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第7話「赤の衝撃」

 検査服を着させられたミナトは、窓から雪が降る外の様子を眺めていた。飛行場のエプロンでは、巨大なクモのような多脚戦車が歩いていた。恐らく、これからVTOL機に搭載されて、境界線まで運ばれていくのだろう。

 ここはかつて、ロシア連邦と呼ばれる広大な領土を持っていた国の跡地だ。しかし西暦末期に起きた経済の崩壊と、それに乗じた各経済圏の領土争いがこの地を無国籍領域(ノマド・テリトリー)へと変貌させていた。

 そしてこの場所は、そんな無法地帯に存在するタハティの支配領域だった。

「うちの〈アルビオン〉コロニーでやっても良かったんだが、建前上あそこはUNIの領域だからね。ここは少々物騒だが、口出しされなくていい」

 とは、クータル社長の言っていることだった。

 ミナトは、未だ震える指で、右のこめかみに触れた。温かな皮膚のさなかに、冷たいごつごつとした感触がある。

 これこそ、手術を終えた証だった。


◇◆◇


ノマド・テリトリーでの二週間の経過観察を経て、ミナトは宇宙に上がっていた。久しぶりの無重力は、どこか心を落ち着かせないところがあった。身に着けている真新しいタハティの制服の着心地の悪さも、それに拍車をかけていた。

 ミナトは〈アルビオン〉内を走るリムジンの中で、新しく発行された身分証を見つめる。

 プラスチックのつるつるとした肌触りが、今はハッキリと分かる。それはこの脳に埋め込まれた『センティエント』と呼ばれるナノマシンのおかげだった。

「調子はいいようだね。もっとも、そうでなければ困るのだが」

 クータルは上機嫌に白ワインの入ったグラスを揺らすと、一口飲んだ。サングラスをかけた彼女は、その風貌も相まってどこぞのスーパーセレブのような出で立ちだった。

 大企業の社長というのはこういうものなのだろうと思いつつ、金持ちとは見せびらかさずにはいられないのだという実感を得た。

「それは俺も同じです。先生には、無断で出て行ってしまいましたから......」

 良い医者だったと、ミナトは思う。だからこそ、何も言わずに出てしまったことを悔やむのであった。

 それでバツが悪そうに窓の外に視線を投げれば、なだらかな丘陵と、その中にそびえるビル群が見えていた。

 しかし地球から上がってきたばかりでは、どうも作り物の自然という感じが拭い切れなかった。どうしてそう思うのだろうと自問して、きっと風のせいだと自答した。

 コロニーの空気はどうも肺に詰まる感じがするし、生ぬるい風は肌に絡みつくようで好きにはなれなかった。

 ここは宇宙移民時代の初期に建設された観光コロニーで、豊かな地球環境を再現している。

 しかし地球の環境が元に戻りつつあれば、人々は『リアルな』自然を見たくなるし、火星のテラフォーミングが成功したので、こういう場所は無用の長物となったのである。

「まぁ、口封じくらいはしておくさ」

 UNI最大の企業を抱える社長の言い方は、どこかぶっきらぼうというか、作業的な所があって好きにはなれなかった。

 それが分かるような顔をしていたのか、それとも心を読んだのか、「気に入らないって顔してるね」とクータルは言った。

「無理に気に入る必要はないよ。私はただ君に復讐の機会を提供するだけだからね」

「......その見返りはなんです?」

「十分な戦果とデータさ」

 あまりにもはっきりと言われてしまったので、返す言葉が見つからなかった。仕方なく身分証を胸ポケットに仕舞うと、湾曲した人口の緑を背景に、人型の影が飛んでいるのが見えた。

 ハードスーツにあんな推力はない。となれば、あれがクータルの言うSWSなのだろう。

「......?」

 人工の空を舞うそのSWSは、どこかこちらを見下ろしているようだった。

 やがてそのSWSがどこかに飛び去ってしまうと、リムジンが停止した。どうやら目的地のタハティの基地に着いたらしい。

 この基地は、〈アルビオン〉コロニーにある民間用の宇宙港とは真逆の位置にあった。もちろんこの基地と軍用の港は繋がっているのだから、直接来ることも出来たはずだ。

 しかし、あえてコロニーの中を見せたのは、クータルの心遣いというものなのだろう。

 リムジンがゆっくりと加速し、基地内に侵入する。ブルータリズム風のコンクリートで出来た角ばった建築は、コロニー内の豊かな自然とは対照的だった。

 久々に感じ取った軍の雰囲気に、自然と身が引き締まる。

「さて、以前説明した通り、君には〈ハルシオン・ブルー〉に所属してもらう。私直属の実験部隊だ。そこでその最新型脳インプラントの〈センティエント〉や、その他もろもろの新装備のテストをしてほしい」

 リムジンが再び停止し、横開きのドアが開く。そこには、腕を組んだ男とミナトと同年代くらい少女がタブレットを抱えて立っていた。少女の髪は長く、若草色で、柔和そうな笑みからゆったりとした雰囲気を感じることができた。

 隣にはジープ・タイプの電気駆動車が停まっている。

「紹介しよう。彼が隊長のガルダ・スラヴ。となりの彼女がリリー・ゾンマーフェルト......あれ、アカネ・フアイアは?」

 今来ますよ、とぶっきらぼうに答えたガルダは制服の襟に取り付けたマイクに、何か声を吹き込んだ。

 すると、先ほど空に見えたSWSが頭上を横切って、ガルダ達と並ぶようにゆっくりと着地した。それはコンクリートの地面を傷つけないようにという配慮だったのだろうが、ミナトには自らの力量を誇示しているように見えた。

 ヘルメットを外し、籠った空気を振り払うように頭を振った。その燃え上がるような赤い髪は肩につくかつかないくらいの長さで、利発そうな琥珀色の瞳がこちらを見下ろしていた。無骨なマシーンから覗くその顔はどこかアンバランスで、心をザワつかせた。

 しかしこのようなことで圧倒されては、下に見られてしまうと思い、ミナトは意を決した。

「ミナト・ヒイラギです。これからよろしくお願いします!」

 頭を下げるミナトの肩を、クータルがポンと叩いた。

「ま。そういうことだから、どうぞよしなに」

 振り向きざま、クータルはサングラスを降ろしてウィンクをしてみせたのだが、ミナトはどう反応すればいいのか分からなかった。

 ややあって、クータルを乗せたリムジンが出発してしまうと、ガルダは自分の首筋に手をやった。

「お前の経歴は読ませてもらった。士官学校では優秀だったようだが、適合率は......」

 それでも、と食いつくように話を遮った。

「必死に食らいついてみせます!」

 ミナトとしては意思表示のつもりだったのだが、ガルダは不快そうに眉をひそめただけだった。「まず第一に、隊長の話を遮るな。二つ目に、食らいつくのは当然だ。どんな理由で社長が俺の隊に入れたにせよ、俺はお前のケツを拭いてやるつもりはないからな」


 完全に出鼻をくじかれて呆然としかけたミナトをよそに、「ついてこい」とガルダは背を向けて歩き出した。


「ふふっ、頑張ってね」


 リリーと紹介された少女はガルダに続きつつ、柔和そうな笑みを浮かべて手を振った。次に何かに背中を押されたかと思うと、横を通り過ぎていったアカネが鼻で笑う声が聞こえた。


 それで、あの大きな腕に押されたのだと気づいたのと、彼女が飛び立ったのはほぼ同時だった。


「......最悪だ」


 仇を取る以前に、ここでうまくやっていけるのかという漠然とした不安が、二人に続く足取りを重くさせた。


 過去最悪の出だしであることは誰の目にも明らかだが、巻き返しは努力次第でできるはずだというのは、ミナトの経験だった。


 根無し草だったミナトが士官学校でグレスほどではないにしろ優秀だったのも、適合率が最低でもそれなりにやっていけてたことだって、逃げずに立ち向かったからだ。


 大丈夫だと自分に言い聞かせつつ、残った二人と共にそばに止めてあったジープに乗った。


「聞いているとは思うが」


 ジープを走らせながらガルダが口を開いた。


「うちは民間軍事企業(PMC)だ。元々UNIのカバーしきれない領域の警備が主な主業務だったが、OCTOの再征服(レコンキスタ)戦争で急成長を遂げた。今では医療、植民惑星の開拓、兵器開発から慈善事業まであらゆる分野に進出している」


 再征服戦争の話は、授業でも嫌というほど聞かされた。おおよそ百年前に起きた、太陽系外に移り住んだ人々が、太陽系に戻ろうとして起きた大きな衝突。


 その凄惨さたるや、あわや人類が滅亡するとさえ考えられたほどだったらしい。


 やがてジープはエレベーターに進入し、扉が重苦しい音を立てて閉まると同時に上昇を始めた。


「俺たち軍事分野の仕事は、護衛や紛争地への派遣、軍事訓練も行っている。まぁ今はタイラントへの対処で手一杯ではあるが......そういうわけで、俺たち〈ハルシオン・ブルー〉のような実験部隊は新装備の評価試験として、前線に派遣されることになる」


 つまり一番死ぬ危険性が高い部隊、ということなのだろう。だから覚悟がないなら出て行けと言っているのかも知れないが、ミナトとしては望むところだった。それだけ、グレスの仇を取る出番が来やすいということなのだから。


「実験部隊は〈ハルシオン・ブルー〉以外に、〈サラマンダー・レッド〉、〈ケルベロス・ブラック〉の二つがある。まぁ同じ実験部隊と言っても名ばかりで、ほとんど単独で動いているがな」


 エレベーターが止まり、ドアが開くとそこは輸送船が納められた巨大な格納庫だった。ジープを降りて、思わずその光景に目を奪われる。そこに収められていた白亜の船は、〈ニュー・ホライズンズ〉ほどの大きさではないにしろ、兵器特有の威圧感を放っていた。


「これが〈ハルシオン・ブルー〉のプレイアデス級強襲用輸送船〈アルキオネ〉だ」


 アームに保持された白い船体は直線的なデザインで、中央部にカタパルトが配されている。武装はいくつかの機関砲が見られる程度で、船の外殻には『ALCYONE』の文字と、水色のカワセミのシンボルが刻まれていた。


「では、次にこの船のクルーを紹介しよう......船長! 新入りを連れてきたぞ!」


 整備クルーの男と話していた女性がこちらに向くと、スタスタと近づいてきた。猫背に白衣、そしてフチなしメガネという出で立ちでは、一見して船長だとは分からなかった。


 船長の女性はミナトに顔をずいっと近づけると、メガネのつるを押さえながらなめまわすように見た。ほのかに香った埃っぽい匂いに、思わず咳き込みそうになる。


「......君が例の新インプラントを使ってるっていう?」


「あ、はい。ミナト・ヒイラギっていいます」


 思わぬ急接近に戸惑いつつも答えると、分析が終わったのか、女性は背筋を伸ばして腕を組んだ。


「私はこの船の船長をやらせてもらっている、メリル・ダリッジだ。どうぞよろしく」


 それから視線をガルダに移して、


「〈カメリア〉のレポートは、今夜にでも出しておく」


「ん、そうだったな。よろしく頼む」


「あと〈ジャッカル〉の移送は終わったが、最終調整にはまだもう少し時間がかかる」


「分かった。予備機の〈コヨーテ〉はいつでも動かせるようにしておけよ」


 礼をしたつもりなのか、少しだけ腰を曲げたメリルは、そのまま踵を返して〈アルキオネ〉の方へと歩き去っていった。


 それと入れ替わるようにして、アンダースーツの上にジャケットを羽織るという出で立ちのアカネが、SWSの整備区画の方から現れた。


 軍仕様のジャケットの厳つい雰囲気と対照的に、下半身はぴっちりとしたスウェットスーツのようなものだったので、思わず目線がそちらに移ってしまった。


 そしてそれに気づいたらしいアカネは眉を片方上げて腕を組み、不満を露わにした。


「隊長、本当にこんなひよっこがウチのチームに?」


「それが社長の意向だ。給料もらってんだから、文句言うな」


「でも——」


「——ダメだ。それにお前には、彼の訓練教官をやってもらう」


 ガルダがそう告げた途端、アカネはポカンと口を開けて固まった。それからその事実を受け入れるのを拒むように首を振って、


「ありえない! ここには戦うためにいるんです!」と、ミナトを指さした。


「こんな適合率最低男の訓練をするためじゃない! それに、リリーの方が向いてる!」


 こっちこそ願い下げだと言いたいのをこらえつつ、ミナトはそっぽを向くだけに努めた。


「いいか。これは隊長命令だ」


「自分にはその命令を拒否する権限が——」


「ない。いいから黙って、こいつを一か月で使えるようにしてみせろ」


「でも!」


「そうしたら、いっぱしのパイロットだって認めてやる」


「私はもう十分にパイロットをやってます!」


「隊長の命令が聞けんうちはダメだ」


 どうしようもできずに二人が口喧嘩しているのを眺めていると、いつの間にかに真横に立っていたリリーがそっと耳打ちした。


「あの二人、時々こうなの」


「まぁ、喧嘩するほど仲が良いっていうでしょ」


「......そうね。少し羨ましい」


「......?」


 その真意を問いただそうとリリーの方を見やるが、その視線が遠くに投げかけられているのが分かったので、聞かないでおいた。


「分かった! 分かりましたよ!」


 そうこうしているうちに、決着がついたらしかった。


「やってみせますよ! 一か月で使い物になるようにします!」


「はぁ、まぁ、そういうことだ......リリーは俺と来い」


 了解、と隣に立っていたリリーが小走りでガルダの方へ行ってしまうと、そこには不機嫌なアカネとミナトだけが残された。


 あからさまにイラついている様子のアカネは、組んだ腕を執拗に人差し指で叩いていた。


「で、そういうことだから。適合率最低男」


「あのな、こっちにもミナト・ヒイラギっていう名前があるんだ」


「だったら何? 私は事実を言ってるだけ。適合率最低男」


「でも......言いにくいだろ。それ」


「うっさい! ほら、さっさと始めるよ!」


 肩を怒らせて歩くアカネの後姿を見て、これで良かったのだろうかと思わざるを得なかった。




◇◆◇




「くそっ! 速すぎる!」


 ミナトは〈コヨーテ〉のヘルメットの中で毒づいた。レーダーが捉えたターゲットを追って、模擬戦用のペイント弾を装填した機関砲を向けるが、その瞬間には全く別方向に向かってしまう。


 〈アルビオン〉コロニーの近くにある訓練用宙域で、二人は模擬戦を行っていた。〈アルビオン〉に入った昨日の今日で、ミナトはこの〈コヨーテ〉を使いこなせなければならなかった。


 アカネの〈カメリア〉は水中を泳ぐ魚のように自在に動き回るが、ミナトの動きはまだどこかぎこちない。簡単な操作説明と二十分の慣らし運転しかしてないなら、なかなかの動きだと思うが、アカネは容赦がなかった。


『ほらほら、止まってたら撃たれるよ!』


 腹部を殴打されるような衝撃が連続し、被弾したという表示がHUD上になされる。SWSの扱う武装は個人用のものとは大きさが異なり、ただのペイント弾でもかなりの衝撃が伴う。


『いい? SWSは装甲宇宙服(ハードスーツ)とは違う。どちらかと言えば戦闘機に近い。だから立ち止まれば——』


 後ろに回り込んでいたアカネが、がら空きだったミナトの背中に脚部を叩き込んだ。


『一瞬で墜とされる』


 歯が立たないという焦燥感と戦いながら、崩れた姿勢を戻そうとする傍らで、アカネはその様子をあざ笑うかのように飛び回った。


『ほら、基本は同じなんだからさ。優等生さん?』


「分かって......いるけどっ!」


 アカネに追従するように動きつつ引き金を引くが、ジグザグに右へ左へと動き回る〈カメリア〉に弾を当てることはできない。


 そして〈カメリア〉が全スラスターを逆噴射したかと思うと、顔面に飛び膝蹴りを食らっていた。


 ショックアブソーバーでも減衰しきれなかった衝撃に頭が揺さぶられ、視界が色とりどりの火花が散ったように輝いた。


 それから視界に靄がかかり始めたかと思うと、ミナトの意識は深い暗闇に落ちていった......

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