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第6話 初体験



 ペトロの新生活が始まって、数日が経った。時々出現する悪魔との戦闘に同行し、使徒としての経験値も着実に積んでいた。だがモデルの仕事はまだ来ず、収入源のアルバイトは積極的に継続中だ。


「バイト行ってきますー」


 今日もデリバリーのバイトに行くペトロは制服のジャケットを着て、事務所に顔を出してユダとヨハネに一言声を掛けた。


「行ってらっしゃい」

「気を付けて行けよー」


 愛用の電動キックボードに乗り、いつものように出勤して行く。ユダとヨハネは、事務所の窓から走って行くのを見届けた。


「精力的に働くね。ペトロくん」

「いいんですか、バイト続けさせて。オーディション受けさせることもできるのに」

「契約書にはダブルワーク不可の記載はしてないし、使徒の使命を疎かに考えてる様子もないから問題ないよ。モデルの方は、彼の気分が乗るか乗らないか。だね」

「まぁ、“本業”はやる気があるみたいなのでいいんですが」


 彼らの本分は「悪魔に憑依された人々を救い悪魔を祓う」こと。他の仕事は副業みたいなものだ。本業で収入が発生しない分、副業のモデル業やアルバイトをすることは本業に匹敵するくらいの義務が発生する。だから使徒の二足のわらじは、思った以上にいろんな意味で大変なのだ。


「ヨハネくん。ペトロくんが来て数日経つけど、ヨハネくんから見て彼はどんな印象?」

「どんな? そうですね……」


 ヨハネはこの数日間を振り返ってユダの質問に答える。


「協調性はあります。ヤコブやシモンとも普通に話してますし、朝食や夕飯の準備や片付けを手伝おうかって声を掛けてくれることもあります。共同生活にも慣れてきてるようですし、僕たちと円満な関係を築こうとしていると思います」

「印象は悪くないってことだね」

「はい。ユダは?」

「そうだね……。私はまだ、心を開き切っていないように見えるかな」

「それは僕も感じますけど、まだ数日経っただけですし、しょうがないですよ」

「そうなんだけど……。まだ本当の彼を見ていない気がする」


 ユダはパソコンと向かい合いながら、憂うように目を伏せた。


「……同室だから、そう感じるんですか?」

「うん……。まだ笑った顔を見てないんだ。それがちょっと気になって……」

「使徒の特性があるということは、ペトロも過去にそれなりの経験をしているはずです。心を開き切っていないのも、きっとそのせいです。気になっても、今は様子を見てあげた方がいいですよ」

「……そうだね」


 気を取り直して背筋を伸ばしたユダは、パソコンに向かった。

 ユダが誰かを気に掛けるのは、大して珍しいことじゃない。ユダは、包容力が滲み出る微笑みと心配りと物腰の柔らかい振る舞いを誰にでもできる、無意識の人垂らしだ。

 そんな彼の意識がペトロに向けられていることを知ったヨハネは、少し気掛かりな視線を向けた。




 今日のデリバリーはミッテ区を中心に回っていた。

 ミッテ区はベルリンの中枢で有名観光スポットや主要機関があり、オフィスビルも建ち並んでいる。昼時はオフィスからの注文も殺到するので、ペトロは飲食店とデリバリー依頼者のあいだを何往復もする。


「ありがどうございました」

(次は……っと)


 アプリですぐに行けそうな店を探し、再び電動キックボードを走らせた。

 近隣の地区と合わせて二時間ほど走り回ってようやく落ち着いたペトロは、少し遅めの昼休憩を取ることにした。

 近くに鉄道が走るシュプレー川沿いのカフェに入り、バナナ・ヌテラ・グラノーラパンケーキとアイスカフェラテを注文して、天気がいいのでテラス席に座った。

 向かいの歩道にもテーブルと椅子が並び、そこにもカフェの利用客がちらほら座っていて友人同士でおしゃべりしている。ペトロはパンケーキを食べながら、その人たちをじっと見つめた。


「……憑依してる悪魔が見える訳じゃないのか」

(みんなが悪魔に取り憑かれるほどのトラウマを抱えてる訳じゃないもんな。もしもこの街の人全員てなったら、土日祝日関係なく毎日祓っていかないとだし)

「それじゃブラック企業だな」


 ペトロは店内に視線を移した。ピーク時を過ぎたので、さほど混んではいない。


(あの人も、この人も、どの人も、普通に生活してる。毎日仕事したり、家事や育児をしたり、友達と楽しくしゃべったり、一見して平穏に生きてきた人と何も変らない。だけど本当はオレたちみたいに、忘れたくても忘れられない、生きていることも辛くなるような出来事に遭遇しているのかもしれない。普通の人生を装うために、笑顔を被っているのかもしれない)


 ────憑依された人の深層に潜入して、トラウマを和らげるんだ。


(他人のトラウマと向き合うって、どんな感じなんだろう。見ず知らずなのに寄り添うって、難しくないのかな。オレにも同じようにできるのかな。自分と似た境遇の人の心を、救えるのかな。その人のことを何も知らないのに、ユダたちはどうやって救ってるんだろう)


 潜入すれば相手と一対一となるので、手助けしてくれる仲間はいない。ユダは、使徒はただ人々を救うだけではなく救う人の気持ちに寄り添ってあげてほしいと言っていたが、やってみなければ感覚は掴めない。

 それをやり遂げる想像はまだできないペトロだが、意志は強く持っていた。


(オレもできるようになって、強くなりたい)


 一時間ほどのんびりして、デリバリーを再開した。アプリをチェックすると、ちょうど行けそうなところがあった。どうやら偶然にも、周辺にはペトロくらいしか行ける者がいない。

 ペトロは再び電動キックボードを走らせ、ミッテ区を出て南下した。



「デリバリーです。ご注文のものをお届けに参りました」


 とあるアルトバウのキャラメル色の扉が開き客と対面したペトロだが、他の客の対応とは違い気持ちが入っていない挨拶をした。


「ありがとう、ペトロくん」


 コーヒーと軽食のデリバリー先は、J3S《ヤットドライエス》芸能事務所だった。出迎えたユダは、笑顔でペトロから注文商品を受け取った。


「なんでわざわざ。自分でいつもコーヒー淹れてるじゃん」

「ペトロくんの仕事を覗いてみたくなって」


 なぜかユダはにこにこだ。そんなに待ち侘びていたのだろうか。


「ユダ。仕事に戻って下さい。で、ペトロ。ついでなんだけど」

「注文はアプリを使って下さいお客様」


 平板な言い方で身内にはドライな対応をするペトロ。


「そうじゃなくて。明日もバイトか?」

「いや。休むこともできるけど」

「なら、ヤコブの仕事に付いて行くか? 新しい広告の撮影があるから、見学させてもらえよ」

「興味あればの話だけど」


 ユダは、ヨハネのぶんのコーヒーとプレッツェルを彼に手渡した。


「でも、一応契約したし」

「契約はしたけど、かたちだけだから。やるかやらないかは、きみ次第だよ」

「じゃあ……。少し興味あるし。付いて行くよ」




 翌日。ペトロは撮影現場の見学でヤコブの仕事に付いて行った。


「ヨハネは付いて来ないんだな。確かマネージャーもやってるって聞いたけど」

「付いて来るのは最初の契約の時だけだ。慣れたら基本一人」

「じゃあ、向こうの人とのやり取りも自分で?」

「そ。だから愛想は良くしとけよ。今日の第一印象で仕事が来るかもしれないからな」


 二人は最寄りの停留所からバスに乗り、ミッテ区のビル内に構えるシューズメーカーのオフィスへ向かった。

 ペトロはヤコブに付いてエレベーターで上階に上がり、スポーツをやっていそうな体格をしたカジュアルな服装の宣伝担当の男性と合流した。


「お久し振りです」

「久し振りヤコブくん。また引き受けてくれてありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます」

「今日はシモンくんは付いて来てないんだ?」

「真面目に学校行ってるんで」

「その代わりに、隣の人を連れて来たのかな?」


 宣伝担当の男性はペトロに視線を向ける。


「こいつはうちの事務所の新入りです」

「初めまして。ペトロと言います」


 緊張であまり愛想はよくできないがペトロは礼儀よく自己紹介し、握手をした。


「宜しく。男の子だったのか。外見がキレイだから、どっちか迷ったよ。失礼なこと言ってごめんね」

「いいえ。慣れてるんで」

「今日、撮影の見学させてやりたいんですけど、いいっすか?」

「もちろんだよ」


 男性を含めて撮影の前にスタッフと軽い打ち合わせをし、ヤコブは新商品のスニーカーに合わせた衣装に着替えて別フロアにある撮影スタジオに入った。

 スタジオは白い背景に、大小の白い四角い台が準備されていた。ヘアメイクもしたヤコブはカメラの前に立ち、台に片足を乗せてスニーカーメインの撮影から始めた。

 ペトロは邪魔にならないように、スタジオの隅でヤコブの仕事ぶりを見学する。


「もうちょっとつま先をこっちに向けて。……うん。そのくらい」


 カメラマンが撮りたい角度を注文し、ヤコブは指示を聞いて微調整する。その次は、台や床に座って様々な角度から撮った。


「じゃあ、次はアクティブに。いろいろ自由に動いて」


 今度は、サッカーボールやスケートボードなどの小物を使った動きのある撮影に切り替わり、ヤコブは自由に動く。何度か経験している撮影はだいぶ慣れているようだ。


「今のいいね。もう少し派手にジャンプして」


 そして一通りの撮影を終えたあとは、宣伝担当やカメラマンたちにヤコブも混ざって撮った素材をチェックする。


「このアングルいいね。商品がわかりやすく写ってる」

「こっちもいいですね。私、こっちの方がイケてると思います」

「僕はこれがいいなー。撮ってて楽しかったし」

「俺もこれがいいっす。これめちゃくちゃかっこよくていいっすよね!」

「確かに、躍動感が一番表現されてるね。じゃあ、モデルとカメラマンの意見が一致したこの一枚は使おう」


 その中に入れないペトロは、警備員のように定位置から動かずに様子を見ていた。

 すると、カメラマンが近付いて来た。


「きみも一枚撮ってみる?」

「えっ?」

「人物はあまり撮ったことないけど、きみはいい被写体になりそうだから撮ってみたいんだ」

「いや。でも……」


 見学だけのつもりだったペトロは、遠慮しようとした。


「いいじゃん。撮ってもらえよ、ペトロ。リハーサルだと思ってやってみればいいじゃん」


 ヤコブにも勧められ、彼が世話になっている企業の社員がいる手前あまり強情に拒否するのも悪い気がしたペトロは、少し迷ったが撮ってもらうことにした。

 ヤコブが立っていた位置に立つと、天井からの証明が眩しくて少し目を細めた。


「……どうしたらいいですか」

「いつも通りで。自分の部屋だと思ってリラックスして」

(リラックスって言っても……)


 カメラマンはペトロが緊張しないように声を掛けてくれるが、身体はガチガチだ。ヤコブはカメラのシャッター音にも緊張せずにできていたから、それくらい簡単なものだと思っていたが、いざ他人に見られながら撮られるとなるとカメラから視線は逸らすし、完全にロボットになってしまった。


「じゃあ……。後ろの壁に向かってちょっと歩いて、振り向いてみようか」


 カメラマンはもう少し自然なペトロを撮りたいらしく、リクエストした。ペトロは言われた通りに後ろの壁に向かって何歩か歩き、カメラマンの合図を待った。


「こっち向いて」


 合図を聞いて振り向き、その瞬間を狙ってシャッターが切られた。

 ファインダーを覗いていたカメラマンは、撮ったばかりの素材を液晶モニターで見直した。その表情はなぜか、一瞬の奇跡でも目撃したかのように呆然としていた。


「……きみ。やっぱり、すごくいい被写体だよ」




「ただいまー」

「お疲れさま、ヤコブくん。ペトロくんも、見学どうだった?」

「うん。まぁ。勉強にはなったかも」

「それよりも! 二人に土産があるんだぜー」

「土産?」


 ヤコブは帰宅早々に、ウキウキでスマホを出した。「見せるのかよ」とペトロは嫌がるが、彼の心情などお構いなしに見せる気満々だ。


「何のためにもらって来たんだよ。ほら、見ろこれ!」


 ヤコブがユダとヨハネに見せたのは、カメラマンが撮ったペトロのベストショットだ。その場にいた全員を絶句させるほどの大好評だった一枚なので、ユダたちにも見せたいヤコブがもらって来たのだ。


「カメラマンの好意で撮ってもらったんだけどさ、すごくね? オレもこの出来には驚いたわ」

「これ、本当にペトロか?」


 ヨハネは同一人物を疑って写真と本人を見比べる。ペトロもだんだんと気恥ずかしくなってくる。


「恥ずかしいから、あんまりじっくり見るなよ。こんなのもらって来なくてよかったのに」

「リハだけど、プロに撮ってもらった記念すべき一枚目だぞ? 喜べよ」

「いや、これ、普通の顔だし……」


 あまりイジってほしくないペトロは、どこかに隠れられる場所があったら頭だけでも突っ込みたかった。


「いや……。素敵だよ。この写真」


 その中で、唯一ユダだけは真顔で写真を見つめていた。

 正確には。美しいけれどどこか影があり、儚げで、芯のある雰囲気を醸し出す姿に、釘付けになっていた。


「キレイだ」


 無意識の本音を、ユダは二度も口にした。

 スタッフたちから褒められたけれど、その褒め言葉を聞いたペトロは少しだけ胸がキュっとした。さっきは何も感じなかったのに、急にこそばゆくなった。


「……かっこ悪くないなら、いいけど…………。部屋戻る!」


 急にめちゃくちゃ恥ずかしくなり居た堪れなくなったペトロは、走るように部屋に戻って行った。

 今日の仕事のことを報告したヤコブも部屋に戻り、事務所は再びユダとヨハネだけになった。が、背中を向けるユダが口元を抑えていて、何やら様子がおかしい。


「ユダ。どうかしましたか?」

「……ううん。何でもない」


 振り返ったユダは、いつものユダだった。デスクに戻り仕事を再開する姿もいつもと変わらない。

 けれどヨハネは、その心の動きを何となく感付いていた。




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