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第十二話 冗談みたいな話なのに、笑えないのはなぜだろう

「‥‥‥」

 ギルバートは上流から流れてきた、茂みに目を凝らす。大雨で時折木々の密集した岸の一部が、根の浮力でそのまま流されてくる事はある。目撃した兵士は、恐らくそれであろうと考えたが、知らせを聞いたギルバートは、思う所があって、馬を走らせた。

 国境を這い出る隙間は何処にもない、だとすれば、川を下っていくしか手は無いはずである。

 タイ、ホーに渡るその前に、内々で捕らえなければ、ジュリオ達の命が無い‥‥‥ギルバートは必死であった。

「‥‥‥」

 満月で、夜にしては明るかった。そのおかげで、葦の群れをしっかりと見る事が出来た。

「!」

 水面に浸かっている葉の一部が不自然に持ち上がり誰かの顔がちらっと見えた。ギルバートと目が合うと、葉は元の様に垂れ下った。

「‥‥‥まさか‥‥ジュリオ‥‥」

 ギルバートは、流れていく浮島を、岸沿いに歩いて追いかけ、腰の細剣に手をかけた。

「どうかしましたか?」

「あの浮島を追うんだ!、ジュリオはそこにいる!」

「なるほど、舟で渡るとは考えたものですな」

 副官として任命された同期のワイアードが、後ろから声をかけて追いかけ、その後を国境警備の兵士達が続いた。ギルバートは無言で走り続けた。

「‥‥ジュリオ‥」

 勘は当たっていた。あの中にはジュリオと、恐らくはマリアンデール姫がいるに違いなかった。

 再び葉が持ち上がる。

「む!」

 ジュリオが顔を見せた。そして、ギルバートに向かって敬礼する。

「‥‥‥」

 意味が分からず、口を明けたまま、ただ追い駆けていく。

 ”‥‥‥”

 今度は首を振った

「‥‥‥」

 ギルバートは追いかけるのを止めた。

「‥‥‥どうかなされました?」

 遅れてきたワイアードが尋ねる。

「‥‥‥いや、俺の勘違いだった様だ」

「‥‥‥」

 ワイアードは目を細めた。普段から青白いその顔に、月の光が当たり、何処か人間離れした印象を受けた。

「彼らの消息が不明な以上、国境越えは確か に舟でこの川を下るしか手は無いと、私も考えます。念の為、調べる必要を認めますが?」

「無用だ」

「‥‥‥そうですか、それでは副官である私 がこれ以上口を差し挟んでも仕方が無い様です。すぐに撤退の準備をさせます」

 敬礼してワイアードは、一人で陣地へと戻っていく。

「‥‥‥」

 ギルバートは舌打ちして、それからジュリオ達の消え去った川を見つめた。

「‥‥何か企んでる様だが‥‥‥ジュリオ‥‥うまく逃げろよ」

 友として、出来る事は祈る事だけであった。 




「危ない所だったぜ」

 剣を抜きかけたガロンドは、鞘にしまって汗を拭う。

「そうだな、だが、何で奴らは急に追跡を諦 めたんだ?」

 二人の視線は、そうさせた張本人であるジュリオに向けられた。

「いやー、運命の女神は、俺達に微笑んだって事さ」

 ジュリオはニヒと笑って肩をすくめる。

「何だよ、それは!」

 それだけの説明で納得のいかないガロンドは怒りだす。

「まあいいじゃないか、何はともあれこうして無事なんだしさ」

「‥‥‥下流で兵士の一団が待ち構えてるって事もあるのではないか?」

 ランダースが声の調子を落とす。

「それは無いと思うよ」

 喋りながら夜食のソーセージに噛み付く。

「やけに自信ありげだな」

「信じる者は救われるってね。じゃ、見張り の交替よろしく」

 ジュリオはごろんと船底に敷いてある布の上に横になった。隣では何も知らないマリーがすやすやと寝ている。

「‥‥‥あとちょっとの辛抱だからな」

 前髪を撫で、それから緩やかに眠りについた。




「おい、起きろ!」

「ぐえっ!」

 荒っぽくガロンドに蹴り起こされたジュリオは、すぐに目を覚ました。

「痛いなー、もうー」

「いつまで寝てやがる」

「んー、着いたのか?」

 大あくびをしながら、体を起こす。途端に体の節々が痛んだ。マリーとランダースの姿は無い。

「ここは、どの辺なんだい?」

 腰をさすりながら葦の蓋を開ける。まだ夜明け前の様で、辺りの森は薄暗い。ジュリオの目には、乗り込んだ場所と同じ様にしか見えなかった。

「旧ボアジェクの王都から少し行った所にあ る森の中だ」

 先に出ていたランダースに手を引っ張られて舟から飛び出る。

「へえ‥‥‥これがねぇ」

 初めて踏む異国の地ではあったが、足元に生えるシダも、落ちかけた月を隠す様な木々の枝も、特に目新しいものは無い。いつもの様に肩をすくめただけであった。

 マリーは少し離れた所で、遠くを見つめている。

「お父様‥‥お母様‥‥」

 見つめる先には、ボアジェクの王城がある。三国一美しいと称えられたその城は、朝焼けの白い光を受けて輝いて見えた。

「マリーは戻って来ました」

「‥‥‥」

 声をかけようとしたジュリオは頭をかいて、背を向けた。

「おい、ジュリオ」

 そんな背中に、マリーは声をかける。

「早く行くぞ。こんな所でぐずぐずしてる暇などない。皆の者もな」

「へいへい、姫様のよろしい様に。だけどその前に‥‥‥」

「腹ごしらえってな!」

 大きなリュックを担いだガロンドが、ニヤと笑った。

「おっ!、初めて意見が合ったな、ガロンド君」

「けっ」

 ジュリオの冗談にガロンドは鼻を鳴らした。 船底に張っていた布を剥ぎ、草むらに敷く。 主食は黒胡椒をハムにまぶし、細長のパンに真っ直ぐに入れた隙間に入れた簡単なものである。

「うまい、うまいぞ!」

 例によってマリーは、脇目もふらなずにかぶりつく。パンクズがぼろぼろと下に落ちた。

「普段、姫様は何を食べているんだ?」

 上品に食べているランダースが不思議そうにしている。聞いたジュリオはただ笑みを浮かべただけであった。

「さて」

 舟から鞄を下ろし、ジュリオは肩に担いだ。

「で、ここまで来たからには、団長の考えを聞かせてもらいたい」

 支度の整った二人は、ジュリオに視線を集中させた。マリーもその輪に加わる。

「うん?、考えたんだけど、別に特別な事な んてしなくていいんだ。クライス執政官は 多分あの城にいるだろうし、俺はただ彼に面会を求めればいい。楽なもんだ」

 ジュリオはへらと笑ったが。

「‥‥‥果たして、そう、うまくいくかな?」 

ランダースは眉間にシワを寄せた。

「お前の話によると、クライス執政官という人の人となりは、情に厚いと言うよりは、非常に厳格で、油断の無い人に思える。そんな人が、非公式ながらもセミディアル、タイ、ホー、両国から追われるお尋ね人であるお前達を受け入れてくれるとは、思えないがな。政敵であるツーロックの事も併せると、どう考えてもマリー王女を助ける事はマイナス要因でしかないだろう」

「いや、ツーロック執政官の事があるから、かえって受け入れてくれやすいと思うんだ」

「と、言うと?」

「うん‥‥」

 ごほんと咳払いする。脇ではガロンドが首を傾げ、マリーは一部の話も洩らすまいと、両手を握って身構えている。

「ツーロック執政官は、俺がマリーを殺して、逃走してると発表した。そこに俺がマリーを連れて出向いたとしたらどうなると思う」

「なるほど」

「うん。こうなると当然、クライス執政官は、政敵の弱みを握る事になる。丁重に受け入れてくれるさ」

「‥‥‥人が悪いな。つまりお前は、恩師に 恩を高値で売り付けるという訳か」

「結果的にはそうなるけど‥‥‥でも、俺はそういう事とは別に、クライス執政官を信じてるんだ。こんな俺を評価してくれたの はあの人だけだったしね」

「なるほど‥‥‥お前がそう言うなら、俺達も信じる事にしよう」

 それで納得したランダースは、腕を組んで大きくうなづく。

「で、具体的にこれからどうすればいい?」

「俺とマリーは手配されてるから動けない。何処かに宿を取ってそこに隠れて待ってるよ。だから悪いけど、二人のうちどっちか、クライス様にこの事を伝えてきてほしいんだ」

「最後までお前は何もしないんだな」

「生れつき不精者なんで」

 嫌味に、笑いかえした。




 クライスへの面会には、ランダースが行く事となり、ジュリオとマリーは、ガロンドの案内で城下の酒場、兼、宿屋へと足を向けた。

「ごめんよ!」

 手押し式の開き戸を、荒っぽく跳ね退けて中へと入る。途端に店内にいた客達が、グラスを持つ手を振り返った。

「なんだガロンド!、生きてたのか!」

「あたり前だ!、不死身のガロンド様がそう簡単にくたばるかよ!」

「積もる話は後だ‥」 

 グラスを渡された途端、ガロンドは中の葡萄酒を一息に飲み干す。たちまちのうちに酔っ払いの輪の中に溶け込んでいった。

「‥‥‥何だかなぁ、いい所があるって、自分が飲みたかっただけじゃないか」

 むせ返る様な酒の臭いと酔っ払い達の馬鹿笑いに気圧されながら、ジュリオは男の子の格好をしたマリーを後ろ手に、カウンターに近寄る。

「こんにちわ」

「んー?」

 頭をツルツルに剃ったマスターは、グラスを布で拭きながら、フードをすっぽりと頭からかぶったジュリオと、後ろのマリーを、胡散臭そうにじろじろと見た。

「一晩、部屋を借りたいんだけど?」

「何人だ?」

「一応、四人‥‥‥かな」

「金は持ってるのか?」

「金は無いけど、金目のものなら」

 鞄に手を突っ込み、中からネックレスを取り出す。それは以前にランダース達に投げたものである。マリーは複雑な気分でじっと見守る。

「お前達、ガロンドの仲間か?」

「まあね」

「‥‥‥」

 マスターは手を止めて睨んだ。その気迫にジュリオは体を後ろに仰け反らせる。

 ここはガロンド達の馴染みの店で、客のほとんどと、マスターが二人の事を知っている事は分かっていた。問題はここの主人が、そのガロンド達をどう思っているかである。

「随分、景気が良さそうだな坊主、ガロンド が盗賊をやってるってのは本当なのか?」

「んー、それは正確な言い回しじゃないな。かつてはやっていた。そして今はやっていない」 

「‥‥‥で、今は何をしている?」

「正義の剣士」 

「まさか」

「いや、冗談じゃなくて」

「‥‥‥そうなのか?」

「ほんと、ほんと」

 言い回しからは悪意は感じられない。

「‥‥まあ、立ち入った事は聞かないが‥‥‥そうかもしれないな、ああ見えてもガロンドは‥‥‥」

 マスターは辺りをきょろきょろと見渡す。

「昔はボアジェクの騎士団にいたんだ」

 声の調子を落とす。

「‥‥いや、その言い方も正確じゃない。昔はボアジェクの騎士団にいた。そして今もいる」

「‥‥‥馬鹿な事は言わない事だ、若いの。何処でタイ、ホーの役人が聞いているか分からない」

「タイ、ホーの役人を嫌いの様だね」

「ああ、稼ぎのほとんどをもっていってしまう‥‥‥国が変わってからというもの、ろくな事がない」

「そりゃ、ひどい、怒って当然だな」

 ジュリオは顔を近付けてニヤと笑った。

「何を隠そう、この俺は三十二代、ボアジェク騎士団長、ガロンドとランダースはその 配下の騎士、そして‥‥‥」

 マリーの背中を押して、マスターの前に出す。

「そして、ここにおわすは、ボアジェク王国、第三王女、マリアンデール王女その人」

「‥‥あ‥」

 マスターはぽかんと口を開けた。


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