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第21話「約束」

 船内での待機が始まって丸一日。筋力維持のためのトレーニングを終えたミナトは、ブリーフィングルームに戻ってきた。そこにいたのは、各々暇をつぶしているアカネとリリーだった。

 ディスプレイには、擬人化されたウサギとオオカミが追いかけっこをする子供向けアニメーションが映し出されている。

 そしてその右上に表示されているカウントダウンは、件の巨大不明物体が〈ルキナ・コロニー〉に到達するまでの時間だった。

 現在の進路と速度を維持した場合の予想時間は、あと四日と十五時間。だがその物体がタイラントのマザー級なら、小型のハーベスター級が先行してくる可能性がある。

 実際の時間は、もっと短いはずだ。

「状況は何か変わった?」

 いや、とリリーはゆっくりときりもみ回転をしながら答えた。アカネはクマのぬいぐるみを抱いた状態で、隅っこの座席でゲーム機とにらめっこしている。

「それどころか、まだ一般には情報公開すらしてないみたい」

 壁にぶつかる直前で静止したリリーは、壁面に固定されていたディスプレイのリモコンを手に取り、チャンネルを切り替えた。

 そのニュースで取り上げられていたのは、タイラントへの対応の批判だった。だがそれは現在直面している危機のことではなく、初の地球外生命体との接触で武力を選ぶのは野蛮であるということだった。

「......呑気な人たちだよね」

 ゲームをやっていたアカネが、ぼそりと呟いた。

「自分たちが銃を握らないからってさ。前線では沢山人が死んでるのに」

 〈ニュー・ホライズンズ〉の襲撃から始まり、確かに規模は大きくないものの、被害は確かに出ている。トロヤ群での戦闘で〈ハルシオン・ブルー〉に戦死者が出ても、PMCの戦死者は公式にカウントされない。

 知らないから、想像することさえ出来ないんだと、ミナトは思いついた。所詮は遠くの星の出来事なのだろう。

 しかし、自分たちは地球圏からここまで八時間ほどで来られてしまうのだ。今回の巨大不明物体だって、明日寝て起きたら目と鼻の先にいるかも知れない。

 そう考えると、背筋が凍るような思いをした。

 その時、扉が開いてガルダが中に入ってきた。

「社長は試験部隊の全隊投入を決めたらしい。〈ケルベロス・ブラック〉はライブの中止、〈サラマンダー・レッド〉もこちらに向かっている」

 手に持ったリモコンを操作して、現在のコロニーと標的の位置関係が表示させる。一応進行方向には防衛艦隊が集結しつつあるようだが、通常の戦艦の火力で太刀打ちできる相手とは思えなかった。

「それってつまり、あのデカブツはここに来るってこと?」

 アカネはゲーム機から目を逸らさないまま、そう訊ねた。

「確率は四十パーセントほどだが、社長は来ると思ってる。〈ユピテル・テクノクラート〉の議会に即時避難の開始を求めているが、ここは木星圏最大の経済拠点だからな。今すぐにというのは難しいだろう」

「もし避難して、襲撃がなかった場合の経済的損失は、計り知れないでしょうね」

 リリーは顎に手をやると、眉をひそめた。そこで、ミナトはこの会話の違和感に気づいた。ガルダもアカネも、経済の話をしている。人が生きていてこその経済活動なのに、どうして真っ先に考えるのがそっちなのだろうかと、思わずにはいられなかった。

 難しい判断なのは分かる。だが、それでも......

「でも、人命の方が大事でしょう......?」

「それはそうだが、先人たちが築き上げたこの世界を守るということは、とてつもない重圧なんだ。それに今は平和でも、各勢力圏はお互いに睨みを利かせている状態だ。弱みを見せれば、付け込まれる」

「ッ......! 人間って、こういう時嫌ですね」

「だが、それを守り、存続させるのが我々の仕事でもある......そういうわけで、待機命令はまだしばらく続くだろう。皆、精神的にも大変だろうが、どうか耐えてほしい。いざという時は我々にかかっていると思え。以上だ」

 そそくさとガルダは部屋を後にし、ディスプレイが元のニュース番組に戻る。今度は土星蟹の食レポをしていた。

 ゲーム機から視線を上げたアカネは、「蟹、食べたいな」と誰にともなく言った。突然の発言に一瞬場が静まり返ったが、リリーが何かを思いついたように手を叩いた。

「あ、じゃあさ、これが終わったらみんなで蟹食べに行こうよ! ここってほら、一応蟹とか獲れるみたいだし!」

「えっ、自分で獲るの?」と、困惑気味のアカネ。

「それもいいね! ミナト君はどう?」

「いいんじゃないかな。楽しそうだし」

「じゃあ早速探しておく!」

 ジャケットのポケットから携帯端末を取り出すと、楽しそうな笑みを浮かべながら操作し始めた。その様子を見て、ミナトとアカネはお互いの顔を合わせて、肩をすくめた。


◇◆◇


 ブリッジのすぐ近くに設置されている隊長室で、ガルダはアイラと通信を行っていた。デスク上のモニターには、彼女の顔が大写しになっている。

『自分の予測が当たって、こんなにも嬉しくないなんてね。覚悟はしていたけど、人類には早すぎるわ』

「木星側のSWS配備状況は?」

『予定の半分にも満たないわね。トロヤ群の防衛部隊も可能な限り呼び戻しているようだけど、単独で防衛できるかは怪しいところよ。でも、時間は稼げると思う』

「開発協力の見返りとして先行配備させたのが、功を奏したわけか」

 アイラは画面の前で重々しく頷いた。しかし、それでも時間稼ぎにしかならないだろうというのが、彼女の出した結論だった。辛いが、これが現実なのだ。

『でも相手の総戦力が分からない以上、どうなるか見当もつかないわ。だって相手は人類史上初の地球外生命体なのよ? どんな攻撃を仕掛けて来るかも予想できない。あの巨大物体すら、私の予測したマザー級ではなく、彼らの兵器の一つという可能性もあり得る』

「木星側も〈ルキナ・コロニー〉を移動させるためのアイドリングを始めているが、カタログスペック通りでも一週間はかかる。到底間に合うとは思えない」

『撤退戦か......嫌になるね』

 頬杖をついたアイラは、モニターから視線を外して遠くを見た。

「それでも戦えと発破をかけたばかりだ。誰一人死なせるわけにはいかない」

 自分に言い聞かせるように言った言葉に、アイラが視線だけ正面に戻す。

『あまり思いつめるな、と言いたいところだけど、無理な話なんでしょうね?』

 その表情に浮かんだ悲し気な笑みに、ふっ、と自嘲するように鼻を鳴らして答える。

「それが俺の性だ......すまないな。こんな男で」

 突然の謝罪に驚いたのか、彼女の眉が上がったのが見えた。

『いいのよ、ガルダ。これが終わったら、一杯飲みに行きましょう。もちろん、あなたのおごりでね?』

 そうウィンクしたアイラの心遣いに、喉が詰まったようになって、首肯するのが精いっぱいだった。

 彼女は、戦場で男が生き残るのに必要なことを分かっている。むしろ分かりすぎていたくらいだから、失うのが過剰に恐ろしくもなった。

 アイラと会えなくなるのが怖い。だからガルダは別れることにしたのだ。

 その判断を後悔したことはなかった。しかし、彼女の表情を見るたびに、心が痛むのも事実だった。

『あ、あと一つ気になる情報なんだけどさ、どうも〈ジャッカル〉にはCPドライブが二つ搭載されているみたい』

「二つも? どうして」

 CPドライブの開発が開始された当初から、二つを繋げて電池のように出力を上げられないかという研究は進められてきた。しかし、CPドライブにはそれぞれ細かな個体差があり、つなげようとすると、その差が拒絶反応を起こしてしまうということがあった。

 もしCPドライブの連結技術が確立されたとしたら、それは現行技術を遥かに超えるものだ。もしどこかが実用化したのなら、必ず話題になる。

『ラボにいる私の友人によれば、一つはウチで開発されたものだけど、もう一つの出どころは不明だそうよ』

「聞けば聞くほど怪しい話だな」

『それにUNIに回収されたはずのグレス・アルティラのハードスーツからは、CPドライブが無くなっていた......これって偶然だと思う?』

 いや、と腕を組んだガルダは首を横に振った。

「偶然にしては出来すぎだが、狙いが分からないな。どうしてそんなことを? 社長はミナトに何をさせたい?」

『それが分かれば苦労はしないけど、〈ジャッカル〉が急に動き出した理由も分からずじまいだしね』

「本人に聞くほかない、か」

『そうね。この作戦が終わったら、聞いてみましょう。ま、期待する答えが返ってくるとは思わないけどね』

 そう言って、彼女は苦笑した。

『じゃ、通信終了』

 モニターが黒くなり、小ぶりなアイラの表情が消え、自分の顔が反射して映し出される。それから自分の顎に手を当てて、ざらざらとした無精ひげの感触を確かめると、この後剃る必要があるなと考えた。

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