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第14話 デート?②



 二人は、ハッケシャーマルクト駅から歩いて数分の複合商業施設ハッケシェ・へーフェへ行った。

 連なるように建つ建物と八つの中庭でできており、洋服屋やチョコレートのお店、靴や時計の専門店の他、飲食店も劇場もあり、敷地も広くあちこちに店舗があるので、歩いていると探検しているような気分になる。

 ユダとペトロは食後の散歩がてらゆっくり見て回り、気になる店に入った。

 そこは、工房やアーティストが制作したオリジナル商品を取り扱うギフトショップで、かわいらしいぬいぐるみから革製品、お土産にできそうな小物などが多く揃っている。

 二人は店内を回り、気になるものを手にする。ユダは、かわいらしいウサギのピンズを手に取った。


「あ。これ、ペトロくんぽい」

「オレ、ウサギっぽいの?」

「ううん。台紙に描いてある猫の方」

「そっちかよ」


 一角には腕時計やアクセサリーも揃えていて、性別関係なく品揃えは幅広い。


「アクセサリーもあるんだ」

「いろんなデザインがあるね。シンプルで使いやすそう」

「そう言えば。ユダってピアスの穴空いてたんだな」

「今気付いた?」

「普段は着けてないから。ちょっと意外」

「気付いたら開いてたから、今日みたいに出掛ける時は着けてるよ。せっかくだし」

(あ、そっか。忘れがちだけど、ユダって記憶喪失なんだっけ)


 あまりにも普通に生活をしているから忘れがちだが、ユダは現在進行形で大変な状況だということをペトロは思い出した。


「どれか買う? よかったらプレゼントするよ。文字のとかオシャレじゃない?」

「いいって。特別な日でもないし」

(それこそ付き合ってるみたいじゃん)


 そして自分も今、現在進行形で心恥ずかしくなるような状況だと意識する。


「それに、何でユダからプレゼントされなきゃならないんだよ」

「そう言われると回答に困るから……。あ。こっちのネックレスは?」

「ネックレスはそんなに着けないなー」

「そうなの? でも、そのネックレスいつも着けてるよね」


 ユダの視線の先のペトロの首元には、「T」のイニシャルのネックレスが着いていた。


「大事なもの?」

「そうじゃないけど。昔、家族とフリーマーケットで買い物した時に、出店してたおばさんがおまけでくれたんだよ。なんか、アンティークものだとか言ってたけど」

「じゃあ貴重なものなんじゃない?」

「さあ? ただのアルファベットのネックレスだろ」

「でもペトロくんにとっては、家族との思い出がある品物だね」

「……そうだな」


 ネックレスに触れるペトロは、切なそうな表情と声音だった。

 様々な商品を取り揃える店には、アート作品も置かれている。写真を使っていたり、額縁に文字だけが入っているのものや、個性的なモンスターのイラストなど、種類があり過ぎて選ぶだけでも目移りしてしまいそうだ。


「せっかくだし、アート何か買ってこうよ。ちょっと壁が寂しいし」

「センスはペトロくんに任せるよ」

「あるのって、風景のやつ三枚だけだよな。この辺の動物のイラストとかは?」


 ペトロは何気なく、小さめの額縁に入った猫のイラストを手に取る。


「さっき私が猫っぽいって言ったから?」

「手前にあったから何となくだよ!」


 ユダに言われた一言が嬉しかった訳ではないが、かわいかったので一枚はそれにし、風景写真のアートも一枚選んで合計二枚購入した。

 施設を出た二人はまた車に乗り、今度は西の方へ四十分ほど車を走らせた。

 着いたのは、ベルリン郊外の森の中にあるグルーネヴァルト塔だ。おとぎ話に出て来そうな中世の城のような印象の建物で、これもまた赤いレンガ造りだ。

 二人は二百段ほどある階段を登り、展望台へ上がった。


「わあ。すごくいい眺め」

「ここ、来るの初めて?」

「たぶん」


 周りをグルーネヴァルトの森に囲まれる塔は、西にはハーフェル川を見下ろせ、東を向けば遥か遠くに市街地を挑める。


「夕日もきれいなんだよ。秋は森の紅葉が上から見られるし、冬には一面が真っ白なんだ」

「そんなに何度も来てるのか?」

「この街に来て、運転免許を取ってから、ドライブがてらいろんなところに行ってるから」

「記憶喪失なのに、免許取れたんだな」

「うん。学習にも影響はないみたい」


 記憶喪失のことに触れてもユダはやっぱり事も無げで、こんなことは些細な出来事だと、過去にこだわりがないとでも言っているように感じる。

 そんなユダのことが気になるペトロは、もう少し記憶喪失に関して触れてみたくなった。


「いつから記憶がないの?」

「もう一年以上になるかな」

「自分に何があったのかも、わからないのか?」

「うん。気付いた時には病院のベッドだったからね。私の状態に配慮して、担当医も看護師さんも詳しくは話してくれなかったし。“酷い出来事に遭遇した”ってことだけは聞いたけど」

「知りたいとは思わないのか?」

「気にはなるよ。でも調べてない。今は別にいいかなって」

「なんで?」

「酷い出来事に遭って身体じゅうに包帯を巻いてたってことは、それなりの被害が出た事件てことだし。もしも思い出したら、自分に何が起こるかわからない」

(そうか。その“酷い出来事”がユダのトラウマになるんだ……)

「それに、と思ってる。私には、使徒としての役目があるから」


 ユダは、どこまでもさっぱりとしていた。それが余計に、ペトロに“おかしい”と感じさせた。「過去にこだわりがない」というか、「消えた過去はどうでもいい」と捉えているようにも思えた。

 そんなユダが、理解できなかった。


「何でそんなに普通でいられるんだよ。自分の過去がわからないって、不安にならないのか? 誰も知らないことが孤独で怖かったり、寂しくないのか?」

「まぁ、最初の頃はその感情もあったけど……」

「意識を取り戻した地点から後ろは、真っ暗じゃないのかよ。オレだったら怖いよ。自分の影も足跡も見えないのは、怖い」


 理解できないのが、どうしてか悔しかった。記憶喪失を事も無げに思っているユダが目の前にいるようでどこにもいないような感覚と、彼の後ろにある闇が自分でも怖くなり、ペトロは表情に影を落とした。

 その表情を見たユダは、自分の発した言葉で気を悪くさせてしまったと反省した。


「ごめん。今は記憶を戻さなくていいとか、トラウマと戦ってるペトロくんたちへの配慮が欠けた言い方だったね……。でもこんなことが言えるのは、みんながいるからなんだ。最初にヨハネくんと知り合った時からお互いに支え合ってたし、ヤコブくんやシモンくんも一番年上の私に遠慮なく接してくれるから、いつの間にか過去がないことへの不安は薄れていたんだ。一つ思うのは、もしかしたら今の私は、記憶を失う前とは違う性格かもしれないということ。みんなが今の私を作ってくれた気がするから」


 そう話すユダの言葉からは、何者でもない自分と同じ時間を過ごしてくれた仲間への心からの感謝が伝わってきた。


「ヨハネたちが、今のユダを作った……」

「だから、万が一にも記憶が戻らなかったとしても、これからまた記憶を積み重ねて自分を作っていけばいいんじゃないかなって、そう考えたりしてる。大事なものは、必ずしも過去ばかりにある訳じゃないから」

(大事なものは、過去ばかりにある訳じゃない……)


 悲観的な感情が一切ないその言葉が、身体にゆっくり染み込んでくるような感覚をペトロは覚えた。

 太陽が次第に傾いてきていて、眼下に広がる青々とした海を黄金色に照らし始める。


「この瞬間の私も、紙が重ねられるように一秒ずつ作られてる。きみがいることで、少し色付いた無地の紙が重ねられ始めてる」

「え?」

「きみは私にとって、とても意味のある大切な存在なんだよ」

「オレ、が……?」

「ペトロくんと出会ったことで、無色透明だった私の未来が描かれる気がしてる」


 穏やかな面持ちのユダに真っ直ぐ見つめられ、交わった視線が外せなくなる。

「大事なことは絶対に冗談なんかにしない」と言って心の丈の端を覗かせた時と、少し表情が違った。「好きかもしれない」と言われた時の、熱が込められた胸を掴まれるような眼差しに似ていた。

 ペトロ鼓動が、少しだけ早くなる。


「それって……どういう、意味?」

「きみがこれからも私の側にいてくれたら、わかるかもね」

「側って……」

「いてくれる?」


 視線を辿ってユダの熱が伝染しそうだった。一度は氷で覆って拒んだ感情と願望が溶け出して、曝されそうになる。

 それだけは阻止したいペトロは、頬を染めながらユダから顔を逸した。


「当たり前だろ。今は仲間なんだし。当分は同室で暮らすことになるんだから」

「うん。そうだね」


 ペトロにかわされても、ユダは余裕の笑顔だ。


「今は同棲中だもんね」

「同棲じゃなくて同室だから! またそんなこと言って。やっぱり、オレのことからかってるだろ」

「だから、からかってないって。そろそろ降りようか。買い物して帰らなきゃ」


 腕時計を見てユダは階段を降り始めた。買い物は本当だったようだ。ペトロは何だか、からかったことを誤魔化されたような気がしてならない。


「ペトロくん」

「なに?」

「秋になったら、また二人で来ようね」


 振り向いたユダは、微笑みながらデートの約束を申し込んだ。


「……その時は、嘘つかないでちゃんと誘えよ?」


 デートまがいも悪くはなかったペトロは、仮予約で申し込みを受けた。




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