タハティに割り当てられたC—13格納庫には、試験部隊三つ分のプレイアデス改級が係留されていた。推進部に増設されているのは、亜光速航行用のチェレンコフ推進器だろう。
その先にあるバリアの向こう側にはUNIの無人艦、エクネス級巡洋艦の姿が見える。
そしてその一画で、〈ハルシオン・ブルー〉のSWSが出撃前の最終調整が行われていた。
「ミゲル、どう?」
〈カメリア〉の前で仕様書とにらめっこしていたミゲルは、こちらに気づいてニコリと笑うと、手を差し出して導いてくれた。
「オーバード・パッケージの調整はほぼ済んだよ。今現状で出来る最強のSWSさ」
純白に塗られた〈カメリア〉は、各部スラスターの増設や、センサー類の強化で一回りほど大きくなったように見えた。脚部はランディングギアとしての機能をオミットされ、フレキシブルに可動するスラスターとして特化された。
特に目を引いたのは、背面にある一対のサブアームと、二本の〈エクスカリバー〉だった。
「確かに、これなら負けなさそう」
〈カメリア〉の隣で整備を受けている〈レフティー〉も同じくオーバード・パッケージを装備され、特徴的なビームキャノンが四門設置されているのが分かった。
「でも、この色とこの見た目って、なんだか死に装束みたいじゃない?」
後ろに回り込むと、後頭部にある増設されたセンサーがベールのように見えたので、そう思いついたのだ。
「そうかな? どちらかと言うとウェディングドレスだと思ってたけど......」
「私には縁のないシロモノね」
即答したアカネに、ミゲルは何か言いたそうだったが、すぐに作業に戻ってしまった。
本心で言ったつもりだが、ふとミナトの顔が脳裏に浮かんで胸が疼いたような気がした。
それから視線を他の場所に移すと、そこにはまだ荷降ろしされたばかりの機材が目に入った。
「あれは?」
ミゲルはアカネの視線を追ってそれを見つけると、露骨に表情が曇った。
「あれは......〈ジャッカル〉用の追加装備だよ。でも、出番はないだろうな。〈カメリア〉とかのリンクスシリーズとは規格が合わないし、隊長の〈コヨーテ〉にはもうくっ付けるスペースないし」
「あなたの〈コヨーテ〉があるでしょ」
「俺っちは......船で近接ドローンの調整をしないといけないから、今回は出られないんだ」
そう、とアカネが言うのと同時に、発進準備を告げるアナウンスが流れた。それを聞いて〈カメリア〉に乗り込もうと移動しかけたアカネの手首を、ミゲルは掴んだ。
「なぁ、もしこれが終わったらさ」
「ん?」
口を開きかけたミゲルは、ややあって口を閉じ、掴んでいた手首を離した。
「いや、やっぱり帰ってきたら話すよ」
「......そうだね。それがいいと思う」
アカネは微笑んで、彼に向かって敬礼した。ミゲルもそれに応えるように敬礼しつつ、離れていった。
〈カメリアOP(オーバード・パッケージ)〉に乗り込み、気密ジェルが注入し始めると、途端に不安が襲ってきた。
ミナトが来てから、このチームは上手く機能していると思っていた。が、〈木星戦役〉が全てを変えてしまった。アカネはあわや死亡する寸前で、ミナトはチームを去った。リリーも、ミゲルも、みんなどこかがおかしくなっているような気がした。
それはまるで、油をさし忘れた歯車の放つ、不快な甲高い音のようだった。そしていつか、歯車が壊れて全てが破綻する。
いや、考えれば両親が乗ったシャトルが爆破された時から、全てが壊れてしまったのかもしれない。
今でも、両親が生きていたら、両親が自分と同じシャトルに乗っていたら、と考える。
もしそうだったら、今頃何をしていただろう。
学校に行ってるのだろうか。
そこで友達と仲良く話したり、後から考えればバカバカしいような初恋をしたりするのだろうか。
それで、普通の人間として過ごして、最期は暖かい大地の上で死ぬのだろうか。
こんな冷たい宇宙ではなく。
「〈カメリア〉、全システム異常なし」
そんな、あり得たかもしれない未来を夢想しながら、アカネは身体に沁みついた出撃前の準備を進めていく。
そうだ、こんな事を考えたって仕方がない。アカネは頭を切り替えて、これからのことに集中した。
リリー、ガルダの『異常なし』という声に続き、メリルの『機関始動、微速前進』の掛け声が聞こえてきた。
アカネたちは、〈アルキオネ改〉に続いて、格納庫を出る。OP装備のシミュレーションは何度もこなしてきたが、これだけ重武装にも拘らず、機動性はこれまでのものより向上しているというのに驚いた。
それは、実際に使っても同じ感想だった。
〈サラマンダー・レッド〉の〈マイア〉と、〈ケルベロス・ブラック〉の〈ケライノー〉が、それぞれの持ち場に向けて転進する。その際に見えたチカチカという光は、恐らく光信号だろう。
〈アルキオネ改〉のオペレーターが、武運を祈る、という内容だったと教えてくれた。
後方に視線を巡らせると、〈ヘリオス�U〉の向こうに火星の地平線が見えた。大気が生み出す青と、火星の酸化した鉄の赤い色彩が独特のグラデーションを描いていた。
太古の昔、最初の宇宙飛行士は地球を見て、「地球は青かった」と言ったそうだが、今のこの火星の風景を見たら何と表現するだろうか。
そんなことを考えつつ正面にあるエクネス級無人艦に合流すると、チェレンコフ推進器を搭載した〈ストーク〉急襲ドローンと、ブリーチバスター弾頭ミサイルを運ぶ特殊爆撃機が控えていた。
〈ストーク〉はSWS用に開発されたブースターで、ロケットのような見た目に取っ手を付けただけの簡易な構造だった。これでSWSを素早く前線に運び出し、本体は使い捨てることができる。
特殊爆撃機の方は、機体の底面に大きさ十メートルは超えるであろうミサイルを抱え込んだ機体だった。
アカネたちは、この機体をミサイルの有効射程内まで護衛し、その射線を確保しなければならない。
最後にこの作戦の要なのが、左斜め上方に位置する仮説ドックから発進する〈ユナイテッド・フィスト〉だ。
五隻の戦艦を束ねた外観は見るからに不格好だが、現在人類が保有する中で最大級かつ、最高の火力を有する艦だ。
これがタイラントの戦力をどれだけ引き付けられるかで、作戦の成否が関わってくる。当人たちは自分たちが囮であることも知らされずに。
『我ながら、残酷な作戦だな』
〈ストーク〉に取り付きながら、ガルダは言った。
『何も知らない兵士たちを囮にして、我々が極秘裏にミッションを遂行する......だが、早く作戦を実行すれば、その分の犠牲も減るというものだ』
ガルダの言っていることは正しいが、本当にそうだろうか。
「......許容される犠牲とは、あるものなのでしょうか」
気づけば、そんな疑問を口にしていた。
目の前で爆死した両親も、脱出することすら叶わず墜落した、あのシャトルの住民も、全て許容される犠牲だったのか。
自分や、他の誰かが生き残るための。
『あぁ、それは人間が持つ自己犠牲という美徳の一つだと、俺は思う』
ガルダが肯定してみせたことに、アカネは、ハッとした。
『いつの時代もそうだった。誰かのために、大切な人のために、人は自らさえも犠牲にする。そして、その犠牲者の想いは、生き残った人々の記憶に刻まれて、後世に繋がっていく。そうして世界は続いてきたんだ』
〈ストーク〉のエンジンが稼働し、アカネたちを前線へと運び始める。その間にも、ガルダは話し続けた。
その口調は、これまでになく優しくて、まるで自分の子供たちに語り掛けるようだった。
『だが、お前たちがそこまで背負い込む必要はない。お前たちはまだ子供だ。だから、大人である俺たちが守ってみせる。それが、お前たちを戦いに向かわせている大人たちの、唯一の償いだ......だから、どうか生きてほしい。生きて、世界の美しさを知って欲しい。例え戦いだけの人生でも、世界の美しさが見えることは、俺が知っているのだから』
「隊長......」
これまでに、ここまで心が温まった瞬間があっただろうか。
例え人類存亡の危機でも、彼は自分たちのことを想ってくれているのだ。それは、兵士としてはある意味失格なのかもしれない。
でも、純粋に嬉しかった。
リリーの方を見やるが、例によって彼女はアカネに対して反応を見せることはなかった。それでも、彼女の心にだってきっと響いていると信じたかった。
そしてタイマーのカウントがゼロに近づき、やがてミッション開始時刻を告げた。
〈ユナイテッド・フィスト〉と連合艦隊が一斉にブリーチを開いて、宇宙が青白く輝いたかと思うと、次の瞬間にはその姿が消えていた。続いて、メリルからの通信が入る。
『タイラントはブリーチエネルギーを探知するのだから、これより我々はチェレンコフ推進での亜光速航行にて、作戦宙域に向かう。該当宙域に到達後、近接ドローンとブリーチ・リレーを速やかに配置。それと同時に作戦行動を開始する。総員、第一戦闘配備。全エンジン、チェレンコフ推進に切り替え』
この作戦の第一段階は、まず連合艦隊が敵の火力を一手に引き受け、その隙に三つのタハティの部隊がそれぞれの担当宙域に亜光速で移動することだった。
もしここで躓けば、作戦は失敗。火星は失われることになる。恐らく、文字通りの意味になるだろう。
あれだけ巨大なものをどうやって捕食するのかは知らないが、とにかく〈ルキナ・コロニー〉は消滅した。あれの二の舞は避けたい。
〈ストーク〉が発進に備えて排熱フィンを展開すると、メリルの合図で加速が始まった。