アカネは、逃げようと殺到する群衆の中で一人佇んでいた。両側に屹立するビル群が、群衆の悲鳴を反響して、頭をグラグラと揺らす。
世界が、燃えている。
湾曲した人工の大地の狭間で、空間戦闘機が入り乱れて飛んでいる。耳を聾する爆音が轟く度に、どこかで悲鳴が上がっているような気がした。
その中で、女の子が泣き叫ぶ声が聞こえた。その方向を見ると、まだ幼い少女がクマのぬいぐるみを抱えて未知の真ん中で泣いていた。
彼女を見た途端世界が鮮明になり、アカネはその少女を守らなければならない、という強迫観念に駆られた。
踏み出した足は次第に駆け足になり、少女を抱えたアカネはすぐさま反転して宇宙港に向かった。
そのすぐ頭上を戦闘機が過ぎ去り、衝撃波で割れたガラスが降り注ぐ。だがそれでも、アカネは走り続けた。
肺は焼けるように痛み、足の筋肉は今にもはち切れそうだったが、腕に抱えた重みと温もりが、アカネに力を与えた。
撃墜された戦闘機がすぐ横に落ちてきても、アカネは走る速度を緩めなかった。
銃を持った戦闘員に撃たれても、遮蔽物に身を隠して走り続けた。
すぐ横にあった車が爆発しても。
ビルが崩れてきても。
市民に助けを求められても。
アカネは走った。彼女だけは何としても助けなければならない、そのことだけが脳内を支配していた。
そしてついに宇宙港に到達すると、最後の旅客機が飛び立とうとする寸前だった。ギリギリまで待つつもりだったのか、船の側面にある開けっ放しのタラップから、人の顔が覗く。
「待って! せめてこの子だけでも!」
喉が壊れてしまうんじゃないかというくらい、アカネは精一杯に叫んだ。するとこちらを見た顔が引っ込み、機体が少し減速した。
コロニーの外、宇宙空間へと繋がるバリアへの距離はあまりなかったが、それでも足を動かし続けた。
そして何とか手すりに?まると、体を引き上げてタラップの上に乗った。同時にタラップが閉じ始め、転がるように機内に乗り込んだ。
気密が保たれ、アカネは思わず床に仰向けになって息を吐いた。
すると、そこで違和感に気づいた。避難民が乗っているにしては、あまりにもスペースが余り過ぎていたのだ。
何か嫌な予感がしつつも立ち上がり、周囲を見回す。避難民はおろか、離陸前にこちらを見ていたはずの乗務員の姿もない。腕に抱えていたはずの少女の姿も見えず、アカネは不安になった。
「これは......」
身体を見下ろすと、〈ハルシオン・ブルー〉のジャケットを着ている。しかし、自分がなぜ、どうやってこのコロニーに来たのか分からなかった。それどころか、ここがどこかすら思い出せないでいた。
その時、後ろに気配を感じたアカネが振り返ると、そこにはあの少女が立っていた。右腕にはあのぬいぐるみが抱えられ、その琥珀色の瞳は真っすぐにこちらに注がれている。
「そうだ——」
全て、思い出した。
「——あなたは私だったんだ」
アカネが目を覚ますと、白い色彩とアルコールの独特の匂いが飛び込んできた。それからここが病室なのだと気づき、次に顔の左側が何かに覆われていること、右腕はしっかりと固定されているのに気付いた。
目線を動かして周囲の状況を探ろうとすると、沈んだ表情のリリーが見えた。彼女とは長い付き合いだが、あんな表情は見たことがなかった。
「リリー......」
動く左腕を彼女に向かって伸ばすと、リリーはその手を握って、弱々しく微笑んだ。
「あの後......ミナトは、どうなった、の......?」
その名前が出た瞬間、リリーの表情に影が差すのがはっきりと分かった。光の加減だけではない、その表情との重なりで生み出された影は、あまりにも暗かった。
「彼は、もういないよ」
「え......?」
アカネの手を握る手がにわかに強張り、リリーは何かを決めるように息を吐いた。
「無期限の謹慎が言い渡されたの。今の彼はもう、〈ハルシオン・ブルー〉じゃない」
そう告げた彼女の顔は、怒りに震えているようだった。