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第31話「マザー」

 〈ストーク〉が発進に備えて排熱フィンを展開すると、メリルの合図で加速が始まった。

 イナーシャル・キャンセラーでも相殺しきれない慣性に肺が押しつぶされ、青方偏移で世界がほのかに青く染まる。亜光速での航行時間はおおよそ三秒。それでもウラシマ効果で世界の時間は一時間進む。

 もし数秒でも減速が遅れれば、目の前に広がるのは全滅した艦隊かもしれない。

 操舵手にかかる精神的負担は、考えたくもなかった。

『減速開始!』

 逆噴射ブースターが作動し、強烈なGと共に世界が元の色彩を取り戻していく。そして正面には巨大な岩の塊が見えた。

「あれが、マザー......」

 岩石が寄り集まって出来た、卵型の小惑星。それがタイラント・マザーだった。

『隊長、すでにこちらの軍は全戦力の半分が喪失したそうだ。急がないと手遅れになるぞ』

『了解。そっちはドローンとリレーの配置を急いでくれ。俺たちは直ちに作戦行動を開始する』

『あぁ、頼む』

 アカネは〈ストーク〉から離れ、背面のサブアームを前方に動かして両手に〈エクスカリバー〉を一本ずつ握った。本来は両手で扱う武装を、サブアームを使うことで二本同時に使用するという、かなり無茶な運用方法だった。

 すると、前方に黒い雲のような影が見えた。センサーによれば、それは数千体のタイラントだった。だが、この〈カメリアOP〉の敵ではない。

「隊長、先行して道を切り開きます」

 両腕を広げると、それに呼応するかのように全身に配された排熱フィンが展開した。

 ミナトはいない。リリーは変わってしまった。それでも、この戦いに負ければまた大勢の人が死ぬ。

 そうでなくとも前線では人が死んでいく。人は正しさのために死なない。信念のために死ぬ。

 その数をいかに少なくできるかは、アカネたちの肩にかかっていた。

『了解。リリーは彼女の援護を。俺は爆撃機の防衛に回る』

 リリーの返事を待たずに、アカネはその雲に向かって飛んだ。そして、

「イナーシャル・キャンセラー全開! バウンスマニューバ!」

 これまでのもやもやを吹き飛ばすように、アカネは叫んだ。

 タイラントすら超える速度で群れに突っ込み、ビームキャノンモードの〈エクスカリバー〉を乱射する。狙いすらつけずとも、薙ぎ払うだけで百体を超すタイラントが蒸発した。

 それでも敵の数が減る気配がないと分かり、加熱した砲身を刃に変えた。速度を緩めず、宇宙空間を跳ねるように乱舞してタイラントを切り刻んでいく。

 多少雑になっていることは自覚していたが、撃ち漏らした敵はリリーがしっかりと処理をしてくれた。

 四つの砲門を自在に操り、正確にタイラントを撃ち抜いていく技量は以前より上がっている気がした。それでも時々アカネに直撃すれすれの攻撃をしてくるのは、ある意味信頼の証なのだろうか。

 リリーのビームを寸前で避け、反転するアカネの目の前にタイラント・プリテンダーが立ちはだかった。それが両腕を突き出すのは、ビーム攻撃だと分かったので上体を逸らしてそれを回避する。

 そのままくるりと宙返りをして、逆袈裟に振り上げた二本の〈エクスカリバー〉でプリテンダーを三つに裂いた。剣の重さで振り回されそうな身体を増設されたスラスターで無理に抑え、残心する。

 その間にもリリーは他のプリテンダーを倒していたが、タイラントの群れは次々にこちらに向かってくる。

 ブレードモードの〈エクスカリバー〉を変形させつつ、アカネは後方に下がって射線を確保する。そして二本を束ねて出力を倍増させたビームを掃射した。

 宇宙に爆発の光に縁どられたカーブが現れ、消える。それでも、まだまだマザーには届かなかった。

「これじゃ進めない!」

 視線ずらせば、そこには前線に出てきている〈アルキオネ改〉の姿が見えた。最終決戦用の強襲装備と、〈ジャッカル〉のブレードビットの制御システムを組み込んだ近接ドローンが、襲い来るタイラントを薙ぎ払っていた。

 そのブリッジでは、メリルが唾を飛ばして指示を出していた。

「援護射撃、遅いぞ!」

「し、しかし敵の動きが早くて......」

「狙わなくても当たる! 敵はそこら中にいるんだ!」

 爆発に船が揺さぶられ、ドローンの一機がタイラントと相討ちになったことを知る。こちらの戦力はじりじりと減っていくが、相手の勢いはとどまることを知らなかった。

 いざとなれば特攻覚悟か、そう思わざるを得なかった時、格納庫から驚くべき報告が上がってきた。

『ハンガーよりブリッジ! 〈ジャッカル〉が! あいつが勝手に動いてるんです!』

「何だって——」

 しかし、メリルは驚くよりも早く直感で指示を出していた。

「——カタパルトデッキを開放しろ!」

『え? しかし......』

「船に穴を空けられたいのか!」

『た、直ちに!』

 椅子に座りなおしながら、メリルは今の指示が正しかったのかを考えた。この状況は知っていた。それは〈ジャッカル〉が初めて起動したときだ。絶体絶命だった〈ハルシオン・ブルー〉を救った、奇跡にも近い出来事。

 彼なら、ミナト・ヒイラギなら。

 メリルはその直感に似た確信を信じることにした。


 今は、神にもすがりたい気分だった。


 〈ジャッカル〉がひとりでに動き出したという報告を受けたアカネは、思わず〈アルキオネ改〉の方を見るしかなかった。

 カタパルトデッキが開き、全身を青白く発光させる〈ジャッカル〉が飛び出す。それは、木星で暴走した時と同じに見えたが、その輝きは痛々しい光ではなく、どこか温かみを感じさせるものだった。

「〈ジャッカル〉......あなたは、どこへ向かうの?」

 そう呟いたアカネと、〈ジャッカル〉の視線が一瞬だけぶつかる。物言わぬはずのそれは「安心してほしい」と言っているようで、アカネはそう思ったことに驚いた。

 そして反転した〈ジャッカル〉は光の尾を引いて、目にもとまらぬ速さで火星へと向かってしまった。


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