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第6話-話したのは僕だった


 おもむろに、峰は自分のハンカチを差し出してきた。その仕草に、余計に涙が溢れてくる。必死に声を押さえていると「今周り誰もいないぞ」と、峰はいつものようにさらりと言った。そのせいで、なお止まらなくなる。

 数十分、嗚咽を漏らしながら泣いていると不意に止まった。その様子を見て、峰は溜め息を吐く。


「あるよな、泣くだけ泣いたら急にスンッてなるやつ」

「そ、そうなんですか」

「あー……お前さては家で『泣くな』って言われて強制的に涙を止めてたタイプだろ」

「……全部、分かってるんですね」

「全部予測だっつの」


 なんとか、まともに話せるようになってきた。そうなると、もう……言葉は、定まりだしていた。


「うちの父、僕が生まれた瞬間に出ていったらしいんです」


 唐突な切り出しでも、峰は何も言わなかった。ただ、千尋を見ている。


「母が探偵か何か雇ったらしくて、それで調べたらしいんです……出ていった、原因を。女、だったらしくて」

「不倫ってことか」

「それも、何人も」


 峰は、「そうか」としか言わなかった。その事実で、何か感情が揺らいだといった感覚はないらしい。


「そこから母は、自分以外の女が大嫌いになったらしくて。とくに、父と関係があった女に似ている女を見ると……動悸とか止まらなくなるみたいで」

「トラウマになったわけか。父親は結局どうなったんだ」

「結局母と思い切り裁判でやりあって、かなりの慰謝料を払ったみたいです。僕は会ったことないですけど……写真をこっそり見て、その時は入院するまで殴られました」


 思えば、あの時が一番ひどい怪我だった気がする。もちろん病院は原因を究明しようと遙に詰め寄ったようだが、彼女はどうにかしらばっくれていたようだった。千尋自身、話せばどうなるか幼いながらに勘づいていたので何も言えなかった。


「不倫相手と似てる顔の女、ねぇ」

「……僕も、似てるらしいんです。しかも、父と再婚した女と。もちろん、他人の空似なんですけど」


 それで全てを察したのか、峰は「あー」と声を漏らした。

 遙と千尋は、似ていない。だからこそ、他の女との方が似ていることが……どうしようもなく、気に食わないのだろう。


「僕を見るだけで、母は苦しいそうなんです。だから、僕を苦しめたくて仕方ないらしいんです」

「その割には放逐しないんだな」


 あまりにもさらりと言うので、思わず「ふ、」と笑いが漏れてしまう。思えば、この一週間まともに笑えていなかった。


「女手一つでまともに育てた、っていう証が欲しいみたいです。それが一番の仕返しになるみたいで」


 結局どこまでも、遙にとって千尋は「不潔なあの男の息子」であり「憎い女になぜか似ている男」なのだろう。だからこそ、徹底的なのだ。

 峰はメモするわけでもなく、ただ聞いているだけのようだった。まるで、雑談をしている感覚なのだろうか。


「多分だけど、あの母親お前の進学に反対だよな」


 頷く。その理由も、分かっている。


「僕に似ている女が、当時女子大生だったらしいんです」


 峰もまた、「は、」と笑いを漏らした。いつも淡々としている彼がそんな風に笑うのを初めて見たせいか、一瞬時が止まった感覚がした。


(この人、笑うとそんな顔になるんだ)


 千尋の心とは裏腹に、峰は改めて表情を消した。真面目な目で、千尋を見る。


「なあ、お前は進学したいのか」

「え」


 唐突な問いだったせいで、一瞬言葉に詰まった。そんな千尋に、峰は畳み掛ける。


「たとえば、母親が急に死んだとする」

「し、死って……」

「たとえばの話だよ。そうすればお前は自由だ、何やってもいい。そうなったらどうする」


 遙の死に顔を、想像する。どうやって死ぬのだろう。自分に刺されてか、それとも急病でか、もしくは……恨みを抱えたまま、自ら。

 そこまで考えて、慌てて首を振った。そして、呟く。


「……正直、分からないです。考えたこともなかったというか」

「考えるって選択肢がなかった、か」


 頷くと、峰は「じゃあこれからだな」と口にした。わけがわからず彼を見ると、目を穏やかに緩めていた。


「もちろん本心から行く気がないなら俺は何も言わないさ、でもこれからそれを考えるってなら話は別だ」

「先生?」

「ちょっと待ってろ、一瞬電話してくる」


 そう言って、彼は席を立った。どうすればいいか分からず、ただ呆然と座ったままでいることしかできない。

 教室から出ていく峰を見送ると、ふと急に不安が押し寄せてきた。


(全部、言っちゃった)


 母とのことがバレるとどうなるかは、安易に察しがつく。きっと報復として……いつもより苛烈に暴力が振るわれるに違いない。それこそ、彼女より先に千尋が死んでしまう可能性すらある。

 それでも、そんな不安を忘れてしまうほど……峰には、勢いのまま話せた。これは、きっと。


(先生だけは、他の人と違うかもしれないって。僕……期待、してる)


 こんなことは、初めてだ。今まで誰に対しても、告げ口なんてできなかったのに。

 するとガララ、と音を立てて峰が教室の扉を開いた。びくり、と震える千尋に峰がスマートフォンを手渡してくる。


「とりあえず、今日はもう帰れ。あまり長く居残ってもまずいだろうし」

「は、はい……あの、ありがとうございました、聞いてくれて」

「別に、担任だからやることやっただけ」


 最後まで、淡々としている。今まではただ怖いだけだったのに、今となっては逆にそこに頼り甲斐すら感じてしまう。

 席を立ちリュックを背負うと、千尋は一度だけ会釈して教室を出た。峰はそれに、緩く手を振って返していた。

 馬鹿になってしまったのかと思えるくらい、頭の中と心の中が軽い。まるで、つかえか何かが取れたかのような心地だった。気のせいか、足取りも軽くなる。


「わっ」


 ポケットから、スマートフォンがこぼれ落ちた。きっと仕舞い込みが浅かったのだろう。慌てて拾い、そして……やっと気付いた。


(先生、何でさっき僕のスマホ持っていってたんだ……?)

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