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第4話 新しい日常②



 三人が到着したのは、デッサウアー通りとシュトレーゼマン通りがぶつかるT字交差点。歴史博物館や私立大学が目の前の場所だ。

 その道端で、学生らしき若い女性が苦しみ呻きながら、逃げ惑う人々に襲い掛かろうとしていた───いや。まるで助けを求めて縋ろうとしているように見える。


戦闘領域レギオン・シュラハト!」


 降り立ってすぐさま領域を展開し、周辺には使徒と女性だけとなった。


「あ"あ"あ"っ!」


 悪魔によって自身のマイナス感情をコントロールできなくなった女性は、痛みにも聞こえる叫びとともに倒れ、その身体から黒い霧が吹き出し憑依していた悪魔が姿を現した。

 が。これから戦闘だというのに、ペトロも若干倒れそうになっていた。


「大丈夫? ペトロくん」

「ジェットコースターみたいだった……」

「確かに最初はジェットコースターだな。慣れても一人乗りジェットコースターだけど」


 人間離れした身体能力で、跳躍したり建物の屋根のあいだを飛んで渡ったり高速で走ったりと、人生初経験の異次元な移動で少々参っていた。それでも、移動のほんの数分で身体が慣れてきたのが不思議でならない。

 ペトロは、目の前の異形を初めてちゃんと目視した。

 人の影のように黒く、頭と腕と足を形作り、顔も認識できる。この、この世の生き物ではないものが人の中に棲み付くなど、常識として理解はしていても信じられない。だが、今見ているものがこの街に蔓延り、そしてペトロが対峙する敵となったのだ。


「あの鎖って?」


 ペトロは女性と悪魔を繋げている鎖の正体を訊いた。


「あれは、人間で言えば臍の緒みたいな役目だよ」

「憑依した人間の外に出ても、繋がった鎖から負のエネルギー《栄養》をもらってるんだ。そして、悪魔の所有物という証でもある」

「何だよそれ。マジで貪ってるのかよ」

「本当、頭にくるよね。だけどあれを断ち切らないと、憑依した悪魔を祓魔エクソルツィエレンしきれないんだ」

「ユダ。僕が潜るので、ペトロのことお願いします」

「頼むよ、ヨハネくん」


《潜入《インフィルトラツィオン》!》


 ヨハネは倒れた女性の傍らに座り、その深層への潜入を始めた。


「潜るって……」

「憑依された人の深層に潜入してトラウマを和らげ、悪魔への負のエネルギーの供給を妨げるんだ。悪魔を祓った際の反動も抑えられるんだよ」

(そんなこともしてるんだ……)

「さあ。こっちも来るよ。絶対に私の側から離れないでね」


 ユダはペトロの壁となる。

「ガ%ァ#£ッ!」悪魔は残った二人に狙いを定め、襲い掛かる。伸びた腕が鞭のようにうねり、コンクリートを砕き信号機を破壊する。


祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 ユダは無数の光の粒を降らせ鞭の腕を切断する。がしかし、鎖から得る負のエネルギーによって腕はすぐに元通りになる。


「元に戻った!?」

「こういうところが厄介なんだよね。悪魔って!」


 ユダは防御フェアヴァイガンで攻撃を防ぐ。ヨハネが帰還するまでペトロを守りつつ、一人で悪魔の相手をするしかない。




 ヨハネは、憑依された女性の深層に到着した。

 暗く、一つの光も音もない、どこまでも続く深海のような空間。ここが人間のトラウマが沈む深層意識の世界だ。

 その孤独の世界に、外の世界と違ってアウトドアウェアを着た女性がへたり込んでいた。彼女の周りには、人物や風景が写った何枚もの写真や、カメラ、男性物の時計などが散りばめられている。


「どうして……。どうしてなの……。わたしのせいで、あなたは……」


 女性は涙するが、そこには悲傷よりも酷い自責と自己否定、そして絶望感があった。


(何かがきっかけで、大切な人を喪ったことを思い出してしまったのか……)

「あの時わたしは、自分のことばかり考えてしまった……。そのせいであなたは……。わたしが手を離さなければ……。わたしは、なんて酷いことを……」

(そうか……。その気持ち、わかるよ。自分のことを守りたくなってしまったばかりに、大切な人のことを二番手に考えてしまった。その罪悪感を直接彼に伝えることもできなかったのが、心残りなんだな)

「わたしはなんて愚かなの……。何でこんなわたしが生きているの……。こんな気持ちはもう嫌……。生きているのが辛い……。だからお願い……。わたしを、彼のところに連れて行って……」


 女性は罪悪感からの開放を望んだ。それが彼女が一番に望む救いだった。

 だが、そんな救い方をするためにヨハネはここへ来たのではない。ヘドロのように溜まった罪悪感を排除し、この何もない孤独な世界から一歩ずつ抜け出すすべを見つけるための手助けだ。


「あなたにとっても忘れたい記憶だというのに、それでも大切な人のことを覚えていた。それだけその人のことを愛していたんですね。でも、愛する人のことを忘れるなんて、できるはずがない。例え悲痛と罪悪感にまみれた記憶だとしても、消すことはできない。それはあなたが、愛した人の存在を否定したくないからだ」

「……忘れたくない……。わたしは、彼を心から愛していたから……」


 ヨハネは女性に寄り添うように腰を下ろし、丸くなったその背中に温かな手を添えた。


「きっと、あなたから忘れ去られた方が彼は悲しむ。たぶんそれが、彼の本当の意味での死になるから……。あなたが一日も忘れずにいてくれていることを、きっと彼は知っています。あなたが背負っている罪も。その謝罪は、十分に彼に届いています。だからこれ以上、自分を責めないで下さい。あなたが望む救いは、彼が望む救いじゃない」

「彼が望む、救い……」

「あなたは、忘れてはならない経験をした。けれどその経験は、自分自身を苦しめるために覚えてる訳じゃない。愛する人を忘れない他にも、確かな理由があるはずです。その意味を、探して下さい。それが、あなたがこれからも生きる理由になる。そして、大切な人がいたことをこれからも忘れないで。それが彼への償いです。だからこれからは、あなたの人生を前向きに生きて下さい」

「……わたしは……このまま生きていていいの?」


 顔を上げた女性は頬に涙の跡を残し、大きな目にも溢れ出そうな涙を浮かべていた。罪悪感を捨て切れない罪悪感と、罪の意識から開放されたいという救いをヨハネに求めた。

 ヨハネは、女性を安心させるように微笑む。


「生きて下さい。きっと、背負っているものが罪ではないことが、未来でわかるはずだから」


 女性の目に溜まった涙が、ダムのように溢れ出した。無色透明の雫が落ちると、真っ暗だった世界に光を灯した。

 彼女のすぐ側にあったメモには、こう書いてあった。


“ぼくの愛する人へ。二人が大好きな山の頭頂に成功したら、ぼくの一生で一度の願いを聞いてほしい。”




 一方のユダは、ペトロを庇いながら戦闘を続けていた。


天の罰雷ドンナー・ヒンメル!」


 二人一緒にいるので一点を狙って攻撃してくるので防御もしやすいが、さすがに一人で攻撃と防御は力の消耗が早い。ユダはトリッキーな攻撃をされないだけましだと思い、悪魔の動きに神経を集中させた。

 悪魔はユダの攻撃を食らいながらも、何度も腕を再生させて攻めてくる。しかしその再生速度は、少しずつ遅くなっていた。


「グ℃ォ§ッ!」

防御フェアヴァイガン!」


 鞭の威力も最初ほどではなくなってきた。


闇世への帰標ベスターフン・ニヒツ!」

「@ア%ゥッ!」


 光の玉から放出された光線を悪魔は食らう。

 防御のあとにすぐさま反撃できる余裕があるほど、悪魔の力が弱くなっている。それはつまり、憑依した女性からのエネルギー供給が減少していることを意味する。


「……ワタ、§……ノ、¢∈イデ……」

「!?」

(しゃべった!?)

「グオ#$ッ!」


 諦めの悪い悪魔は無計画に、無闇やたら四方八方に鞭を振るう。建物の外壁は削られ、地下鉄の看板が切断され落下する。

 ところがその攻撃は、無計画という訳ではなかった。無闇やたらに攻撃しているのではなく、ユダの死角にいるペトロを狙っていた。

 破壊音が自分の背後に迫っていることに気付いたペトロは振り向いた。


防御フェアヴァイガン!」 


 そして、教えられてもいないのに咄嗟に自身で防御した。


「すごいじゃないかペトロくん。初戦なのに上出来だよ! だけど……。私の死角を狙ったのはちょっと許せないかな」


 ユダはメガネを僅かにギラッとさせた。


御使いの抱擁ウムアームン・エンゲル!」


 光が悪魔を包み込んだ瞬間、爆発するように弾けた。「グ&オ@¿ッ!」悪魔は致命的なダメージを負い、腕の再生もままならない。


「こっちが自由に動けないからって、悪魔でもそのやり方は反則だよ」


 その時、憑依された女性の深層に潜入していたヨハネが戻って来た。


「そろそろ戻って来ると思ってたよ。大丈夫?」

「はい。というか、想像した通り、ペトロを庇いながらは大変そうですね。あとは僕がやりますよ」

「頼むよ」


 悪魔を警戒してペトロを庇うユダに変わって祓うために、ヨハネは自身のハーツヴンデを出す。


心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン────〈苛念ゲクイエルト〉!」


 ヨハネは長槍の形をしたハーツヴンデを手にし、女性と悪魔を繋ぐ鎖を断ち切った。そして、力を注いで光を帯びる〈苛念ゲクイエルト〉を悪魔に照準を合わせ構える。


「天よ。濁りし魂に導きの光を!」


 一気に放出された力は光の直線を描き、悪魔を貫いた。


「ヴォ$¥ア¢ァ……!」


 光に貫かれた悪魔は足掻くも、エネルギー源を断たれ為すすべもなく塵となって消滅した。


「……すごい」

(これが、使徒の力……)


 ペトロは圧倒された。

 教会の神父のように神に祈って十字を切るのではなく、人間を食い物にする悪しき存在を容赦なく無に還す使徒の力。それは、平穏を望む全ての人たちの願いの形であり、その道を開くために自身の痛みを伴うことを顧みない覚悟の戦いだった。


「これで憑依された人のトラウマはなくなるのか?」

「完全にトラウマが消える訳じゃないよ。痛みや悲しみが軽減されて、前を向きやすくなるだけ」

「トラウマを完全に消し去れば楽に生きられる。けど、僕たちがやってることはそういう救いじゃないんだ」


 戦闘が終わり領域が開放されると、戦いの行方を気に掛け待っていた人々が駆け寄って来た。憑依された女性の友人たちは彼女を抱き起こし、その無事に安堵して涙した。


「友達を助けてくれて、ありがとうございます!」

「やっぱりすごいな、使徒は!」

「今日もカッコよかったよ!」


 と、恒例の感謝の拍手とハグの嵐が始まった。慣れたユダとヨハネは一人一人に対応するが、ペトロは巻き込まれた感じでオロオロする。


「オレ、何もしてないのに……」

「じゃあ。ご褒美の前借りだね」


 そう言ってユダは微笑んだ。

 怒涛の急展開となった仲間入り初日だが、使徒の思いの強さと覚悟、そして人々からの信頼の厚さを実感したペトロだった。




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