「すまないね。わざわざこんな所までご足労いただいて」
女性は芝居がかった動作で振り返り、鮮烈なルージュを引いた唇の口角を上げた。独特な紫色の瞳で見据えられると、どうもその姿形が作り物のように思えてならなかった。
「あの病院はどうもクリーンすぎていけないな。正直、素直、潔白。嘘や陰謀の香りは全くない......あぁ、すまない。話過ぎるのは私の癖でね」
そう言って肩をすくめた女性は、こちらに手を差し出した。
「クータル・ハーパライネンだ。タハティ・インターナショナルの社長をやらせてもらっている」
一瞬、ミナトは握手するのをためらったが、しないのも失礼だと思い、相手の掌に自分のものを重ねた。
聞いたことある名前だ、とミナトは思った。確かUNI最大の民間軍事会社(PMC)だったはずだ。
地球と月の重力の均衡点の一つである、?(ラグランジュ)4のコロニーを丸ごと買い取って一大軍事拠点として運用しているという話は、かなり有名だった。
何せ軍事コーディネーターの派遣から技術開発まで何でもこなせる、まさにマンモス企業だ。コロニーの一つや二つは、簡単に手に入るのだろう。
だが一つ解せなかったのは、それだけの大企業の社長が、ミナトにわざわざ会いに来たということだった。
「ミナト・ヒイラギです。俺なんかに何の用なんです?」
「『俺なんか』っていう自分を卑下する言い方は良くないな。君は謎の敵の襲撃を生き残ったんだから」
「偶然ですよ」
「英雄と呼ばれた人々は皆そうさ......さて、今日君を呼びつけたワケだが、これを見てほしい」
胸元から小さな端末を取り出し、それを広げて見せた。そこには、黒い鎧のようなものが映し出されていた。両手両足は普通の人間のそれより延長され、背部には一対のコーン型のスラスターのようなものを背負っている。
「これは......ハードスーツ?」
クータルは得意げに笑うと、端末を操作して3?イメージを表示させる。
「より進歩したモノだよ。それに、洗練されている。これはわが社が開発している次世代型の機動兵器さ。空間機動兵装システム(SWS)。君の新しい力だ」
画面の右端に目を向けると、〈コヨーテ�U・アーマー〉と書かれている。だが、ミナトには彼女の言っていることがよく分からなかった。
「そ、そりゃあ、申し出にはありがたいですが、俺の脳はもう......」
今は手指の麻痺だけで済んでいるが、これから先どうなるか分からない中で、戦いに出るのはまさしく自殺行為に思えた。
「我々が治す」
思わず、ミナトはクータルの瞳をまっすぐ見つめていた。アメジストのように深い紫の瞳は、腹の内を読ませない、ミステリアスな輝きを湛えている。
だが彼女の言葉を、疑う理由もなかった。
「治すって......どうやって?」
「これはまだ未認可の技術だが、君の脳にナノマシンを注入する。それが壊れた脳細胞や神経の代わりになってくれるというわけだ。もちろん、その施術はタハティの施設でしか行えないが」
人間の一部を機械に置換するサイボーグ技術は、旧世紀の時代から研究が行われ、かなり実用性のあるものは存在している。
しかしながら、技術とは軍事転用されるもので、より強靭な兵士を『生産』するのにもサイボーグ技術は使われた。
手足を切断し、脳にインプラントを埋め込む。人間の判断力と、機械の正確さを持った兵士たちは数々の戦場で活躍した。
戦争がある内は、まだいい。だが平和な時代が訪れれば、市井の人々はサイボーグ兵士たちの莫大な維持費を疎むようになった。予算縮小によるしわ寄せは、維持に金がかかるサイボーグ兵士たちを犯罪へと駆り立てた。
結果として、健常者へのサイボーグ化施術は禁止となり、それは新暦が始まって千年が経とうとする現在は宗教の教義のようになっていた。
クータルの言っていることは回りくどい表現だが、要は違法な人体実験、ということだろう。しかし、それを口に出すことはできなかった。クータルとかいう社長も、それをわかっていっているのだ。
それにこれは願ってもないチャンスだ。こんな場所でリハビリを続けているよりも遥かに効果的だし、グレスの仇も取れる。
それでも、本当に戦えるのだろうか。あのSWSとかいう新兵器も、動力はCPドライブのはずだ。適合率が極端に低いミナトに、それが扱えるのだろうか。
疑いだした脳に、グレスを失った瞬間が蘇る。目の前でなす術もなく凍り付いた彼女の身体の感触が、タトゥーのようにまだ身体に刻まれている。
だが、それでも。
「やらせてください!」
絞り出すように、ミナトは言った。
「俺が、俺がやります!」
一国に匹敵する巨大企業を操る女社長は、ニヤリと口角を上げた。
「なら、私と一緒に行こうじゃないか。あらゆる束縛から逃れ、力のみが支配する世界へ」
彼女は、悪魔だ。美しいが、病的にも見える笑みに、これから禁忌を犯そうとしているミナトはそう思った。
しかし、これから戦う相手のことを考えれば、悪魔と取引だってしてみせるというのが、ミナトの覚悟だった。