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第11話 それぞれの恋愛事情①



 シャワーを終えたペトロは、今日はもう自分のベッドルームに戻って寝ることにした。

 バスルームからリビングに戻ると、リラックスモードのユダがソファーで読書をしていた。


「オレ、もう寝るよ」

「うん。私は本を読みたいから、先に寝ていいよ」

「うん」

「今日はお疲れさま。おやすみ」

「……おやすみ」


 いつものようにユダに労われ、ペトロはベッドルームに入ってベッドに横になり、目を瞑って入眠しようとした。

 が、なかなか寝付けなかった。一度眠るのを諦めてスマホで動画を観たりして一時間ほど時間を使い再び寝ようとするが、やはり寝付けない。

 スマホをいじったり寝る体勢を変えたりしながら眠くなるのを待つこと、三時間。


「……眠れない」


 今日はどうしても寝付きが悪い。慣れない撮影で疲れているはずなのに、あれのせいで脳が覚醒している。


(ユダがあんなこと言うから……)


 ───もしも、きみのことを好きかもしれないと言ったら、どうする?


(あれって、告白された……? でも、はっきりと『好き』って言われた訳じゃない。やっぱり冗談だったのかな……。だけど、魅力的とか素敵とかめちゃくちゃ言ってた。そういうのって、同性相手にそんな頻繁に言うことじゃないよな。やっぱからかってる……? でも、ユダはそんなことするようなやつじゃないと思う。紳士的で、誰にでも優しくて……。あ、そっか。今日はオレが緊張してたから……。でもそれだったら、言うの撮影前だよな。終わってから小恥ずかしいこと言わないよな。じゃあ、本気で褒めてくれてたってことか。そうすると、あれも告白……)

「……っ!?」

(いやいやいや! 『もしも』って言ってたし! 疑問形だったから本気じゃないって! なんかそれはそれで若干傷付くような気がするけど、ガチ告白じゃなかったし! 帰って来てからはいつも通りだし! ……そしたら、あれは? オレの写真を待ち受けにしてた理由は? それに、『もしも』ってことは、本当かもしれないんだよな。ユダが、オレのことを、好きかもしれない……)


 眠れずそんなことをぐるぐると考えていた時、ドアのすぐ向こうのリビングで足音がした。

 読書を切り上げたユダの靴音だ。ペトロはその音に無意識に耳をそばだてた。

 立ち上がったユダは、リビングのフロアライトの明かりを消して、一度出て行った。けれどすぐ戻って来たからトイレだったんだろう。

 リビングに戻って来た靴音は、ペトロのベッドルームから遠退いて窓際のベッドへ行く……はずだが。靴音はこっちに近付いて来てドアの前で止まった。


「……」


 ペトロは息を潜める。しかし、すぐにまた靴音がして遠退いていった。

 ペトロは安堵の息を吐いた。


「ちょっとドキドキした……」


 呟いた直後、そう発言した自分に動揺してガバッと毛布を被った。


(って何で!? オレ今、なんか期待した? ユダが寝室に入って来るかもなんて想像した!? いや待て待て待て! 何を考えてるんだオレは!)

「あり得ないって。同性を好きになるとか、考えたことないし」

(確かにユダは優しいし、包容力もあって頼りたくなる。褒められたのも本当は嬉しかった。今日の撮影だって、付き添ったのがヨハネだったらあんなに上手くいってなかったかもしれない)


 ふと、ペトロは撮影の時のことを思い返す。


「なんでオレは、ユダの言葉を信じられたんだろう……」

(思い返してもよくわからないけど、ユダがオレを信用してくれてるのは感じた。だから、真っ直ぐ目を見て言ってくれた言葉を信じられた。だけど、“信じてる”の一言だけで片付けられないような感情が動いてた。そんな気がする)


 緊張するペトロを励ましたのは、社長として新人をサポートしたつもりでもあるだろう。だから「信じてる」と言ってくれた。

 けれど、仕事や社長ということは関係ない私情が込められていたような気がした。ペトロを特別に見るような。


「……あれ?」


 紐付けられた数日前の記憶が、不意に甦った。


 ───今日は頑張ったね。お疲れさま。


 初めて使徒としての戦いをやり遂げた日。おんぶされて帰って来て寝落ちしてしまった時のことが、身体に微かに記憶されて残っていた。

 ペトロは髪を触る。


「……撫でてくれた」

(眠気が限界で目を閉じたけど、眠りに落ちる直前、お疲れさまって言って、優しく頭を撫ででくれてた……)

「冗談じゃ、ない……?」


 あの『もしも』が、本当はもしもじゃないとしたら……。そう思うと、心臓がギュッとなりにわかに熱を持った。

 その時、サイドテーブルの上で物音がした。立てていた写真立てが倒れた音だった。

 立て直したペトロは、持ち始めた熱に氷水を掛けた。


「これ以上考えるのはやめよう」

(オレは何のために使徒になったんだ。強くなりたいからここにいるんじゃないか)


『もしも』なんてこの世にない。あれはきっと冗談で、ユダの気の迷いだ。

 そう区切りを付け頭が冷やされると、自然と眠ることができた。




 その二時間ほど前。昼間になかなかできない観葉植物の手入れを自室でしていたヨハネに、ヤコブから「今から部屋に行っていいか」とメッセージが来た。

「いいよ」と返信したその一分後、ビール瓶を一本持ってヤコブがやって来た。


「よ。ちょっと飲まねえ?」

「シモンは? 放っておいていいのか?」

「もう寝たよ。明日も学校あるのに、夜更しさせねぇよ」


 ヨハネは自分の冷蔵庫にあったつまみのサラミを用意し、なんのためでもない乾杯をしてヤコブとサシ飲みが始まった。


「俺さ、今日バイト行ったじゃん? そしたら、また客に連絡先教えてほしいって言われちゃって。いつも通り上辺の理由で断ったけど。でさぁ、考えたんだけどよ」

「何を?」

「使徒やってる上に企業の広告にも出てモデル業もやってるのに外でバイトするの、何気にリスクだと思わね?」

「リスクって?」

「顔バレしてること。たまに仕事になんねぇんだよ」

「じゃあ裏方の仕事をすればいいんじゃないか?」

「ぶっちゃけ、裏方はつまらない」

「注目されないから?」

「そう! どうしたらいいと思う?」

「モデルで食えるようにする」

「それなー。一番シンプルアンサー」


 ヤコブは手でサラミを丸めて食べ、ヨハネはフォークで畳んで口に運ぶ。


「そんな話をしにこんな時間に来たのか?」

「これは前説」


 ヤコブはサラミの油分をビールで流した。


「お前さ。いつまで言わないでいるつもり?」

「何を?」

「ユダに告らねぇの?」


 ちょうどビールを口に含めたヨハネは吹き出しそうになった。慌てて飲み込むが、失敗して激しく咽る。


「もう何ヶ月思いを秘めてんだよ。とっとと告白しろよ」

「そう言われても……」

「いつまでも恋する乙女の真似事してても、しょーがねぇだろ」

「わかってるけど。だって……」


 ヨハネは恋する乙女よろしく頬を染めて口籠る。もう何度も見たそのリアクションに、ヤコブは呆れて頬杖を突いた。


「『そう言われても』。『だって』。今まで背中を押してやる度にそれを何回聞いたことか。目の前にあるのはツークシュピッツェ山じゃねーだろ。そこらへんの公園にある滑り台に登るくらい楽勝じゃねぇか」

「せめてシュヴァルツヴァルトにしてくれ」

「そこも電車で行ける楽勝なとこだけどな」


 ちなみに。どちらも国の南側にあり、「黒い森」と言われるシュヴァルツヴァルトもれっきとした山岳地帯である。


「とにかく。楽勝楽勝言うけど、僕はお前みたいにガツガツしてないんだよ」

「いや。言われるほどガツガツしてないけどな」

「僕だって、言おうと努力してる。けど。いざとなると言葉が堰き止められんるんだ」


 もどかしく悔しそうなヨハネは、グラスの中のビールを飲み干した。ヤコブは空いたグラスに二杯目を注いでやる。


「だけど。いつまでもって訳にはいかないぞ。最近のユダを見てると、ペトロにご執心ぽく見える」

「それは僕も感じてる。今日の付き添いだって本当は僕が行くつもりだったのに、突然自分が行くって言い出して」

「何でそこで、自分が行くって強く言えなかったんだよ」

「そこも察してくれよ」

「察してくれってなぁ、お前。そういうとこも俺ずっと言ってるぞ? お前はユダに弱過ぎ!」

「うぐっ……」


 自分でもわかっていることを指を差されながら指摘され、ヨハネは言葉も出ない。


「あと、俺にも甘え過ぎ。見ててもどかしいから応援してやってるけど、飽きたら迷わず捨てるからな」

「そこは見捨てるだろ。遊ばれた恋人みたいに聞こえる」

「それに、帰って来てからのペトロの様子が少しおかしかった。何かあったかもしれないぞ」

「それも何となく気付いたけど、さすがに展開早過ぎだろ」

「ユダが会って三ヶ月経たない相手に手を出さないって、そう思ってるのか?」

「ユダに限ってそれはない」

「そうだな。でも、あいつも男だぞ」

「……っ」


 ヨハネはギクリとする。普段は穏やかで紳士的な印象が強く、好きでも“雄の顔”なんて想像したことはなかった。


「ずっと探しててようやく会えたやつと同室なんだぞ。もしもあいつにそういう気持ちがあるんなら、いつリミッター切れるかわかんねぇだろ」

「……いや。ユダはそんな人じゃない」


 ヤコブに煽られたヨハネは不安が過るが、心からユダを信頼し濁りのない眼で言った。ヤコブもその意見には同感だった。


「ま。そうだな。あいつは基本的に紳士だし、いけると思っても慎重になりそうだな。でもだからって二の足を踏みまくってたら、後悔だけして終わるぞ。もしもあの二人がバンデになったら、お前は手も足も出せなくなる」

「それもわかってる」


 ヤコブに指摘されたことは全て理解しているし、自身の心に常に留めている。けれど、出会ったころから思い続けているが、「好き」の「す」の字も言えない日々が続く今では、側にいられるだけでも満足だなんて思い始めている。

 言いたくても。そんな自分を情けなく思いながらも、ヨハネには逡巡する事情がそれなりにあった。


「……なぁ、ヨハネ。お前昔からそんなに奥手だったの?」

「そんなことない」

「じゃあ、何でユダに告白するのそんなにためらってんだよ」

「…………」


 手元を見つめ苦衷の表情を浮かべてヨハネは沈黙する。その表情を見たヤコブは、何となく察した。


「わかった。今の質問は忘れろ。だけどヨハネ。お前が告白できるかは、たぶん時間の問題だと思う。早めに決着着けとけよ」


 ヤコブに言われるまでもなく、早く決着を着けるべきなのはわかっていた。それでもヨハネは、たった二文字をユダへ伝えることを躊躇い、




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