「......ミナト? 起きてるの?」
アカネに話しかけられて、ミナトはハッと我に返った。電車のドアに寄りかかって外の宇宙を眺めていたら、いつの間にか周りの音が聞こえなくなるほど集中していたらしい。
「え? あぁ、起きてるよ」
リリーも揃って二人にこちらの顔を覗かれると、どうも少しむずがゆいような、そんな気がしてならなかった。こういう状況を両手に花と言うのだろうから、嬉しさと、そんな状況に置かれている自分が場違いなような恥ずかしさがあった。
ミゲルも誘っておくべきかと思ったが、採掘基地での作戦の後は寮にも帰ってきてないようだった。戦い続けると決めた彼の決意は、かなり固いようだ。
休みを与えられたと言っても、最初の二日間は結局〈ジャッカル〉の調査に協力せねばならず、彼女たちに誘われたのも昨夜のことだった。そうなれば、ミゲルのことを忘れてしまうのも、当然の話ではあった。
「それにしても、アカネちゃんが自分からカフェに誘ってくれるなんて......なんか感動しちゃった」
そう感激して涙を拭くフリをするリリーに、アカネは不機嫌そうに腕を組んでみせた。
「別にいいじゃない。私だって一応女の子なんだし......」
「まぁリリーの言ってることも分かるけどな」
ミナトがリリーに同意すると、ますます不機嫌になったらしいアカネの肘が左腕に直撃した。あまりの鈍痛に顔をしかめたミナトに、自業自得よ、と言いたげにアカネは顔をそっぽに向かせた。
「ミナトこそ、あんなにボーッとしちゃって、何してたのよ。なんか変なことでも考えてたんじゃないの?」
「変なことって......こんな状況で考えられると思うか?」
「どうしてよ」
「だってさ、お前たちはある意味世界最強の十七歳の女の子だろ? 俺だって、まだ死にたくないんでね」
アカネはそれを誉め言葉と受け取ったようで、頬を少し赤らめて視線をミナトから逸らした。リリーはそんな彼女を素直で可愛いと思ったのか、口に手を当てて微笑んでいた。
だが、アカネが言っていたことは一部正しいと言えた。
というのも、グレスのことを考えていたからだ。まだ彼女のことを引きずっている、そう思われたくないと思ったのが、ミナトの心情だった。
そういうわけで、ミナトは無理に話題を変えさせようとして、アカネたちを誉めたのだった。
駅に到着するというアナウンスが鳴り、車内がにわかに騒がしくなる。ミナトたちも降りる準備をすると、ゆるやかに電車は停止した。
前回はこの駅に隣接したショッピングモールに行ったが、今回は繁華街に向かうことになる。そこは文字通りビルの森といったような場所だったが、壁面緑化が施されているため、そこまで息苦しいという印象はなかった。
平日であるにも関わらず出歩いている人は多く、あまり都会という場所に馴染みのなかったミナトには、かなり新鮮だった。
「それで......そのカフェっていうのはどこだ?」
手元の小型端末とにらめっこしているアカネに尋ねると、彼女は画面を見たまま唸るだけだった。
「あの子方向音痴なの」
リリーがそう囁いた。
「それに少し前までは駅の乗り換えすらまともにできなかったのよ?」
そう付け足すと、顔を真っ赤にしたアカネは「それは昔の話でしょ!」と言い返した。だがアカネの言っていることも分かる。というのも、サテンカーリのホームは、あとから増設された路線と、元々あった路線が集結した巨大な迷路のようなものなのだ。
ミナトも、一人で放り込まれれば迷うことは必至だろう。
「任せて大丈夫なのか?」
「面白いからしばらく見てましょ」
「あー......ははは......」
いたずらっぽくウィンクしたリリーに、ミナトは苦笑いを返すだけだった。基地にいる時や、作戦中の彼女とは思えない姿に、思わずより親近感が沸いた。
それから一時間町中をあちこち迷いながら歩くことが分かっていれば、と後悔した時には全てが手遅れだった。
案内されたカフェの席にどかっと座り、一息ついたミナトは店内の少し涼しめに調整された空調を心地よく感じていた。
午後三時頃の店内で、満席とは言えないがそれなりに客がいるようで、少し騒がしさがあった。どのテーブルも若い女性が多く、そんな中でミナトは少し居心地の悪さを感じていた。
「方向音痴とは聞いたけど、まさかここまでとは......」
「う、うるさいわね! アプリの表示が悪いのよ!」
そう言って、ばつが悪そうにアカネはメニュー表をのぞき込むフリをして顔を隠した。その隣に座っているリリーは何だか楽しそうにニコニコしているが、この二人の関係性はどこか不思議に思うところがあった。
友達、家族、ひょっとしたら恋人関係、なんてこともあるのだろうか。そこまで考えたところで、邪推は良くないと思いついたミナトは頭を振って、メニューに集中した。
確か事前の情報では、ここの名物は特製プディングらしい。ならば、最初に頼むべきはこれ一択だろう。
「俺は決めたけど......二人は?」
アカネとリリーは顔を寄せて同じメニューを見ていたようだが、やがて決めたようだった。ミナトが店員を呼び、注文を始める。
「えーっと、俺はこのプディングと紅茶のセットで......」
二人は、と目配せすると、「私たちも同じもので!」とリリーが答えた。
「考えてることは同じか」
「そりゃ、このために来たんだもんね? アカネちゃん?」
「え、まぁ、そうなんだけどさ......」
だが一つ分からないのが、どうしてミナトも連れてきたのか、ということだった。普通、こういうのは女の子だけ、というのが気楽なものであろう。クルーの中にも女性はいるのだから、わざわざ自分でなくとも、というのがミナトの感想だった。
「でもそうなら、別に俺を呼ばなくてもいいんじゃ......?」
「そんなこと言わないの。命を預けあう、仲間でしょ」
リリーの仲間、という言葉で、ミナトの脳裏に蘇ったのは〈ニュー・ホライズンズ〉で演習をしていた士官学校の同級生たちだった。色々あったが、それでも仲間だった、とミナトは思っている。もっとも、全員宇宙の闇に飲まれて消えてしまったが。
「それに、デートした仲じゃない?」
「デートって......」
ミナトは思わぬリリーの言い方に狼狽えた。それにアカネがこちらを睨みつけるような目線を向けるのを見てしまって、気まずそうに視線を逸らす。
「私が選んだ服、着てくれて嬉しいのよ」
「へー、やっぱりよろしくやってたんじゃない」
じとりと見つめるアカネの追撃にミナトは怯む。だがここで言い負かされてしまうのも癪なので、反撃をすることにした。
「デートっていうのは、対等な関係な人同士がするものだと思っていたけれど。俺はただ連れまわされただけだ」
「その割には楽しいって言ってたじゃない?」
「それは連れまわされた結果というだけで......」
そう言って視線を戻すと、リリーの表情が少し曇ったように見えた。やりすぎたか、という後悔が胸を貫いた感触に、手汗がじわりと滲むのが分かった。
ミゲルにも言われたが、きっと自分は大人げないんだな、と思いついた。同年代の女の子相手にムキになってしまって、正直になれないのはきっとグレスが死んだせいだろう。
だがそんな気まずい空気に助け舟を出すように、出来上がったプディングがテーブルに運ばれてきた。
カラメルがたっぷりとかけられたプディングを見て、リリーの頬がほころんだのを見たミナトは、ほっと胸をなでおろした。
「こういうの食べるのって、久々なんだよなって......何やってるんだ?」
スプーンを持って食べようとしたミナトをよそに、二人は各々の携帯端末を持って、プディングの写真を撮りまくっていた。
「何って、写真を撮るに決まってるじゃない」
アカネにいかにも当然といった表情で言われてしまったので、ミナトは自分だけが異世界にいるのではないかと錯覚した。
「そっか、女の子って......」
「ミナト君は撮らないの?」
「いや、俺は写真とか苦手だし......」
正直この目の前のプディングが美味しそうなので、すぐにでも食べたい気分だった。しかしそれを直接言ってしまうのも気が引けたので、微妙な受け答えをしてしまった。
「じゃあ誰が一番キレイに撮れるか勝負するっていうのはどう?」
アカネの提案にリリーが乗ってしまうのを見て、いよいよ引き下がれないと分かれば、ミナトは渋々携帯端末を取り出すしかなかった。
結果は言わずもがな、ミナトの撮った写真は他二人のものに比べて、どこか薄暗いという印象を受けてしまった。
「カメラの性能差ってこと、ないよね......?」
写真を見比べながら、ミナトが呟く。リリーはニヤニヤしながら「ないねぇ」と答えた。それにアカネの見下すような笑みを見てしまったので、ミナトはため息をつきながら端末をしまった。
「ま、まぁとにかく食べようぜ......」
いただきます、と小さく呟いて、スプーンでプディングの一部をすくって口に運ぶと、確かに名物と言うだけあった。
程よい苦さのカラメルに、甘いプディングがベストマッチしている。舌触りも心地よく、いくらでも食べてしまえそうだった。
そうして思わず無言になって食べていると、アカネとリリーが不思議そうにこちらを見つめていることに気づいた。
「あー、なんかあったか?」
「いや、なんか意外だなって」と、アカネ。
「どちらかというと和菓子派だと思ってたから」と、リリー。
「いや、別に和菓子も好きだけどさぁ。そんな顔すんなよ」
言い終えるそばから互いにおいしいね、と言い合っている二人を見て、ミナトはまぁいいかとプディングに視線を戻した。
その時、横に何かの気配を感じて、そちらの方を見やると、そこには席に座っているグレスが、こちらに笑いかけていた。
「......ッ!」
思わず息が止まる。
世界の時間が止まったような気がした。
ありえない、と理性が告げるが、その佇まい、その仕草、それら全てが彼女をグレス・アルティラであることを示していた。
そんな中、彼女は優雅な足取りでこちらに近づいてくる。それはまるで、キューを出された女優がするような、完璧な動きだった。
そして、彼女の身体がみるみるうちに凍り付いていき......
「なんかいたの?」
悲鳴を上げかけた所で、アカネの言葉がミナトを現実に引き戻した。視線をアカネに向けてから、再度横を見ると、そこには見知らぬ女性がその友人と談笑している姿があった。
「人違い......」
そう言葉にしてみれば、ミナトはホッとせざるを得なかった。
「え?」
「あ、いや、昔の友人に似てるかなっていう......ワケ」
「あぁ、それで......」
ミナトの視線を追って納得したようにアカネが紅茶をすする横で、へぇ、とリリーがニヤニヤと笑っていた。
「カノジョが恋しいんだ?」
「なんでさ」
平静さを装ったつもりだったが、これでは認めてしまったようなものだと気づいた。
「ガールフレンド、分かるでしょ?」
「分かるけど、分からないよ。どうしてそう思ったのかってさ」
「こういうのは久しぶりだって言ってたでしょ? 君みたいな人が一人で来るとは思えないし、あとは乙女の勘ってやつ?」
なるほど、いい推理じゃないか。そう思ってしまったので、降参するように両手を挙げた。
「アタリだけど、探偵さんの推理には間違っているところがあるな」
「どんな?」
リリーは目を輝かせて興味津々のようだったが、アカネは大して興味はなさそうにプディングをつついていた。
「何故なら、その子とはもう別れてるから」
「あーっ! それはズルいよ!」
「ズルくないだろ......」
そう言って肩を落とすと、リリーの端末がブルリと震え、再び彼女は悲鳴を上げる羽目になった。
「しまった! 基地で実験しなきゃいけないの忘れてた!」
端末を取り上げたリリーが髪をかきむしりながら立ち上がると、プディングを残したまま風のように去って行ってしまった。
残されたアカネとミナトは、戸惑い気味にお互いに顔を見合わせた。リリーの皿には食べかけのプディングが半分ほど残されている。
「......アカネ、食べるか?」
ミナトからの申し出に、アカネは控えめに頷いたのだった。