ユダたちが悪魔の動きを止めてくれたが、ペトロは未だに救い方がわからず悩み続けていた。
(何に対して寄り添えばいい? この人のどの気持ちを掬い取ればいい?)
女性はずっと罪悪感を呟き、自身を責め苛んでいる。その罪悪感を軽くしなければユダたちも悪魔と繋がっている鎖を断ち切れず、女性は救われないままとなる。
(愛する旦那さんがいたのに再婚したこと? できなかった子供ができてしまったこと? 前よりも幸せを感じてしまっていること? 何を言えば救うことができるんだ!?)
懊悩するペトロは立ち尽くし、その場から一歩下がった。
「……オレじゃダメなのか……?」
そしてとうとう、その口から諦めの言葉が漏れた。
(使徒になれるって知って、強くなろうと固く決意した。上手くいかなくても、自分のためになるならどんなことでも頑張ろうって前向きになれた。だけど、それじゃダメなんだ。自分のことばかり考えてたら、一人も救えないんだ。人々のために自分が強くなることが大事なんだと思ってた。オレは、使徒の在り方を根本的に履き違えてた……)
「使徒」というものを間違って認識していたことに気付いたペトロは、愕然とする。新しく開かれた道に意気込んで踏み込んだのに、自分の心構えは間違いだったんだと救い倦ねる場面で思い知らされた。
しかし、だからと言って後戻りはできない。それは苦しむ女性を見捨てることであり、自身で選んだ道から外れることになる。
するとその時。女性がこう呟いた。
「ごめんなさい……。大切なあなたを裏切って、私だけ幸せになろうとして……。ごめんなさい……」
「……!」
その言葉にハッとしたペトロは、力が抜けて膝から崩れ落ちた。僅かに震える自分の手に気付くと、震えを抑えるようにギュッと握った。
「そっか……」
(この人は、愛する旦那さんがいたのに再婚したことを後ろめたく思ってる。そして、新しい旦那さんとのあいだに子供ができたことを、申し訳なく思ってる……。でも、そうじゃないんだ。この人が一番罪深く感じているのは……)
「亡くした旦那さんと、ずっと幸せに生きることを望んでたんだ」
(きっと二人は深い愛で結ばれてて、絆があって、お互いがなくてはならないくらい愛し合ってた。あなたにとって亡くした旦那さんは、命の半分だと思えるくらいの人だった。“運命の人”だったんだ。だからそんなに、罪深く感じてるんだ……)
救い取るべき気持ちを見つけたペトロは、女性に言葉を掛ける。
「大切な人を喪うのは、とても辛いよ。悲しみと絶望しかないし、生きる希望もなくす。オレにも覚えがあるから、その気持ちは痛いほどわかる」
(毎日一緒にいて、楽しくて、幸せで、ずっと続くと信じてたものがある日突然奪われる、愕然とした感情も。全てが灰になったような、虚無感も。出なくなるくらい涙が枯れてしまう、一人ぼっちの夜も。オレはたぶん、似たものを知ってる。生きることの意味を永遠に考えたりとか。自分だけ生きてることが許せなくなるとか……)
「だけど。罪悪感ばかり募らせても、生きることが辛くなるだなんだ。自分の首を絞めてるだけなんだ。そんなのは、生きてるとは言えない気がする。でも、自力で罪悪感を消せるほど強くないのもわかってる。だから、人を頼るんだ。自分を支えてくれる人を無意識に探してしまうんだ。だからあなたにとって再婚は、自分自身を救うための手段だった。だけどその手段が、またあなたを苦しめてるんだ……。でも。それでいいと思う。あなたが救われたなら、あなたが選んだ手段は間違ってない。罪悪感に負けて違う手段を選んでしまった方が、亡くした旦那さんに対する裏切りな気がするから」
ペトロは女性にそっと近付いた。
「きっと……。きっと、愛した人の幸せを願わない人はいない。こんな望みは生きてる自分を肯定したいだけかもしれないけど、罪悪感で別の道を選ぶより生きる方が絶対大事だ。あなたが死んだって、誰のためにもならない。だからあなたは、今側にいる愛する人たちのために生きてほしい。生きることは、それまでの思いも生き続けることだから。それはきっと、かつて愛した人への罪滅ぼしになるから」
そして、その手に優しく手を添えた。
「大丈夫。幸せでいられることを“幸せ”だと思えることを、忘れないで下さい」
ペトロの言葉を受け取った女性は顔を上げた。そして大粒の涙を流しながら、感謝の代わりの笑顔を見せた。
二つの結婚指輪に雫が落ちると、彼女の深層に光が広がっていった。
「────っは!」
帰還したペトロは勢いよく顔を上げ、息継ぎをするように息を吸い込んだ。
「ペトロ!」
「戻って来た!」
「ペトロくん、大丈夫?」
ペトロの無事の帰還に待っていた四人は同時に安堵の表情を浮かべ、ユダはすぐに側に駆け寄った。
「よっし! あとはオレらに任せとけ!」
「俺なら大丈夫。いける」
「いける、って……」
初めての潜入で精神的負荷を心配するユダだが、ペトロはしっかりした足で立ち上がった。その表情からは、一種の自信が窺えた。
「じゃあ、オレが援護してやるよ!
ヤコブは自身のハーツヴンデの斧〈
「行け! ペトロ!」
最後までやり遂げることを望むペトロも、自身の胸に一度手を当てた。
(大丈夫。オレにもできる。この人を救うことが)
「
ペトロが手を伸ばした先に光が集まり、次第に形を成していく。
「〈
光の集合体は剣の形を成した。それがペトロのハーツヴンデ〈
「天よ。濁りし魂に導きの光を!」
「∀∑ャア&……!」
ペトロは拘束された悪魔を容赦なく一刀両断した。悪魔は塵となり消え去った。
「よっしゃあー! よくやったじゃねぇか、ペトロ!」
終わった瞬間にヤコブは勢いよくペトロの肩を抱いた。
「やったね、ペトロ!」
「一度に
「今日もありがとう!」
「あなた、新しい使徒よね! すごかったわ!」
「どうなるかとソワソワしたが、かっこよかったぞ!」
この状況ももう何度か経験しているペトロだが、今日はハグをされたり握手を求められても、呆然とした様子で人々の反応を見回していた。
「ペトロくん。大丈夫?」
「ユダ」
「みんな、きみに感謝してるんだよ」
「……オレ、ちゃんとできたのか?」
そこへ、女性の夫がペトロのもとへやって来た。
「あの。妻を助けて下さり、ありがとうございました!」
彼は涙を浮かべてペトロに感謝の言葉を贈り、「この人がママを助けてくれたんだよ」と子供に言うと、三歳くらいの男の子も「ありがとう」とお礼を言った。
彼らの後ろの方には、女性に付き添う母親らしき人の姿と、ベビーカーが見えた。
「これが、その答えだよ」
ペトロは確かに、一人の女性を救った。そして、彼女とその家族の笑顔も守ったのだ。