組んだまま思考を続けていた。暫くして、口端が緩く吊り上がる。



「何か、良い案でも浮かびましたか? 歳さん」


「……おい、此処では、土方と呼べっつってんだろうが」


「あは、そうでしたね。土方さん」



青年と男性は江戸に居た頃からの長い付き合いだ。だからこそ、言葉一つでその日の気分がよく分かる。


昔の呼び名を口にした途端、男性の眉間に皺が刻まれた。場を和ますようわざと読んだというのに、男性には効果は然程なかったようだ。


笑みを浮かべ、青年――沖田総司は座敷の壁に寄り掛かった。ギシリ、と柱が軋む音が響き男性が沖田へ視線を向ける。



「で? 新見さんをどうするつもりですか? 斬っちゃいます?」



沖田の問いに男性――土方歳三は小さく息を吐いた。目線を戻すと、懐にしまっていた煙管を取り出し素早く煙草を詰めていく。


口を開けば、斬るだの叩き潰すなどと、物騒な事しか言わない。こんなにも血に慣れてしまった沖田の態度も、土方を悩ませていた。



「……先ずは動きを封じる。佐伯を壬生浪士組に迎え入れたのは、新見だ。その責任を取って、局長の座から降りてもらう」



現在、壬生浪士組には三人の局長がいる。筆頭局長の芹沢に続き、芹沢派の新見。そして、残る一人が試衛館一派の土方だ。


組の方針に従い、それぞれの範囲内で活動をしていたが、芹沢派の行動は酷く目に余るものがあった。


中でも、新見の態度は身内から見ても酷く思える。芹沢の腰巾着という立場を利用して、花街でも派手に遊んでいるらしい。


切り捨てるならば、彼からと土方は密かに決めていた。


そんな中、飛び込んできた佐伯の死と間者疑惑。

本人に確認こそ出来なかったが、佐々木を殺害したのも佐伯で間違いない。


またとない機会。浪士組を一つに纏めたいと目論む土方が手を下さない訳がなかった。



「ふむふむ、成程成程。しかし、芹沢さんが快諾しますかね? いつものように、鉄扇振り回してきたらどうするんです?」


「それはねえな」



間髪入れず断言する土方に、沖田は目をしばたたかせた。土方はそんな沖田の態度を視界に入れた後、煙管に火を付け、それを口に咥える。



「芹沢がな、新見を見限り始めてんじゃねぇかと思う節が多々あんだ。よく芹沢と行動を共にしてるお前ぇも、心当たりあんじゃねぇのか?」


「……ああ。まあ、ないとは言えませんね」



土方の言葉に、沖田はへらりと笑みを溢した。



「私から言わせれば、互いに利用しているように見えますよ。まあ、扱いが上手いのは新見さんではく、芹沢さんなんですけどね」



互いを利用して日々を生きている。新見と芹沢、二人の間にもはや主従関係等はない。


土方の私見だが、恐らく芹沢も、新見や佐伯の内情を把握していたのではないか。だからこそ、手元に置き自由に行動させていたのかもしれない。


だとしても、些か腑に落ちない点があるのも事実で納得出来る処置とは言えなかった。


頭が痛くなる思考を振り払うように、土方は煙管を何度か吸うと重い腰を上げる。



「……チッ、考えても埒が明かねぇ。おい、芹沢達は八木邸か?」


「ええ、稽古に励んでいる野口さん以外は朝飯食べてると思いますよ」



煙管の灰を落とし、立ち上がった土方に沖田は笑顔を見せる。それは酷く意味深な笑みだった。


それに気付いた土方は、部屋に出る前に一度だけ振り返る。



「……言っておくが、佐伯の遺体処理も斎藤に任せてあるからな。てめえは、屯所で大人しくしてろ」


「ちぇっ!」



沖田の行動は完全に読まれていたようだ。暗に外出禁止を言い渡された沖田は、去って行く土方に向かって聞こえない程度の暴言を吐く。



「土方さんのばーか。女誑し、色情魔、豊玉師匠ー!」



耳が良い土方の事だから聞こえているだろう。ドタドタと、足音が強くなっている事が何よりの証拠だった。



「でも、出るなって言われると、行きたくなるのが人の性ですよねぇ」



主の居なくなった部屋にゴロリと寝転んでいた沖田は、ある事を思い付きその場から勢い良く飛び起きた。


そしてそのまま、部屋の押入れへと歩いていく。押入れの戸を開けると畳んである布団の中へ手を突っ込んだ。



「昔から歳さんは、こういう場所に隠してる事が多いんですよ……、ねっ!」



引き抜いた沖田の手にあったのは漆黒の巾着。土方が財布代わりに使用しているものだった。


中にある金子を一枚手に取り、沖田は巾着を元の場所に戻す。全部持っていかないのは露見するのを少しでも遅らせる為だ。



「さーて、久々に甘味を堪能しに行きましょうかね。歳さんの奢りですし!」



どう見ても窃盗なのだが、沖田の中では土方に金子を頂いたという解釈になっている。


歳も近く、よく共に居る事が多い藤堂がいたら、必死で止めていただろうが今日は残念な事に外出している。沖田の行動を咎める者は今のところ見当たらない。


これ幸いとばかりに、沖田は足早に土方の私室から出て行く。


途中、井上に擦れ違うが出掛けてくると言えば、気をつけて行っておいでと見送ってくれた。


駆け足になりそうな気分をグッと堪え、屯所の門を潜る。振り返れば、土方の怒号が聞こえた気がして思わず笑みが綻ぶが、そんな事をしてる暇はないとその場から駆け出した。


芹沢派は確かに八木邸にいるだろう。だが、確実に居るという確証はない。野口と平間が屯所にいる事は確認しているが、芹沢や新見は八木邸に居ない可能性の方が高かった。



「……そういや、芹沢さん。島原に行くとか言ってましたっけ……」



昨夜の会話を思い出し、沖田は畦道を歩きながらポツリと呟く。


土方は佐伯の件も含め、相当苛立っていた。芹沢にガツンと言える機会を狙っていただけに、彼等の不在は土方の怒りを増すだけだ。



「……ま、いっか」



沖田の中には引き返すという選択肢すら、既になかった。屯所に戻るという事は即ち、土方の怒りを全て自分が引き受けなければならない。


そんなの真っ平御免である。


沖田は小さく息を吐いた後、軽やかに市中へと向かって行った。




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