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第23話「少女たち」

 作戦開始を目前にして自室にいたミナトは、最後に守らなくてはならない〈ルキナ・コロニー〉をもう一度見ようと思い立った。そしてドアを開けると、そこには不安そうな表情を浮かべたアカネが、壁にもたれかかるような形で漂っていた。

「アカネ? どうしたんだ?」

 彼女に近づき、右手でその肩に触れる。アカネの視線がゆっくりと動いて、ミナトの瞳に注がれた。慣性で彼女の少し上方の位置にいたミナトに向けられる、上目遣いの視線はどこかあどけなさを感じさせた。

「ミナト......」

「ん?」

 聞き返しながら、頭が天井にぶつかりなったので、左手で二人の身体を支えた。それで、アカネの体重はそこまで重くないことに気づいた。

「そういえば、まだありがとうって、言ってなかったよね」

「あ、あぁ、かもな」

 言われてみれば、トロヤ群で助けた時に感謝の言葉を聞いていなかったと気がついた。別に感謝してもらいたいから助けたわけではなかったので、ミナトもあまり気にしていなかったのだ。

「あの時、私やっぱり焦っちゃって、あんたがあそこまで強かったから、その......」

「無理をした?」

 彼女は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、静かに頷いた。

「......意外だな」

「え?」

 それは、ミナトの素直な感想だった。

「アカネは、そういうの気にしないで、我が道を行くタイプだと思ってた。なんだろ、スッとした芯が通ってるというか、そんな感じ。今思えば、そういう所を尊敬して、憧れたから、強くなれたのかもな。だから——」

 一秒でも早く、彼女に追いつきたいという気持ちが、ミナトを急成長させたのだと、いまならはっきりと分かる。おかげでグレスの仇を取り、人々の命を守ることもできる。だから本当は、感謝しないといけないのはミナトの方だと思いついた。

 アカネは耳まで真っ赤に染めた状態で、ミナトを見つめていた。

「——ありがとう。だからもう、焦って突っ込んだりするなよ?」

 彼女にそう笑いかけて、ミナトはアカネから離れた。もう少し一緒にいたいのは山々だが、それはこの作戦が終わってから、ということにしておきたかった。生きて帰る理由は多いことに越したことは無い。それにモタモタしていたら、展望デッキに行く前に時間が無くなってしまう。

 離れていくアカネは最後に何かを言おうと口を開いたが、結局何も語られることは無く、ミナトはそんな彼女に背を向けた。

 船内は張りつめたような空気が漂っていて、決戦前夜の様相を呈していた。それは廊下をすれ違うクルーの表情だとか、船内放送の声音で分かるほどだ。

 それもそうだろう。十億人の命なんて、どこか現実離れした数字だが、実際自分たちの背後にはそれが確かに存在する。

 その不条理というか、分からなくても理解しなければならない現実が、容赦なく襲ってくるのだ。

 展望室に到着すると、ディスプレイ一杯に表示された〈ルキナ・コロニー〉の前にリリーが手すりを掴んでコロニーの様子を眺めていた。

 衛星の一部を切り取った土台の上に、大気を閉じ込めるためのバリアと空を表示させる機能を備えた数万ものアーチがそびえるそのコロニーは、まるで漆黒の海に浮かぶ大陸のようだった。

 生き物が住める環境を維持するための人工重力、環境維持、その全てのエネルギーを賄う巨大なCPドライブは、文字通りコロニーに住む人々の生命線だ。そしてそれをタイラントも欲している。

 自分たちはその巨大な生存競争の狭間にいた。

 何も言わずにリリーの隣に行くと、彼女にならって手すりを掴むとコロニーを眺めた。あそこに守らなければならない人たちがいる。そう思うと、不安に怯えていた心に力がみなぎってくるような感覚がした。

 ねぇ、とリリーが口を開いた。

「私、ちゃんとやれるかな......?」

「やれるよ。さっきだって、俺たちを元気づけてくれたじゃないか」

 みんなで蟹を食べに行こうと提案してくれた時、確かにミナトは救われた気がした。彼女はいつも、他の人たちのことをよく見て、必要な行動をしてくれている。だからこそ、自分のことが疎かになっていたのかもしれないと思った。

「でもやっぱり私......」

 くぐもった声でそう言うと、彼女はうつむいて、その右手をミナトの左手に重ねた。アンダースーツ越しでも分かる体温と震えに、リリーが怖がっていることが分かった。

 それから抑えが効かなくなったように、リリーはミナトを自らの正面に向かせると、その胸に飛び込んだ。

 突然のことに困惑しつつも、ミナトはそんな彼女の小さな背中に手を回した。そして、周りはみんなナーバスになっているのに、どうして自分は平気なのだろうと考えた。

 だがこれまでに見たことない、弱気なリリーの姿を見てしまって、そんな彼女を救えるかもしれないと思えば、そんな違和感などどうでもよかった。

「私、不安だよ......どうすればいいの? どうしたら、みんなで笑って過ごせるの? どうすれば......」

 それに対する答えを、ミナトは思い浮かばずにいた。個人的にはやれることをやるしかないと思っていたが、それはリリーの知りたい答えじゃないと思うのだった。

 だからミナトは、彼女の背中をさすってやることしかできなかった。

 そうしてしばらくした後、気が済んだのかリリーは顔を上げた。目頭は腫れ、無重力で瞳に張り付いた涙が、彼女の動きに合わせて揺れ動いた。その度に薄紫の瞳の色彩が。光との繊細なグラデーションを描き、ミナトの視線を釘付けにする。

 ミナトはそんな瞳で見つめられてしまえば、動くこともままならなかった。そして彼女の右手がミナトの左頬に添えられ、その口元が動いた。

 それが「ごめん」と言っていたことに気づいた瞬間には、二人の唇は重ねられていた。

「っ......」

 全ての感覚が、彼女の包み込むような甘い匂いと、唇の感触に集中していた。それは一方的なものだったが、優しく、全てを委ねたくなるようなキスだった。

 どのくらいそうしていたかは分からなかったが、互いの顔を離したとき、リリーはまた泣きそうな顔をしていたのは、よく覚えている。

 取り残されたミナトは、〈ルキナ・コロニー〉に視線をやりつつ左手首のブレスレットに触れた。

「俺、どうするべきだと思う? グレス......」

 すると、手すりに腰掛けたグレスはこちらに笑いかけた。

「君の心のままにすればいいよ」

「だよな」

 ミナトがグレスに笑みを返すと、彼女がいてくれて良かったと、心の底からそう

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