冷たい夜風に吹かれながら、ガルダはサテンカーリの街が見える展望台に一人座っていた。胸ポケットから真新しい煙草の箱とライターを取り出し、そこから一本だけ抜いて口に咥える。
久々に取り出したライターは中々火がついてくれなかったが、それでも持ち主の想いに応えて火を灯してくれた。
明らかに身体に悪いであろう煙を肺一杯に吸い込み、紫煙を吐き出せば、周囲には独特な刺激臭が漂った。
「禁煙したんじゃなかったっけ? 子供たちに悪いからって」
背後からの声は、アイラのものだった。
「......分かるだろ」
ガルダはそう言うだけで精一杯だった。
「分かるよ」
そう言いながらアイラはジャケットに手を突っ込んだまま隣に座り、足を組んだ。しばらくの沈黙が続き、ガルダはこのまま何も言わないで帰ってくれと願った。今は、誰かと話をする気分ではなかった。
「〈ルキナ・コロニー〉から脱出できたシャトルは」と、切り出したアイラにガルダはげんなりした。
「全体の約六割、他の木星圏のコロニーは八割が火星圏に到達できたものの、残り二割は消失。それでもおよそ十億人規模の難民が火星の衛星軌道上に漂ってる。軍も半分以上の戦力を喪失、治安維持もままならず、政府としての機能は期待できない......自滅するのも時間の問題かもね」
「『この世は地獄』っていう話をしに来たのか?」
それだけじゃないけど、とアイラは伸びをした。
「今日さ、社長のトコ、行ったんだって?」
それに、結局いつも話してしまうのだった。
「......あぁ」
「どうだった?」
ガルダは顔を伏せると、その時のことを思い出していた。
社長室の横開きのドアが開ききるのを待たずに、ガルダは部屋に足を踏み入れていた。
「これは一体どういうことだ?」
両手をデスクに叩きつけても、手を組んだクータルは余裕そうな笑みを崩さないでいた。
「これ、とは?」
「とぼけるな!」
自分でも驚くくらい、ガルダは怒っていた。自分の部下の機体が突然制御不能になり、そのおかげで犠牲者が出かねない事態だったのだ。それもよく分からない技術を使わせた上で、だ。怒らない理由が見つからなかった。
「〈ジャッカル〉に起きたことを言っているなら、試験中の事故は——」
「——あれが事故だと言うのか?」
クータルの言葉を遮ると、彼女は不快そうに眉をひそめた。それから背もたれに体を預け、組んだ手を腹の上に置く。
「......そうだな。君が言いたいことは分かるが、あれは『事故』だよ。私でさえも予期できなかった事象だからな」
あっさりと認められてしまい、思わず勢いを失ったガルダは言葉が出なくなってしまった。クータルは椅子をクルリと回してガルダに背を向ける。
「CPドライブには生体活性という特性がある。人間や生き物が近くにいると、なぜか出力が上昇するという不可解な特性だ。私はその特性について独自に研究を重ね、ある一つの仮説を導き出した。それは、CPドライブが魂の器に足るのではないかということだ」
「魂の、器......?」
急に何の話が始まったのか分からなくなり、ガルダは混乱した。
「ともかく、細かい話は省略するが、私は最近その仮説を実証するためのサンプルを入手することに成功した。君なら、思い当たるフシがあるんじゃないか?」
そう問いかけられれば、脳の中である線が自然と繋がった。
「グレス・アルティラのCPドライブ......」
UNIが回収した後に、行方が分からなくなっていたのは、クータルがどういう経路かでそれを入手したからだったのだ。
そう、とクータルは再び椅子を回転させてガルダに向き直った。
「私はね、それを使って死者を蘇らせる気でいたのさ。CPドライブに保存されたグレス・アルティラの魂と、ミナト・ヒイラギが持つ彼女に対する強い感情を〈センティエント〉によって繋ぎ、再構成するつもりだった。人の精神は、戦場において最も強く輝くからね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ......じゃあ〈ジャッカル〉は......」
「いや、あれは純粋な戦闘兵器さ。再構成の副作用で発生させられるブリーチエネルギーを利用するために、改造は加えられているがね」
意味が分からなくなってきたが、つまりこのクータル・ハーパライネンという人間は、本気で死者を蘇らせようとしていたようだ。そしてそのために、不幸な事故に遭った少年と、この人類史上初の対エイリアン戦争さえも利用しようとしていたのだ。
だが、ガルダにはその理由が分からなかった。
「なら、どうしてそこまで死者を蘇らせることに固執する?」
「違う。私が実証したいのは、CPドライブに本当に魂の器たる能力があるかどうかだ。そして、それは実証された。彼は確かにグレス・アルティラを認識している」
デスクのボタンを押すと、ミナトの声が再生された。それは自室で誰かと話している音声だったが、その相手は存在せず、ずっと一人で話しているのだ。
ガルダは、ミナトが狂ってしまったのではないかと思い、恐怖した。自分は彼を戦場に送ることで、その精神を破壊しているのではないかと思ってしまったのだ。
「違う、こんなの......こんなのは狂っている......!」
今すぐ音声の再生をやめさせたかったが、ガルダの本能は今すぐにでもこの部屋を出たがっていた。
「いや、これは人類の夢だ! 真の不死性だよ! これが実現すれば、人類は争いなんていうちっぽけで、くだらないことはすぐにでもやめるだろう。それは、君が望むことでもあるだろう?」
クータルが熱く語る裏でも、ミナトの声は再生され続けていた。一人で虚空に向かって話続ける彼の声は、それだけでおかしくなりそうだった。
全てを話し終えたとき、アイラは唖然としていた。
「こんな......こんなバカげた話ってある?」
「あいつは、大真面目さ」
それを聞いて呆れたように、アイラは顔を両手で覆った。
「腹の内が読めない人とは思ってたけど、これは、次元が違うというか、何て言うべきなんだろうなぁ......」
「だが、だからといって、この世界は彼女を切り捨てられない。それほどまでに、この社会というシステムに食い込んでしまった」
そうだ。その有用性が実証されてしまったことで、今やSWSは人類救済の要となってしまった。例えこの戦争が終わった段階で切り捨てたとしても、世に放たれたSWSの技術が制御出来ないのでは秩序が崩壊するだけだ。
彼女はそれを分かっていた。分かったうえで、この大それた理想を実現させようとしていた。
「とはいえ、今私たちが直面すべき現実はタイラントよ......これから何が起こるにせよ、生き残らないことには始まらないわ」
「......だな」
アイラは冷静だった。だからこそ、研究者でありながら戦士でもあるのだろう。その二つを両立できていることを、ガルダは尊敬していた。
「今、タイラント・マザーに対抗するための有効な戦術案を策定中よ。これを何としてでも完成させて、あのエイリアンをぶっ飛ばしてやりましょ」
そう言って、アイラは拳を突き出した。
あぁ、とガルダも拳を突き出した。