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第12話 それぞれの恋愛事情②



 数日後。ヤコブに尻を叩かれたヨハネだが、今日も今日とて事務所でデスクワークに勤しんでいた。ヤコブに言われたことが頭を過りユダをちらりと見遣るが、何も言わずに視線をパソコンに戻した。


(簡単に言えてたら、こんなに悩んでないし)


 手を止め憂鬱な溜め息をつくと、ユダが声を掛けた。


「ヨハネくん。どうかした?」

「え?」

「体調でも悪い?」

「いいえ。何でもありません」


 なかなか言えなくても、こういった二人きりのシチュエーションで話し掛けられた時がタイミングだとヤコブも前に言っていたが、さすがに業務中なのを弁えるので口にはしない。

 やっぱり無理だと諦めて仕事に集中し始めた時、メールが届いた。シモンが契約している製菓会社からだ。


「ユダ。今、契約先の製菓会社から、シモンへの新しいオファーが来ました」


 ヨハネはメールを転送し、ユダも内容を確認する。


「新商品の広告と、正式契約か。お試しでって話だったけど、正式に採用してくれることになったんだ」

「喜びますね。シモン」

「学校から帰って来たら、さっそく教えてあげよう」

「それか。どうせヤコブが迎えに行くはずですから、ヤコブから伝えさせてもいいんじゃありませんか?」

「そうだね。正式契約の件だけでも、先に伝えてもらおうか」

「じゃあ、僕からヤコブにメッセージ送っておきます」


 ヨハネはヤコブにメッセージを送ると、ふとペトロの評判のことを思い出し、ユダの本心を探りたくなってさりげなくペトロのことに触れた。


「……そう言えば。ペトロは先方にだいぶ気に入られたんですよね」

「気に入られたというか。起用してくれた宣伝担当さんとかカメラマンとかが、初めての撮影とは思えないってすごく褒めてくれたんだよ」

「それだけ好感触ならこの先、契約更新があってもおかしくありませんね」

「そうだね。事務所の期待のホープは、これからもっと化けるかもしれない」


 ヨハネは、ユダのその言い方が少しだけ引っ掛かった。


「……ユダも、ペトロのことは気に入ってるんですか?」

「気に入ってるというか。将来を大いに期待してはいるよ。ヨハネくんも、楽しみだと思わない?」

「そう、ですね……」


 ヨハネは複雑な心境を隠して答えた。

 ユダは飽くまでも、社長としての見解と期待をペトロに持っている。そこに私情は挟まれていない。けれどどこか、特別視しているようにヨハネには聞こえてしまった。

 そこにペトロが顔を出した。


「ちょっと買い物に行って来る」

「あ。そしたら、食器用洗剤がなくなりそうだから、ついでに買って来てもらえるかな」

「了解」


 ペトロは愛用の電動キックボードでスーパーマーケットへ買い物へ出掛けた。

 近所にいつも使っている店舗があるが、アルバイトが休みで時間もあるので、少し遠出してリッター通りにある系列店へ足を延ばした。

 自分用のシャンプーとリンス、頼まれた食器用洗剤などを買い、再びキックボードを走らせて大通りに出ると、学校帰りのシモンと迎えに行ったヤコブに出会した。


「あれ。ペトロだー」

「お帰り、シモン。ヤコブもご苦労さま」

「おう。何してんの?」

「買い物して来たとこ」

「ペトロ。帰るんだったら一緒に寄り道しようよ。今、ヤコブとお茶しようって話てたんだ」


 誘われたペトロは、リンデン通り沿いにあるオーガニックベーカリーのカフェに二人と一緒に入った。

 三人は飲み物だけ注文し、テラス席に座った。


「実はシモンに話があるんだよ」

「話?」

「お試しで仕事した製菓会社、正式契約したいって連絡が来たってよ。さっきヨハネからメッセージ来た」

「本当に!?」

「やったな、シモン」


 喜ぶシモンの頭をヤコブが撫でると、シモンは余計に嬉しそうに笑みを溢した。「おめでとう、シモン」ペトロも祝福する。


「オレに次いでシモンが正式契約になって、企業側のペトロの評判もいいって聞いたし。J3Sヤットドライエス芸能事務所はこれで軌道に乗ったな」

「正式契約になったってだけで、仕事はそんなにもらってないだろ」

「そこはいいんだよ。オレらが最優先することはモデル業じゃないんだから。でも、オーディション受かるようになりたいけどな」

「オーディション受けてるのか?」

「実は結構行ってる。けど、企業が求めてるイメージもあるから、オーディションだと使徒の肩書きが効かないんだよなー。シビアだぜー」


 背凭れに寄り掛かりヤコブは空を仰いだ。みんなのヒーローだからと言っても、オーディション百戦百勝とはいかないらしい。


「なんでそんなに積極的に……」

「ボクたちって、不定期出動だから。ペトロも、バイト抜け出さなきゃならない時があるでしょ? だけど企業と契約できれば、収入が一括で入って来るぶん時間の余裕ができていつでも出動可能になるよね、ってこと」

「大家さんの好意で家賃はチャラになってるけど、諸々の出費はあるからな。オレらが二足のわらじを履いてるのは、そういう理由もある……。あ。使徒とバイトとモデル業だから、三足か」

「なるほど……。じゃあ、モデル業は義務って感じでやってるのか?」

「そんなことないぞ。だんだん楽しくなってきたって感じだな。お前は、この前初めてやってみてどうだった?」

「どうって。緊張しかしなかった」

「だよね。最初はやっぱり緊張するよね。ボクも最初はヤコブとヨハネに付いて来てもらったけど、全身固まっちゃったもん」

「めちゃくちゃガチガチだったよな」

「でも無事に終わってみると、やりがいみたいなのを少し感じたんだ。だから、続けられるの嬉しいよ」

「やりがい……」

「お前も、スタッフやユダに褒められたんだろ。やりがいとか手応え感じなかったのか?」


 ヤコブに尋ねられたペトロは、その日を思い返しての自分の感情を探し出す。

 確かにいろんな人から「すごい」などと褒められ安心はしたが……。


「褒められたけど、まだその域には……」


 その時。三人の後ろの方でグラスが割れる音がした。振り向くと、男女カップルの男性の方が顔色を変えて喚き散らしていた。


「お前に何がわかるんだよ!」

「ねえ、落ち着いて。クリニックの先生も大丈夫だって言ってたじゃない」

「あんな気休め信用できるか! 結局誰にも理解されないんだよ! だから俺は……。俺は……!」


 悪魔出現の気配を感じた三人は立ち上がった。


「来るぞ!」


 シモンはすぐさま店内に駆け込み、スタッフを含めた人々に警告し避難を促した。聞いた人々はエプロンのままだったり荷物を置いて、慌てて外へ出て店を離れて行く。


戦闘領域レギオン・シュラハトを展開すれば、一般人は自動的に領域外に移動するんじゃないのか?」

「近距が離過ぎると、巻き込まれる可能性が高いんだよ」


 男性の彼女にも避難を促し、彼女は男性を気に掛けながら走って離れて行った。


戦闘領域レギオン・シュラハト!」

「オ"$&ゥµッ!」


 カフェの前を中心に戦闘領域が展開されたと同時に、男性の中から悪魔が出現した。


「時間はそろそろ夕方か。メシの時間もあるし、とっとと帰りてぇな」

「ユダとヨハネは待つのか?」

「オレらで片付けるってメッセージ送っといた。お前も慣れたし、大丈夫だろ」

「∅オψ¿ゥッ!」


 今回は、自身の影を操るタイプの悪魔のようだ。地中を蠢く巨大な黒い蛇のような影が、三人目掛けて疾走して来る。

 三人は怪しげな影が自分たちの足元に到達する直前にその場から下がり、地面から突き出した大きな棘を回避した。


「オレが行って来るから二人とも頼む!」

「わかった!」


《潜入《インフィルトラツィオン》!》


 ヤコブは倒れた男性の深層に潜り込んだ。


「ダレ、¿……¥カ£、カ……。グ@%⊅ッ!」

祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」

「グ§ァ¢……!」


 光の雨を食らうも、悪魔は影をウネウネとくねらせながら地を這わせ、逃げる二人を追い掛ける。地面から離れて建物の壁に逃げても、建物と地面が繋がっているため、登って来て串刺しにしようとする。


天の罰雷ドンナー・ヒンメル!」


 外壁からジャンプしたペトロは空中から雷を落とした。悪魔は直撃を受けるも影は怯まず追って来て今度は地上から反撃されるが、身を翻してかわし、着地した。


「ペトロ。もしかして、サーカスにいた?」

「そんな訳ないだろ」


 影を操る悪魔は、どうやら地上からは動けないようだ。行動範囲は限られると考えた二人は、前後で挟んで攻撃する戦法を取った。

 しかし、前後同時に反撃され、二人は跳躍して回避した。


「くっ……!」


 執拗に追いかけて来る影から逃れるために、広い敷地を使って縦横無尽に駆け回る。シモンは、カフェに隣接する博物館の建物に飛び乗ったり外壁を走ったりして、身軽な身体を活かして攻撃をかわしていく。


「シモンこそ、先祖がニンジャだったんじゃないか?」

「ニッポンにルーツがあったらそうかもね」


 そうした戦いを続けて数分。深層に潜入していたヤコブが帰還した。「行け!」ヤコブの合図で、ペトロとシモンはハーツヴンデを具現化する。


心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン──── 〈誓志アイド〉!」

「〈恐怯フルヒト〉!」


 ペトロは剣の〈誓志アイド〉を、そしてシモンは弓矢の〈恐怯フルヒト〉を出現させた。


「はあっ!」


 ペトロが憑依された男性と悪魔を繋ぐ鎖を断ち切り、シモンが悪魔に狙いを定め弦を引くと光の矢が現れる。


「天よ。濁りし魂に導きの光を!」


 直線を描いて放たれた光の矢は悪魔を貫き、祓魔エクソルツィエレンされ終了した。

 そのあと、恒例の感謝感激雨あられタイムがあり、カフェの店長からパンのサービスを丁重に断り、帰宅の途に着いた。


「ヤコブ。さっきの人、原因は何だったの?」

「ついこの前まで海外出張してたっぽいんだけど、そこで巻き込まれたらしい。ニュースでもやってるやつだ」

「そうなんだ……」


 男性のトラウマの原因を聞いたシモンは、少し憂いの表情をした。ヤコブはその頭をポンポンと撫で、微笑み掛けた。

 その様子を後ろから見ていたペトロは、二人に訊いた。


「二人って、めちゃくちゃ仲良いよな。仲間とか親友じゃない、それとは別の雰囲気っていうか。バンデだからか?」


 その疑問に答えようと振り向いたヤコブは、シモンの肩を抱いた。


「バンデでもあるけど」

「だってオレたち、ラブラブだから」

「えっ!? 付き合ってんの?」


 なんと二人は、三歳差のカップルだった。付き合い始めてからもう半年ほど経ち、肩を抱かれるシモンも恥ずかしがる様子はない。


「やけに仲良いなとは思ってたけど、そうなんだ……。ユダとヨハネは知ってるのか?」

「知ってるよ」

「だから、事務所公認だぜ」


 しかしだからと言って、外でのイチャイチャは控えていると言う。使徒で顔バレしている上に広告の仕事もしているから、一応妙な噂を立てないよう配慮してのことだ。


「お前はどうなんだよ。そっち方面」

「え?」

「環境が新しくなって、新しい出会いもあって、恋の予感とかあったりするんじゃないのか?」


 この流れでさり気なくユダとのことを聞き出してやろうと、ヤコブはニヤニヤしながら訊いてきた。この数日の様子から何かあったと確信しているヤコブは期待をした。

 ところが。


「別に。何もないよ」


 ペトロはけろりと答えた。期待外れの返答に、ヤコブは脳内で「あれ?」と首を傾げる。


「何もない? 誰かにアプローチされたり、ちょっとドキドキするシチュエーションになったりしてないのかよ?」

「今のところ、恋愛に発展しそうなことはないかな」


 ペトロは表情にも言葉の端にも微塵の変化も出さず、そう言った。自分の直感を信じて疑わなかったヤコブは、意外過ぎた反応にちょっとガッカリした。


「何だ。そうなのかよ」

「何か期待してた?」

「だってその外見だから、言い寄られたりしてるのかと思って」

「期待外れで残念だったな。オレも今は、使徒の役目を果たすことが一番大事だから」


 色恋沙汰は必要ないと言うペトロは、本当に何もなかったかのような振る舞いだった。

 けれどヤコブは首を傾げる。ペトロが初仕事をして来た晩、ユダと接するペトロは少し彼を意識しているように見えた。ユダからのアプローチがあったのでなければ、あのぎこちなさは何だったのだろうと疑問が残る。


「どうかしたの、ヤコブ?」


 眉頭を寄せて腕を組むヤコブの顔をシモンは覗いた。


「自分の妄想が幻覚を生み出したのかって思って」

「何それ。ボクたちにそんな能力はないでしょ」




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