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第29話「結束する拳」

 太陽系外生命体との戦争により、未曽有の被害が発生した〈木星戦役〉から三か月。〈ハルシオン・ブルー〉のメンバーは火星の磁気シールド衛星〈ヘリオス�U〉にいた。

 アカネは衛星内に与えられた自室で、アンダースーツを着込んでいた。スーツとSWSを固定するチョーカーを操作して、スーツの自動調節機能で身体に密着させる。それから手首の簡易モニターでバックパックの空気と水の容量を確認して、準備を終えた。

 その時ふと、壁にかけられたネットに入っているぬいぐるみが目に入った。薄汚れ、今にも腕が取れてしまいそうな、ボロボロのぬいぐるみ。

 しかし、〈ルキナ・コロニー〉の脱出シャトルを救えず、ミナトも連れ帰ることが叶わなかった、今のアカネには不要なものだった。

 この三か月で伸びた髪を、ゴムで乱雑にまとめながら部屋を出ると、そこにはリリーが待っていた。あれだけ長かった髪も、今ではベリーショートになり、三か月前とは別人に見えた。

 彼女は手に持ったデータパッドから目を離さずに、「時間」とだけ言った。

「......ん」

 アカネは短く返事をして、共に格納庫に向かう。その間も、リリーの興味はずっとデータパッドに向けられていた。

 何が彼女をここまで変えてしまったのか、アカネは知らなかった。怒りか、後悔か、あるいはその両方なのかもしれない。

 とにかく、アカネは現在の状況を整理するために、口に出してリリーに話して聞かせた。

「これまでの三か月で、タイラント・マザーは〈ルキナ・コロニー〉を捕食した後、火星に向かっていることが判明。その目的は火星の磁場を形成するためにコアの対流を促す施設、通称〈ペースメーカー〉の動力源である巨大CPドライブ。

 その防衛のためにUNIはOCTOと残存した木星軍との協力の下、〈オペレーション・ユナイテッドフィスト〉を発令。その内容は五隻の戦艦を連結した特務艦〈ユナイテッド・フィスト〉を旗艦とした連合艦隊と、私たちタハティ実験部隊による合同作戦。

 で、それはあと一時間経ったら始まる、っていう認識でいいんでしょ?」

「......うん」

 聞いているのかいないのか、やはり彼女はデータパッドから目を逸らす様子もなかった。

 リリーは以前、公平に接してるだけ、と言っていたが、公平じゃなくて無関心でしょ、と言いたくなってしまった。

 ミゲルはSWSの訓練に躍起になっていたが、ミナトの代わりにはなれないのに、とそんな彼を見るたびに虚しくなった。

 ガルダは以前とあまり変わっていないように思えた。さすが元軍人だと思ったし、そんな彼が頼もしかった。

 ミナトは、あれ以降一度も姿を見ていなかった。ミゲルに訊ねても、ただぶっきらぼうに「知らない」と答えられるだけで、彼が今何をしているのか見当もつかなかった。最初は寂しかったが、三か月もすれば慣れてしまった。

 エレベーターのボタンを押し、到着するのを待っている間、アカネは腕を組んでこれまでの三か月間を振り返ろうとした。

 〈ジャッカル〉の暴走によりアカネは負傷し、〈カメリア〉も大破していた。強固な生命維持装置のおかげで生き残れたものの、当分の間出撃は出来ないだろうと言われた。

 アカネと〈カメリア〉の復帰を待っている間にも、戦いはあった。

 しかし、〈ルキナ・コロニー〉を平らげたタイラント・マザーの外殻は強固で、敵の物量も圧倒的だった。

 中でも特に目を引いたのが、人間型タイラント、通称『プリテンダー』だ。ミナトと共に遭遇したそれは、徐々に数を増やしていき、人類にとってかなり厄介な敵となった。

 突進と噛みつきくらいしかしないハーベスターとは異なり、高い知能と攻撃力を有していたのだ。

 SWSの配備と共に攻勢に転じるかと思われた人類は、再び劣勢に追い込まれつつあった。

 エレベーターが到着し、中に入る。軍事施設らしく、金属の質感が丸出しの寒々しい内観は、この現状も相まって悲壮さをかきたてた。

 コントロールパネルを操作して、格納庫への通路をセットすると、しばらくしてから動き出した。

 このエレベーターは〈ヘリオス�U〉のあらゆる場所に繋がっており、その中で数百を超えるエレベーターが動いている。なので、ぶつからないような通路を設定するには少し時間がかかった。

 ようやく動き出したエレベーターの中で、壁に寄りかかったアカネは、再び作戦の説明を始めた。

「マザー・タイラントの外殻は強固すぎて、あらゆる兵器を使っても外からの破壊は出来ない。なので、まず外殻の脆弱な部分三か所にブリーチバスター弾頭ミサイルを直撃させて、出来た亀裂にそれぞれ〈サラマンダー・レッド〉、〈ケルベロス・ブラック〉、〈ハルシオン・ブルー〉を突入させる。その後、マザーの血管というべきブリーチエネルギーの流れる節目に、爆弾をセットし、脱出する。

 ......そうでしょ? リリー?」

 しかし、今度は頷くこともせず、反応はなかった。さすがのリリーでも、ここまで無視されると腹が立つ。

 アカネはひったくるようにしてデータパッドを奪い、その顔のすぐ横に手を叩きつけた。バァン、という鋭利な音が車内に共鳴して壁が震える。

「ねぇ! どうして——」

「——返して」

 どうして変わっちゃったの、と聞こうとしたアカネの想いは、無機的に発せられた彼女の言葉にへし折られた。

 美しいとさえ思った薄紫の瞳は、澱が沈んだように暗くなり、じっと見つめられていると作り物のように感じる。

 アカネの知っている彼女は、もうここにはいないと分かって、開いた口からは何も出なかったのだ。

 その沈黙を破るように、『無重力空間に入ります。注意してください』というアナウンスが流れ、二人の身体はにわかに浮き上がった。それから到着を告げる音が鳴ってドアが開くと、今度はデータパッドを押し付けて、アカネは一人エレベーターから出た。


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