アンダースーツがしっかり体に密着していることを確認すると、アカネ・フアイアは大きく息を吐いた。SWS着用者に与えられるアンダースーツは、少女特有の幼いが艶めかしいラインをはっきりと浮かび上がらせる。
だからといって今の彼女に、恥じらいなどという感情は存在しない。
首の部分にある、SWSとのアタッチメントに触れると、首輪のようだなと思いついた。
薄暗い部屋の中、モニターの青白い光が照らす個室に、ボロボロのぬいぐるみが浮かんでいる。煤で薄汚れ、荒っぽく縫われた痕が痛々しいクマのぬいぐるみ。
アカネにとって、命の次に大事なものだった。それを両手で包み込むようにすると、ぬいぐるみに顔をうずめた。
かすかに残る過去の香りが、アカネが戦う理由を忘れさせないでくれる。十三年という時を重ねても、この感触はいつも変わらなかった。
「......行ってきます」
壁にかけられたネットにぬいぐるみを押し込み、出入り口に体を流した。スイッチを押して扉を開くと、すぐそこにはアカネと同年代くらいの少女が、今まさに扉を開けようとしていた。
「リリー。どうしたの?」
薄紫の瞳を驚いたように瞬かせた、長い若草色の髪の少女は、えへへ、とはにかんだ。彼女もアカネと同じようなアンダースーツを着用している。思わずたわわに実った胸部に目線が行ってしまい、アカネはげんなりした。
「ちょっと早すぎたかな?」
「久々だからって張り切りすぎ」
そんなリリーの正面を横切って、格納庫に向かう。
「だって、いつも新装備のテストばっかりだったんだもの!」
追いすがるように、不満そうな表情のリリーが目の前に滑り込んだ。
「それが私たちタハティ実験部隊第三小隊〈ハルシオン・ブルー〉の仕事でしょ?」
左肩にスカイブルーで描かれたカワセミのエンブレム。それは彼女たちがタハティの実験部隊であることを示していた。
「実戦でテストしろっていうのが、社長の言っていることなの?」
「そういうことみたい」
「あ、そういえば今度新入りが入るって聞いた?」
「え? 何それ」
新入りの話など、これまで一度も聞いたことがなかった。機付長からでさえ言っていなかったのにと思うのと同時に、リリーは隊長と親しかったことを思い出した。
「隊長がそういう話があるんだって」
「......へぇ、あんたたち仲いいもんねぇ」
「ちょ、ちょっと!」
図星だったのか、リリーが頬を染めて反論する。ずっと一緒にいるからそういう感情が沸くのも理解できるが、流石に年齢が離れすぎだというのが、アカネの思うところだった。
それに、ようやく上手く纏まっているのに、見知らぬ誰かのせいでかき回されるのは嫌だというのが本心だった。
話したくないのはこっちか、と自覚し、リリーと隊長の関係を言い訳にしてしまったのが申し訳なくなった。
格納庫に入ると、すでに大勢の整備員たちが出撃に向けて慌ただしく動き回っていた。〈ハルシオン・ブルー〉に与えられた、強襲用輸送船〈アルキオネ〉は、全部で四機のSWSを搭載できる。
アカネのSWSは〈カメリア〉。大型の実体剣を備えた、接近戦主体の機体だ。〈リンクス・アーマー〉と呼ばれるそれは、ネコ科の動物の耳を模したセンサーと、腰にある四基のスカート・スラスターが特徴的だ。
スカート・スラスターは腰部から伸びるアームに支えられた、四基のスラスターモジュールで、これがフレキシブルに稼働することで宇宙空間での立体的な機動を可能にしている。宇宙を飛び回る様はまさに躍るように翻るスカートのようで、それがこのマシーンをより女性的に見せていた。
同じ〈リンクス・アーマー〉タイプはリリーの〈レフティー〉で、こちらは遠距離用にカスタムされた機体だった。大型のビーム砲と、そのエネルギーを賄うエネルギータンクを背負っていた。
残った二機は隊長機の〈コヨーテ・アーマー〉と、余剰パーツを使ってくみ上げられた予備機だった。予備機といっても、応急修理に必要なパーツを取るために置かれているだけであって、戦闘用ではない。
「二人とも、準備はできているな?」
先に来て待っていた男がそう言った。年齢は四十代に入ろうとするくらいだろうか、顔に刻まれた皺が増えつつあるが、くたびれた中年、という表現も見合わない。その瞳に宿る鋭い眼光は、今もなお彼が現役であることを示していた。
はい、とアカネとリリーが返事をすると、男は満足そうにうなずいた。この男こそ〈ハルシオン・ブルー〉隊長である、ガルダ・スラヴだ。
「状況は聞いている通りだ。今から十分前、木星から地球圏に貨物を運んでいたウチの輸送船が消息を絶った」
差し出した端末からホログラム映像が投影され、輸送船が本来通ったであろう航路が表示される。
「しかし、ナビゲーションシステムの故障で冥王星軌道まで飛ばされてしまった」
輸送船のアイコンが木星から消え、冥王星軌道上に表示された。
そんなバカな、とアカネの口から思わず乾いた笑いが漏れる。木星から地球に向かうのに、どうして故障で冥王星まで飛ばされるというのだろうか。
ガルダはアカネに構わず続ける。
「我々の任務は、この輸送船を無事に〈アルビオン〉コロニーまで護衛することだ。分かっているとは思うが、この宙域は『タイラント』の最初の襲撃があった場所だ」
そのことは、アカネの記憶にも新しかった。
半年前に起きた謎の敵による冥王星制圧は、太陽系中を震え上がらせた。UNIは冥王星を奪回せんと攻撃部隊を組織したものの、あえなく全滅。敵の正体も掴めず、ただ〈暴君(タイラント)〉とだけ呼ばれるようになった。
そして現在に至るまで、そのタイラントに勝った者はいない。
端末をしまいつつ、ガルダは続ける。気づけば、格納庫は静まり返っていた。それほど、皆が緊張している証拠だった。そして全員が、彼の言葉を待っていた。このどうしようもない状況を打破してくれるような言葉を。
「厳しい戦いになるだろう。しかし、これに打ち勝てば、俺たちが希望になれる。気を引き締めていけ!」
『了解!』と、二人は答えた。
「では、出撃準備だ」
その言葉に押し出されるように、格納庫に活気が戻る。黒と赤いストライプで塗装された自機の装甲前面が開くと、アカネはそこに自分の身体を押し込んだ。それを認識したアーマーが自動で装甲とヘルメットを閉じると、全身を這いまわるような冷たい感触に身をよじらせた。
それは気密ジェルが注入されている証拠で、これがあることで〈リンクス〉シリーズはより柔軟な可動を実現していた。
システム、兵装、気密のチェックにグリーンライトが灯り、搭載されたCPドライブに火が入る。それを確認した機付長がサムズアップした。アカネも返すように親指を立てると、ガントリーのロックが外れる衝撃が体を揺らした。
聞きなれた駆動音に交じって、格納庫内の減圧を開始するアナウンスとアラームが鳴り響く。ブシュー、という排気音が急激に聞こえなくなる中、ガントリーごとカタパルトデッキへ移動していく。そんな中、船長のメリルから通信が入った。
『ブリッジより通知。光学カメラにて目標を視認。アーマーのナビゲーションシステムに座標を転送。また現在、輸送船の護衛部隊がタイラントと思わしき物体と戦闘中。部隊との通信を試みているが、ブリーチ干渉により通信不能。レーザー通信は切らないように注意してくれ』
目の前で手のひらを開いたり閉じたりを繰り返して、アカネはマニピュレーターの動作を確認した。そしてスキージャンプの選手よろしく膝を曲げて、発進体勢を整えた。
これまでタイラントと戦って勝利したという報告は一つもない。人類はこの相手に苦汁を舐めさせられ続けてきたわけだ。
でも、それは今日で終わりだ。
『レイダー了解』
ガルダの通信が耳朶を打つ。レイダーはガルダがUNIの宇宙軍にいた頃から使っているコールサインらしい。
『お前たち、今回の任務は、輸送船を敵の手から遠ざけることだ。変な色気は出すなよ』
『レフティー了解』
リリーがコールサインを使って返答したのにならって、アカネも「ラジャー、カメリア」と返した。
「そうは言っても、全滅させる気で行かないとね」
アカネの言葉に『当然!』とリリーが返答し、ガルダのため息が聞こえた気がした。
『ハルシオン・レイダー、発進どうぞ』
『......レイダー発進する!』
ガルダがカタパルトから飛び出し、いよいよ次は自分の番だと心臓が高鳴る。
『続いてハルシオン・カメリア、発信どうぞ』
アカネは緊張に昂った身体を落ち着かせるように深呼吸した。
「カメリア、行きます!」
カタパルトが解放され、約三Gの力が身体を押しつぶさんとする。レールから飛び出したアカネは、レーダー通信が接続されていることを確認すると、目的地まで一直線に飛ばした。
〈アルキオネ〉からの観測データ通りの地点に、輸送船はいた。先頭部分の操船・居住ブロックを頭、その後方に連なる色とりどりのコンテナを胴体とすれば、輸送船はさしずめ蛇のようだった。
しかし現在は先頭部から伸びる背骨(スパイン)が半ばでへし折れ、プラズマフィールドから解き放たれたコンテナが漂っていた。まだ一部は保持されているが、全部がこの宙域にばら撒かれてしまうと、回収は困難だろう。
無線にはノイズが溢れ、敵味方識別装置(IFF)が機能しなくなれば、そこはタイラントの領域だ。しかし〈アルキオネ〉とのレーザー通信のおかげでガルダとリリーの位置、それから船から観測される各種データならやり取りできる。
そして前方にCGで補正された味方機の姿が確認できた。最初の量産型SWSの〈コヨーテ・シリーズ〉で、ガルダの使用する機体のベースになっているものだ。見える違いで言えば、頭部ヘルメットが角ばった形状であることと、オプション装備がないので細身に見えることだろう。
それからその味方が30mmプラズマキャスター〈クレルヴォ〉を放っている方向を見やると、ついに敵の姿を認めることが出来た。
それは巨大なオタマジャクシといった風貌で、両側面にあるスリットからは白い光が翼状に噴出しており、噴出口の近くは蜃気楼のように光が歪んでいた。
『アカネちゃん! 見えた?』
「うん。でもあれ——」
味方機が放つプラズマ弾は、確かにタイラントに命中していた。しかし、全くダメージがないように見えるのだ。
「——バリアでもあるっていうの?」
すぐさま腰部に折り畳まれていた〈カレトヴルフ〉——全長2mはあるであろう実体剣だ——を展開すると、スロットルを全開にして援護に向かった。
だが味方の〈コヨーテ〉は〈クレルヴォ〉を撃ち続けたまま微動だにしない。一種の狂乱状態に陥っているのだろうか。
間に合うかどうかは五分五分、アカネは叫んでいた。
「避けて! 避けないと、死ぬよッ!」
無線は使えないので、相手には届かない。しかし、そうせざるを得ないのがアカネという人間だった。
そしてアカネがタイラントとの間合いに入るや否や、剣を振りぬいた。
〈カメリア〉とほぼ同サイズの大剣はタイラントを容易に切断し、泣き別れになった胴体が爆散する。
やった、という手ごたえに気分が高揚するのもつかの間、別の接近するタイラントを捉えたセンサーが警告音を鳴らした。