「なぁお前、あのリリー・ゾンマーフェルトとデートしたって本当?」
訓練用〈コヨーテ〉に足を突っ込もうとしていたミナトは、ミゲルの思わぬ言葉に動きを止めた。
「えっ? 何だって?」
「だから、俺っちたちが木星行ってる間に、お忍びデートしたんだろってことだよ! クルーの間じゃ、結構ウワサになってんだぜ?」
確かに、あの状況はそう見えても仕方がないとは分かっていたが、こうして目の前に突き付けられると反応に困った。
リリーの姿はハンガー内には見当たらなかったが、むしろその方が良かったと思った。目でも合ってしまえば、気まずいことこの上なかったからだ。
「別に、そんなことない」
ミナトの対応は素っ気ないものだった。
「おいおいおい、謙遜するなって。分かるよ? おっぱい大きいもんな?」
ミゲルが両手でおっぱいの形を作るのを見て、思わずため息が漏れる。
「お前そういうトコしか見てないのかよ」
「正直になれって、な?」
ミナトと肩を組んでニヤニヤと笑うミゲルは、いつになく楽しそうだった。
「まぁ、確かに、大きい、とは思う」
言葉にしてみると、昨日のことが鮮明に思い出されてしまって、顔が熱くなるのを感じた。
「はっ! やっぱりな! お前も隅に置けない奴だぜ!」
「だから、違うって......!」
ふとアカネの方に視線を移すと、頭以外をすでにアーマーに包まれた彼女は、こちらをギロリと睨んでからヘルメットを被った。
下品な男だと思って、怒っているのだろうな。ミナトはそう考えることにした。
「......なんか今日は一層やべぇかもな」
「覚悟しとくよ」
下半身をアーマーに押し込んで、ジャケットを着るように上半身のパーツに腕を通す。あとはオートでセパレート部分の気密が確保され、頭以外は全て装着が完了した。
「ま、頑張れよ。応援してるぜ」
ミゲルが離れながらヘルメットを放り投げると、ミナトはそれを受け取った。
「あぁ。今日こそは倒してみせる」
親指を立ててミゲルを見送ると、ヘルメットを被って〈コヨーテ〉のシステムを起動させた。相変わらずCPドライブの出力はSWSの起動閾値ギリギリの数値で、追加バッテリーのおかげで何とか動かせるレベルだった。
ハンガー内の減圧が始まり、ガントリーがカタパルトデッキに移動していく。
『昨日はお愉しみだったらしいじゃない』
アカネからの通信だ。
「彼女が先に誘ったんだ。それ以上のことはない」
『......どうだか』
その声音には明らかにイラつきが滲んでいた。
「いつにも増して機嫌が悪いな?」
『うるさい。伸ばした鼻の下、叩き折ってあげる』
「どうかな。今日は勝てる気がしてるんだ」
無線を切られ、アカネの返答もないまま両者はカタパルトデッキへ上り、出撃準備を整えた。それからブザーが鳴って、ミナトは虚空へと押し出されていった。
訓練のために用意された宙域に向かう間も、アカネからの言葉はなかった。しかし相当怒っているらしいな、というのをミナトは感じていた。
リリーとアカネの仲は、決して悪いものではない。ならばどうして、彼女と一緒に出掛けたことを怒っているのだろう。
それから、彼女はリリーを取られたと思って怒っているのかもしれない、と思いついた。
「......結構カワイイ性格してるんだ......」
思わず呟いてしまい慌てて口を噤んだが、無線を切られているおかげでアカネに聞かれることはなかった。
そして宙域に到着すると、二人は互いに逆方向に急旋回して距離を取る。そこから再び反転し向き合う形になった。
今回の訓練宙域には、小惑星を模したダミーバルーンがあちこちに配置されている。遮蔽物になるかもしれないが、アカネ相手には分が悪いと考えた。
ブリーチ干渉によってレーダーが使えなければ、熱紋と目視で相手を捉えるしかない。アカネがその機動力を生かして小惑星から小惑星へと移動する戦略を採れば、こちらはかなり不利を強いられる。
チャンスは、彼女が攻撃を仕掛けてくる一瞬にかける他ない。
アカネの〈カメリア〉から信号弾が打ち上げられ、それがパッと弾けると訓練が始まった。
一直線にこちらに来ることは訓練とシミュレーターから分かっていたので、じっとチャンスを窺った。
そして、
「来たっ!」
視界に小惑星の陰から飛び出した〈カメリア〉を捉え、引き金を引く。相手もペイント弾を乱射しながら一気に肉薄する。二人は頭を掠める形ですれ違い、アカネは小惑星の群れに消えていった。
初めの頃こそ速すぎる一撃離脱戦法に手も足も出なかったが、今では対応しきれるようになってきた。だが、問題はここからだ。
機体を反転させて、背面からの攻撃に備える。〈カメリア〉は隠密性を度外視して高速機動に特化している機体だ。そのため、放熱フィンが増設されている。それはつまり、相手の動いた軌跡がはっきりと見えるということだ。
熱紋の痕跡から今の動きを予測し、照準を向ける。相手もそれを分かっているので、フェイントをかけつつも攻撃の手を緩めないでいた。
アカネが追いかけ、ミナトがそれを迎撃する。それを数度繰り返して、アカネがミナトの頭上に移動しようとしたのが見えた。それをチャンスと見て、次はこちらから仕掛けるようにスラスターを全開にした。
立場が逆になり、今度はミナトが追いかける番になる。だが、〈カメリア〉の慣性を殺して急制動、急加速を行う独特な動きに翻弄されていた。
その時、昨日のリリーの言葉が脳裏をよぎった。
動きを追おうとしないで、リズムを読み取ればいいの......
「リズムか......」
そのことを意識した途端、アカネの動きが急に規則性のあるものに見えてきた。実物を相手にした訓練と、彼女の動きを再現したシミュレーターでの訓練。その間、ずっと彼女の動き、考え方を理解しようと努めてきた。
それが、リリーのアドバイスによってついに芽吹いたのだ。
右、左、バレルロールしての下降......
勝てるかもしれないという直感が、意識を高揚させた。時間の流れが鈍化し、次に彼女がどう動くかが手に取るように分かる。しかし、それに身体がついて来ないのを感じていた。たとえるなら、水の中で身体を動かすのに似ている。
冷めた自我で不便な体だと悪態をつきつつ、引き金を引いた。完全な命中とは言えないものの、ふくらはぎ部分にペイント弾が命中し、青い花を咲かせたように見えた。
それに驚いたアカネが、ちらりとこちらを振り返る。その瞬間には照準を〈カメリア〉の胴体に合わせていたが、これは囮の動きだった。
〈カメリア〉が急停止し、スラスターが逆噴射を始める。それによってミナトの照準は彼女から滑っていくが、これこそミナトの待ち望んでいた瞬間だった。
急制動からの反転飛び膝蹴り。初日に手痛くやられたアカネの一撃だ。
反転したアカネが目前に迫る中、ミナトは冷静に上体を逸らして攻撃を躱していた。アカネが正確に頭部を狙ってくると分かっていたからこそ、出来た動きだった。
両者がすれ違い、がら空きになった背中にペイント弾を撃ち込んでいく。
〈カメリア〉の黒と赤の装甲が青に染まる。それは、疑いようのないミナトの勝利だった。
◇◆◇
「......はい」
「あ、ありがとう」
薄紫の闇に縁取られたサテンカーリが遠くに見える小高い丘の上で、ベンチに座っていたミナトはアカネから缶コーヒーを受け取った。あの訓練の後、ミゲルやクルーたちに初勝利をさんざんもてはやされたミナトを、アカネがこの場所に呼び出したのだった。
基地からほど近いこの場所からは、テラフォーミング技術の実証試験場や、様々な野菜やらが栽培されている畑が見えた。ここだけ見れば宇宙に浮かぶコロニーとは思えないが、空を仰げば太陽代わりの光シャフトと、さらに向こう側に湾曲した大地が見えた。
アカネがミナトのすぐ隣に座り、缶コーヒーの蓋を開けると、グイとそれを飲んだ。
「ほら、あんたも飲みなさいよ」
「あ、あぁ......」
何せ急なことだったし、まさか呼び出されるとは思いもしなかったので、ミナトは少々面食らっていた。それでも恐る恐るコーヒーを口にすると、あまりの苦さに思わずせき込んでしまった。
「うわ、にっが......」
「へぇ、無糖はダメなんだ」
あざ笑うように言ったが、その笑みには少し影があるようにも見えた。それからしばしの間沈黙が続き、二人の間を冷たい風が通り過ぎていった。
そんな中で最初に口を開いたのはアカネだった。
「......やられちゃったわね。私」
返す言葉が見つからずに探していると、アカネは言葉を続けた。
「この二週間でよくやったと思う。正直、かなり侮ってた」
「......俺はそれを分かってたから、見返したくなったんだよな」
思い返すまでもなく、そう言った。実際ここまでやれたのは、彼女に対する反発心があったからこそだというのは、ずっと自覚していたことだった。
アカネは空になった缶を握りつぶすと、立ち上がって大きく伸びをした。
「でもおかげで、天狗になってたんだ、っていうのが分かった。きっと、タイラントに勝ったせいね」
そう自嘲するように笑って、こちらに手を差し伸べる。
「あなたはもう、私たちの立派な仲間よ。ヒイラギ君」
ミナトも立って、彼女の手を取った。
「ミナトでいいさ。こちらこそよろしくな」
「じゃあ私もアカネで。これからよろしく」
久々に触れた人の手はとても温かくて、恐ろしいほど脆く感じた。それからアカネはミナトのすぐ横に腰掛けると、潰れたコーヒー缶を見つめながら口を開いた。
「私、四つの時に両親を亡くしたんだ。それで、復讐のためにここに来た」
突如として告げられた過去にミナトは戸惑いつつも、彼女の横顔を見た。夕日に照らされたアカネの顔は悲しげで、その幼さとは無縁であろう疲れがにじみ出ていた。
きっと認めてくれたのだろうと思いついて、正直嬉しかった。
だがどうにかその悲しみを和らげたくて、ミナトは俺もさ、と呟いた。それを聞いたアカネの目がにわかに見開かれるのを見て、さらに言葉を続ける。
「いつだってそうさ。大事なものは、いつも俺の手をすり抜けて、どこかに行ってしまう。それで何とか掴もうと手を伸ばしてみるけど、やっぱりいつも手が届かない」
それを聞いたアカネはしばらく考えるような素振りをして、空を仰いだ。
「分かるよ、それ。でも、失い続けるだけが人生じゃない、とも思う。実際、ここでリリーや、隊長みたいないい人たちとも出会えたしね」
「そう、か」
今までグレスの仇を取ろうとしてばかりで、ミナト本人も気づいていなかった。でも確かに、ここには仲間と呼べる人たちがいて、そのおかげで立ち直れている部分もある、と気づけたのだ。
苦いコーヒーをこんなに美味しく感じられたのは、生まれて初めてだった。