「‥‥‥これ‥‥‥マジか?」
マスターの手配してくれた幌馬車の中、黒いタキシード姿のジュリオは一面に広げられた衣裳をつまみあげる。
「これ‥‥帽子だよな」
ぱっと見ではただの長い筒に見える。
「これが分からん‥‥‥」
片方が狭くなっている円錐形の物体であった。
「それは肩当て」
マスターがジュリオの手から奪う。
「これ‥‥‥いくらマリーでも着れないんじゃないか?」
腰の所は信じられない程に細い。当のマリーは、寝転がりながら、ジュリオの書いた粗筋の紙を読み続けている。
「おい、そっちの準備はどうなんだ?」
ガロンドが肘でジュリオを急かす。
「まだ早いだろ」
羽飾りの付いた眼鏡をかけ、にやりと笑いかける。
「お、おい‥‥‥だ、大丈夫なんだろうな‥ ‥」
「いい歳して、何、震えてんだよ」
「‥‥‥い、いや、これから‥‥‥その‥‥‥大勢の前に立つと思うと‥‥‥」
馬車を止めているのは、王宮内の広間に設けられた停車場であり、他にも多くの馬車が並んでとめてあり、まわりは騒がしい。
「立つのは、マリーと俺で、ガロンドじゃないだろ?」
「それは‥‥‥そうだが‥‥‥」
隣の演劇場では、口笛混じりのさかんな拍手が飛びかっている。ガロンドはその喧騒だけで身震いした。
「若いの。ガロンドをいじめるのは、それぐらいにしておけ‥‥‥」
懐中時計を睨んでいたマスターが、止めに入った。
「さっき辺りを見て来たんだが‥‥‥」
マスターの低い声が幌の中に響く。
「さすがに降誕祭だけあって、有名所の貴族のほとんどは来ていたな」
「けっこう、けっこう」
ジュリオはニヒと笑ったが、ガロンドは緊張に息を飲んだ。
「お、俺はそろそろ、持ち場につく事にする‥‥‥どうも、ここは落ち着かねぇ」
身を縮めて、幌から外に出て行った。
「じゃ、俺達も準備にかかるとするか」
ジュリオは白い手袋をはめる。マリーは動きを止めてじっと見ていたが、
「‥‥‥何だか、手品師というよりは、詐欺師の様に見えるぞ。本当に大丈夫なのか?」
正直な感想を口にする。
「あのな」
ぽこと軽くマリーの頭を叩く。
「人の心配より、自分の心配しろって、ちゃんと覚えたんだろうな?」
「もう、ばっちしだぞ」
「じゃ、お手!」
「?」
マリーは犬の様に手を出した。
「偉い、偉い」
「むっ!」
「ぐわっ!」
今度は撫でたが、むっとしたマリーに噛み付かれる。
「こ、こらっ!」
「犬扱いするな!」
「分かってるって、ほんの冗談だ。ったく、あいかわらず痛えな‥‥」
そうして準備は整い、三人は馬車を降りて演劇場内の控え室へと移動した。
「では、わしは観客席の方に行ってる」
「サクラの方、頼んだよ」
「すぐに道具、持ってくる」
そうして小さな少年のボーイ姿のマリーと二人で、出場者の控え室へと続く廊下を歩いていく。途中は、意匠をこらした人々でごったがえしていた。
「のおジュリオ、怖くはないのか?」
「ああ」
マスターに借りた懐中時計の蓋を開け、時間を確認する。
「私には本当の事を言ってほしいのだ。本当に怖くないのか?」
「‥‥‥怖いよ」
ぱちんと音を立てて、蓋をしめる。出番はもうすぐであった。
「面倒くさいけど、これをやらないと、後で楽が出来ないからやるのさ」
「‥‥‥ごめんなさい」
「ん?」
「‥‥こんな事に巻き込んでしまって‥‥‥そうでなかったら‥‥‥」
「あのボロ家で惰眠を貪ってただろうね」
「‥‥‥ごめん‥‥‥」
「よせって、そういうのはマリーに似合わな い」
沈んだ顔のマリーの手を引いて、階段の踊り場にまわった。すぐ上はステージになっている。
「俺は面倒くさい事が嫌いだけど‥‥‥」
上目遣いになって、あごをかく。
「一応、騎士に任命された事だし、その分ぐらいはきっちりとしてからでないと、気分よく寝れないからね」
「‥‥そうか‥」
係員に出場の最終確認をされ、それから大きな銀幕の前に立った。
「‥‥‥」
幕の向こうから、声にならないざわめきが、響いてくる。
「私は‥‥‥もう、お前を引き止める事は出 来ない‥‥‥その資格は無い‥‥‥だけど、このステージが成功したら‥‥‥一つだけ お願いを聞いてくれるないか?」
「いいよ」
間を置かずに、ジュリオはあっさりと答えた。
そして幕は静かに上がる。マリーは眩しさに目をそらした。
その頃、ワイアード率いるセミディアルの騎士団は、タイ、ホー王都郊外の平地に陣を敷いていた。
「大砲部隊の到着が三十分程遅れている」
仮設テントの中、ワイアードは部下へと指示を出し続ける。強行軍であったにも関わらず、特に疲労の色は見えなかった。
「しかし‥‥‥なにぶん、途中は山道で、ガ ラ場では重量のかさむ大砲は、車輪がとら れまして‥‥‥」
部下が苦しそうに弁明を始めたが、
「急がせる様に。必要なら、タイ、ホーの人夫を借りる事も許可します」
「は、はい」
静かに言われただけであったが、その一言で慌てて飛び出していった。
「失礼します」
入れ代わりにギルバートが入ってきた。
「どうでした?、ジュリオ‥‥‥彼の部隊は 私の言った取り、町の河原の西部に陣取っていたでしょう?」
タイ、ホーの領地に入る前、ワイアードは、事前に動きを予想し、それを皆に説明していた。
「いえ、敵部隊の姿は何処にも見当りませんでした」
「そんな馬鹿な」
ワイアードは口を歪める。初めて感情を顔に表した。
「不平貴族の部隊を集結させても、その数は少数‥‥‥セミディアルの大群に当たるには、普通で戦っても無意味な事は、どんな 間抜けにだって分かるはずだ」
「‥‥確かに、その位置なら、わが軍に後ろ をとられる事はなくなり、大群とも長時間、交戦する事が出来るでしょう」
ワイアードは、常に優等生的考えで物事を見る。それは間違いではなかった。だが、ジュリオはワイアードではない。ジュリオが、同じ様に考えるとは、ギルバートは思わなかった。
「では、反乱軍は何処に潜伏していると?」
「‥‥‥分かりません。今は祭りのただ中で、見物に来た地方貴族の部隊がいくつかあるだけです」
「その部隊が集結するという事は?」
「蜂起するという情報はつかめませんでした」
「既定の位置に集結していないとすれば、定時をもって集結して、いっきに反乱を起こすに違いないのだ‥‥‥それ以外に、彼らに打つ手はない。もう一度‥‥‥」
”失礼します”
伝令の兵士が慌ただしく入ってきた。
「マリアンデール王女率いる反乱軍は、正午をもって蜂起するとの情報が入りました」
「やはりな。祭のただなかの混乱に乗じるつもりか」
ワイアードはうなづいたが、
「それは、何処から入った情報だ?」
不審に思ったギルバートはその出所を確認した。
「‥‥王都に放ってある物見の兵からです」
「タイミングがよすぎる。その兵を呼んで、詳しい事を‥‥‥」
「いや、その必要はない」
ワイアードがその提案を制止した。
「やつらの行動は充分うなづける。彼らにはそうする以外の選択肢はないのだ」
「しかし‥‥‥」
「もう祭は始まっている。今は時間を無駄にする訳にはいかない」
「‥‥‥分かりました」
内心、ギルバートはワイアードの考えを、肯定する事は出来なかった。確かにジュリオにはそうする以外に方法は無い様に見える。で、あればこそ、あのジュリオが、そんな選択をするとは考えにくかった。
「全軍に伝えよ、これからセミディアル軍は、 背後の丘に布陣し、奴らが出てくるのを待つ」
王都は凹地にあり、両端は都を一望出来る小高い丘になっている。そこで待ち構えていれば、町から出てきた少数の部隊を一網打尽に出来るのは言うまでもない。
「‥‥‥今度はいつかの様に、腹痛で逃げる 事は出来ないぞ‥‥‥ジュリオール」
ワイアードの呟いた言葉を耳にした、ギルバートは息を飲んだ。