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第十一話 俺の意志? そんなものは最初から存在しないらしい

 騎士に任命されたギルバートは、与えられた庁舎の部屋の中での最初の一時間を、渡された命令書に憤慨しながら過ごす事になる。

「‥‥‥」

 ギルバートが握り潰したその紙面は、タイ、ホーが公式に発表した文面の抜粋であった。 曰く、旧ボアジェクの騎士が、幼少のマリアンデール王女を拉致、殺害した。王女を保護しようとしたタイ、ホー国の追跡の手を振り切り、セミディアル方面に潜伏中のもよう‥‥‥と、いうものであった。

「馬鹿なっ!」

 ギルバートは、命令書をもってきたブライアンを睨んだ。

 与えられた任務とは、その少女を殺害した元ボアジェクの騎士、ジュリオールを捕らえるか、討ち取る事である。

「ブライアン団長!、これはどういう事なん です!」

「‥‥‥ジュリオが王女を連れ去った事は間 違いない事だ」

「そんな!、団長だってジュリオの人となり は知ってるでしょう!、どうしてジュリオ が王女を殺害しなければならないのですか!」

「‥‥‥」

 ブライアンは苦しそうに目線をそらした。

「ツーロック執政官‥‥‥上からの命令だ。 ‥‥決定を覆す事は出来ないのだ」

「‥‥‥」

 ツーロックは恐らくは気を回したつもりなのであろう。今回の事は、新任の騎士に手柄をたてさせ、出資者で両親に恩を売れば、後々何かと都合がいいと考えての事に違いない。 出来損ないの見習い騎士を捕らえる事は、たやすい‥‥‥そう思っているはずである。

「‥‥何を考えているか察しはつきますが、 ジュリオの奴はそう簡単には捕まりはしま せんよ‥」

「‥‥‥我々が捕らえなければ‥‥タイ、ホ ーの騎士団が動きだす‥‥彼らはジュリオ と‥‥‥マリアンデール姫を殺すだろう‥ ‥‥」

「‥‥そうですね‥」

 その為にも何としてでも先にジュリオ達の身柄は確保しなければならなかった。

「では‥‥‥これから直ちに出立します」

「‥‥追い詰められたジュリオは、オストフ ァーレンに亡命するしかない。一応、国境 には兵を配置してある。何かあれば連絡が 来るはずだ」

「‥‥わざわざそんな所には行くとも思えま せん」

 ギルバートは羽飾りの付いたつば広の帽子をかぶり、鋭い瞳で正面を睨んだ。




 ジュリオ達が、セミディアル山中の山小屋に到着してから、三度程、哨戒の部隊の姿を見かけたものの、ランダース達の協力によってやり過ごす事が出来た。

「ここはいい所だね」

 ジュリオは剥出しの丸太で作った椅子に座り、テーブルのザラザラした表面を撫でる。 隣ではマリーが、ナイフをつかって何かを彫っていた。

「まあ、隠れるにはな」

 壁に寄り掛かかったランダースが、腕を組んで窓代わりに明けられた四角の隙間から、油断なく見渡している。

「それもあるけど景色がいいじゃないか」

 ささくれた指先に顔をしかめる。

「養成所はあの独特の匂いが嫌だったし、迎 賓館はかび臭くて」

「何じゃ、お前の家もかび臭かったぞ」

 脇からマリーがちゃちを入れる。ジュリオは肩をすくめた。

「‥‥‥しかし、ここもそろそろ危ないかも しれない」

 ランダースはぼそと呟く。

 捜索の手がすぐそこまで伸びているのは、近くを通る兵士達の会話から分かっていた。

「まあ、何とかなるさ」

「まったくのんきな奴だな」

 ランダースはあきれた様にそう言い、近くに座った。

「たった四人で、それでどうしようというの だ?」

「肝心なのは、国境を越える事。それで半分 終わった様なものさ。もし渡れたらその時 はその時‥‥‥」

「何か考えてる事があるのか?」

「多分ね‥‥‥何とかなる‥‥‥と、思うん だ」

「‥‥‥ふん」

 ランダースはいらいらした様に、テーブルの上を指で叩く。

「取り敢えずは目先の事だけで頭が痛いよ。 朝食も出来てないのに、夕食の心配しても 仕方がないだろ」

「そんなものか?」

「それも、一つのものの例え。今度は俺の方 から質問したいんだけど?」

「なんだ?」

「確かにここなら隠れるには都合がいいけど、 国境からは結構、距離があると思うんだか?」

「結果的に渡ればいいんだ。何も歩いていく 必要はない」

「ん?」

「ここ最近、国境から外へは蟻の子一匹、這 い出る隙間もない。何処もかしこも兵士で 一杯だ。歩いていけないとすれば‥‥」

「まさか川を下って‥‥」

「それしか手はない」

「泳ぎはどうもなぁ‥‥‥」

 ジュリオは困った様に頭をかいた。

 近くを流れる小川は、真っすぐに国境に向かっている。流れに乗れば兵士達をやり過ごす事も出来そうであったが、素直にうなづく事は出来なかった。

「船の事は心配するな。今、ガロンドが上等 の船をつくってる」

「‥‥‥それは有り難いんだけど‥‥川の先 がどうなってるか分からないと、不安なんだけど」

「流れはボアジェクの橋を通り、オストファ ーレンで海に出ている。途中で降りればい い、それだけだ」

「‥‥‥うーん‥‥」

「この程度の危険を乗り越えなければ、先には進めんぞ」

「そうかなぁー‥‥」

 ブライアン団長の訓示を聞いている気分になり、ため息をついた。ランダースが元、騎士なのは確かな様である。

「そうだぞージュリオ」

 マリーがまた横槍を入れてくる。

「ほれ、お前にはこれをやる」

「ん?」

 小さな木の枝ををくっつけた合わせた奇妙な代物を渡されたジュリオは、顔に近付けてじーっと見つめる。

「何だよこれ?」

「私が直々につくった有り難ーいお守りじゃ、 お前にもやろう」

「‥‥‥こりゃ‥‥‥どうも‥‥‥」

 ガロンドの分まで渡され、ランダースはどう答えてよいか分からず、ジュリオに顔を向ける。

「感謝の気持ちだ‥‥‥今は他に何もしてあ げられない‥‥何もあげられない」

「‥‥‥姫、その気持ちをいつまでも忘れな い様にして下さい。それで十分です」

 ランダースはマリーの手をとって笑った。”出来たぞ!”

 ガロンドが飛び込んできた。

「随分、早いな」

「当然!、俺より器用な奴はいないからな」

「じゃ、早速‥‥」

 自慢げに笑い続けるガロンドを無視して、三人はすぐに支度を始める。

 小川は小屋のすぐ側を流れていた。

「どこにも舟なんてないみたいだけど?」 「すぐに舟と分かったら、見つかっちまうだ ろーが」

 ガロンドは足元の葦の葉の固まりをを足で蹴った。地続きと思っていた場所は、水面にわずかに揺れて波紋を広げる。

「これなら完璧だろ?」

 地面からそのままむしり取って張りつけたらしい草叢をめくると、下から木で組んだ小さな楕円形の舟が表れた。

「へえ」

 ジュリオは恐る恐る足をつける。見かけより安定している様だった。マリーが後に続く。

「縁が出っ張ってるからな、足元、気をつけ ろ」

「わ、わっ!」

「おっと!」

 転びそうになり、ジュリオはマリーの手を取って支えた。

「荷物はこれで全部だな」

 持ってきた鞄を受け取る。

「それからこれも」

 ボアジェクまでは丸一日程かかる予定である。ガロンドに渡されたのは、その間の軽い食事であった。

「‥‥これはお前が持て」

 ランダースは、細剣をジュリオに渡そうとした。

「いらない」

「これから必要になるはずだ。お前も騎士な ら、自分の手で主を守らなければならない 時が必ず来る」

「いやー、その、どうせ持ってても役に立た ないだろうし、それに練習して使える様に なる頃には、もう騎士をやめてるから、ど っちにしても意味がない。荷物が増えるだ けさ」

「変わった男だな」

「どうも」

 続いてランダース達が乗り込む。心なしか舟の揺れが少なくなった感じを受ける。

 押し出された葦の茂みの舟は、すぐに小川の流れに乗る。

「‥‥‥」

 マリーは、隙間から外を覗いて呟く。

 葦の蓋をあげていた手をのけると、舟の中は薄暗くなる。あと数時間もすれば日が暮れ、そうなればここは真っ暗になる。

「‥‥あ‥」

 肩を抱いたマリーは、細かく震えだす。

「どうかなされましたか?」

 気づいたランダースが尋ねた。

「‥‥‥な、何でもない」

「なら、いいんですが」

 それきり黙ってしまったので、ランダースは正面に注意を戻した。

 たまに大きく揺れる事はあるものの、川下りの旅は順調だった。

「この分だと明け方には着きそうだな」

 眩しい程の黄昏時が過ぎ、日が落ちると、予想通り、葦の小舟の中は何も見えない程に暗くなった。

「‥‥‥暗い‥‥‥暗い‥‥‥」

「ん?」

 マリーが後ろでぶつぶつ言い始めた。

「気分でも悪いのか?」

 今度はジュリオが聞いた。

「‥‥‥」

「着くのは先だし、しばらく降りてるか?」

「だ、駄目!」

 後ろから抱きつかれる。舟は上下に大きく揺れる。

「‥‥‥暗闇が‥‥‥上から‥」

「確かに、ここは森の中で暗いけどさ‥‥」「‥‥恐い」

「‥もしかして‥‥‥暗い所、駄目なのか?」「‥‥うん‥」

 小さく首肯く。

「なら、最初から言ってくれ。もう戻れない ってのに、大体‥‥」

「‥‥‥」

 震えているのが、背中から伝わってくる。ちゃかそうとしたジュリオは、途中でやめた。「‥‥‥大丈夫だって」

 冷たくなっている小さな手に上から手の平をかぶせる。

「‥‥‥また適当な事、言って誤魔化す気じ ゃな」

 背中に顔を押しつけながら、もごもごと篭もった声を出す。

「そりゃ、心外だな。俺は今まで適当な事な んて、言った事ないつもりだがな」

「じゃあ、誤魔化してはいるんじゃな?」

「まあね、嫌な気分は誤魔化す、その為にね」

「‥‥‥」

 マリーは顔をあげた。

「俺も孤児院にいた頃、夜が恐かった。でも、 今じゃ、まったく平気‥‥‥自分の考え方 一つで変わるものだって分かったからさ」

「‥‥‥」

「夜の闇を恐がる必要はない。なぜなら、夜 明けは絶対来るんだから。恐がるだけ損さ」

「‥‥‥」

 マリーは目をパチパチさせる。

「‥‥‥何かだまされている様な気がするが ‥」

「でも、気が晴れただろ?」

「うん‥」

 息が出来ないぐらい、強く顔を背中に押しつけた。

「口先の魔法使いとは、よく言ったものじゃ な、お前は、私の心の靄を、魔法の様に消し去ってしまったぞ‥‥‥」

「それで誉めてるつもりかよ?」

「‥‥‥誉めておるぞ‥‥‥」

「ったく、お前はもう寝てろ。ゆっくりして られるのも今のうちだからな」

「‥‥ううん‥‥」

「勝手にしろ」

 五分もしないうちに、マリーは軽い寝息を立て始める。ランダース達も交替で睡眠を取る事に決め、最初はジュリオの番であった。

「‥‥さて‥‥俺は寝る訳にはいかないんだ よな‥‥行き過ぎたら大変だ」

 一生懸命何かをするのは、自分の性に合っていないと、ジュリオは考える。が、後々、ぼーっと過ごす為には、今は頑張るしかない。

「‥‥‥まあ、理屈に合っているよな。俺は 仕方なくやっているだけ‥‥そうだよ」

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、流れていく先を隙間から覗く。まだ河幅はそれ程広くはなく、両方の岸が月明かりにぼんやりではあるが、見る事が出来る。季節はそろそろ秋口にさしかかっており、あちこちに蛍の光がふわふわと浮かんでいる。

 そうして三時間程の時間が過ぎ、半月が真上まであがった。

 ”‥‥何か向こうから流れてくるぞ?‥”

「‥‥‥」

 知らずにうとうとしていたジュリオは、ガロンドに肘を突かれて起こされる。何処からか聞こえてきたその声に、完全に覚ました。 外の声に三人は耳をすます。

 ”‥舟か?”

 ”いや、水草の塊の類の様だが‥‥変だな”

「‥‥‥」

 隙間からそっと外を覗く。

「‥‥まずいかな‥‥‥」

 二、三人のセミディアルの兵士が、こっちを指さして口々に言い合っている。

 ”どうかしたのか?”

「!」

 その声には聞き覚えがあった。

「‥‥‥ギ、ギルバーか!」

 葦の小舟は、どんどん近づいていった。

「‥‥‥こうなったら、やるしかねえな」

 ガロンドが剣に手をかけた。


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