ジュリオ達が山越えをしている頃、砦の街の城の中で、一つの国王の命令が伝えられていた。
「自分が‥‥‥騎士にでありますか?」
夕闇迫る薄暗い執務室の中、突然の事にギルバートは驚きの声をあげた。
「何も不思議な事はあるまい」
ツーロックは、背もたれに深くよりかかる。普段は大きな机も、大きな体のツーロックを前にすると、便りなげに見えた。
「養成所での君の成績を見せてもらったが、 どれをとっても非常に優秀なものだ。そう でなくとも君はシャリオロス家の嫡男。遅 かれ早かれ、要職につく事は明らかだ。今 回は私が陛下へ推薦した事だが‥‥‥余計 な事だったかな?」
それだけ言って、人懐っこそうな笑みを浮かべた。
「‥‥‥いえ‥‥‥ありがとう‥‥‥ござい ます」
「うむ‥‥‥それで、早速で悪いが、一つ任 務を受けてもらいたい」
ツーロックが前に体を乗り出す。椅子がミシと音をたてた。
「‥‥‥何でございましょう?」
何かの命を言い渡される事は、騎士への任命が言い渡された時点で分かっていた。そうでなければ、この時期にそんな人事など行なうはすはないのである。
「これはまだ発表されてはいない事だが、ボ アジェクの王女が逃亡を企て、何処かへ消 え去った」
「‥‥‥」
「聞けば、随行しているボアジェクの騎士は、 ここの養成所出身というではないか。‥‥ ‥出来が良かったとはとても言えない様だ がな」
嘲る様に鼻を鳴らす。
「現在、国境添いの街道全てに非常線を引き、 警戒を強めているが、まるっきり姿を見せ ない。だがタイ、ホーからの要請もある。 可及的、速やかに捕縛しなければならない のだ」
「‥‥‥はい」
「そこで君に命じるのだよ。セミディアルと タイ、ホーとの友好に陰を落とす、ボアジ ェクの逃亡者をひっ捕らえよ」
”失礼します”
ノックの後、一人の青年が入ってきた。
「ギルバート君、彼の事は知っているな?」
「はい」
脇に佇むのは、同期のワイアードであった。 青白い顔にはいつも表情は無く、仮面とあだなされている。養成所内の成績は、総合的には常にギルバートの次に位置していたが、抜きんでている剣術はギルバートも勝つ事は出来なかった。
「彼も騎士に任命される事になった。二人で 共同して作戦に当たってもらう」
「よろしく」
「‥‥‥」
出されたその手を、ギルバートは無表情のまま握り返す。今はそうするしか無かった。
「確かこの辺のはずなんだが‥‥‥」
山道をかなり行き、見晴らしのいい大きな崖の上に立ったジュリオは、辺りをぐるりと見渡す。眼下には広大な平原が広がっていた。「お腹空いた‥‥‥」
マリーは岩の上に寄りかかって舌を出した。 置いてあった鞄を漁って、中からパンを出してモゴモゴと食べ始めた。
「もうちっと我慢しろって、まともな飯にす るから」
「‥‥‥こんな山の中で、まともなものが何 処から出てくるのだ?」
「それを探してるんだよ」
ジュリオは地平線に目を凝らす。
「‥‥‥いた!」
遠くに煙が昇っているのを見つけ、ジュリオは岩から飛び降り、まだパンにかじりついているマリーの手を引っ張る。
「ちょ、ちょっと待て!」
「待てない!、向こうは移動してるんだ」
「向こう?」
ごくんとパンを飲み込む。
「いいから早く!」
急勾配の道を駆け降りていく。ガサガサとと茂みの中を走り続け、それから不意に立ち止まった。
「ど、どうかしたのか、ジュリオ?」
「‥‥‥ここに‥‥いるはずなんだ‥」
足元には、誰かが火を起こした消し炭の跡が残っている。囲む様に折れた木の幹があった。
「まだ、遠くには行ってない」
足で炭を蹴飛ばす。消えていた火がまた燃え上がった。
「‥‥‥よ、よし‥‥やるか‥‥」
ジュリオは襟元をゆるめ、二兎、深呼吸を繰り返した。マリーはそんな緊張の極にあるジュリオの顔を黙って見つめる。
「俺は騎士、ジュリオール!」
声の限り大声をあげる。森の騒めきの中に反響は消えていく。
「ここにいる事は分かってる!、姿を見せろ 山賊どもっ!」
「え?」
マリーは驚いて、息を止めた。野鳥が一斉にぎゃーぎゃーと騒がしくはばたく。
”騎士様が何の用だ?、捕らえにでも来たの か?”
何処からか低い声が響いた。マリーはジュリオの袖にしがみつく。
「‥‥‥大丈夫‥‥‥多分‥‥‥な」
不安げなマリーの頭を撫でる。
「違うっ!、取り引きに来た!」
”‥‥‥”
「ボアジェクまでの抜け道を教えてほしい!」
”‥‥‥ほう、それで取り引きというからに は、お前は代わりに何を提供するのだ?”
「それを話し合う為に、代表者に会いたいん だかな?」
”‥‥‥”
声は黙ってしまった。
「‥‥‥」
拳を握り締める。
「出てくるのが恐いのか?、仲間がたくさん いるならここには俺達しかいない事ぐらい 分かるだろう?」
”おもしろい、いいだろう‥‥‥だが、お前 達の周りは囲まれている事を忘れるな”
正面の茂をかきわけ、一人の男が姿を見せる。
「俺が首領のランダースだ」
意外に若いその男はツーロックに引けを取らない程の長身で、長い黒髪を後ろで束ねている。肩から斜めにさげた帯には、ナイフなどの武器がびっしりとくっついていた。太い眉毛をつりあげ、自身ありげに腕を組んでジュリオを嘲けり笑っている。
「‥‥‥では話を聞こうじゃないか、勇敢な 騎士さん」
「‥‥‥」
ジュリオはあごを引いてランダースと名乗った山賊を睨む。辺りに人の気配を感じる事は出来ない。勘の鈍いジュリオには、どれほどの賊が隠れているのかは分からない。
「ボアジェクまでの抜け道を教えてくれ」
地理に精通した山賊であるなら、セミディアル騎士団も知らぬ抜け道を知っているはずである。だが、その気になれば自力で探す事も可能であり、ジュリオがあえて危険をおかして接触を求めた真の目的は他にあった。
「代わりにこれをやる」
鞄から出したのは接収されたはずのマリーの買物のネックレスである。
「ふん、抜け道一つで、随分太っ腹の様だな」
ランダースはナイフを抜き、ジュリオに投げた。
「‥‥‥」
カっと小さな音をたてて足元に突き刺ささり、ぶるっと身震いする。
「つまり、お前達は何が何でもボアジェクに 抜けたいという事だな、それも非合法に」
「‥‥‥そういう事になるね」
宝石を目当てに、山賊が交渉を無視して襲いかかってくる可能性は低いはずである。その為に、ボアジェクへの通行の重大さを示し、背後に今もっている物、以上の存在をちらつかせたのである。物欲のある山賊であれば、必ず話に飛び付いてくる‥‥‥はずであった。
「やっかい事は後免だな」
「‥‥‥」
小さな頼みを受け入れてもらった後、真の頼み事を話すつもりであったが、最初の賭けは外れの様だった、ランダースは腰のサーベルに手をかける。見つめるジュリオは、相手に分からぬ様に息を飲む。
「命だけは助けてやる。持ち物全部置いてい け」
「こんな物より、よっぽど金になる話がある んだがな」
場の主導権を得る為には、まず会話を引き伸ばし、常に質問する立場に身を置く事である。会話を続けながら、相手の発した言葉の中に矛盾を見つける事さえ出来れば、まだ勝機はある。既にジュリオは一つ、その手がかりを発見していた。あとはいかに自然にその方向へと話をもっていけるかにかかっている。
「ふん!」
先にランダースが口を開く。
「うまい話には裏がある。危ない橋は渡らな い様にしてるんでな」
「それは首領としての意見だろ。他の人はど うなんだい?」
「むろん、同じだ」
「そりゃ、同じだろうね。どうやらここには 他にはいない様だし」
「隠れてるだけだ。妙な行動をとったら、次 の瞬間、お前の首は飛んでいる」
「そんなに簡単にやれるんだったら、どうし て隠れる必要がある?、どうやらここには 臆病者しかいない様じゃないか」
”何だと!”
幹の陰から手下らしき男が姿を見せ、細剣を抜いた。
出てきたのは一人だけである。それが十人でも百人でも、まともに剣を振れないジュリオには関係無かった。注目すべき所は、男の憤慨した態度と二人の持っている武器である。ランダースの持っているサーベルも、手下のレイピアも、手狭まな山中で使用するには向かない。また、臆病と罵られて、怒りを表にする点も、山賊にしては奇妙である。
そこにこそ交渉の勝機がある。
「‥‥‥へえ、どうやら身を持ち崩した騎士 って所か?」
ジュリオは二度目の賭けをする事にした。これで外れたらアウトである。
「なぜそう思う?」
ランダースは口元を歪める。
「まあ、何となくね」
「おかしな奴だな」
そこに手下が間に割って入った。
「ランダース!、脇にいる小娘は、ボアジェ クの第三王女だ!、捕まえろ!」
「なに!」
聞いたランダースは驚くが、それ以上の大きさでジュリオの心を踊らせた。
何人もの勝利の女神が踊っている。
「さてはそこのお前!、先日俺達を襲った間 抜けな盗賊だな!」
確信をもって指差す。
「ち、違う!」
「だったらどうしてそんなに断言出来るんだ?、 ボアジェクの王女なんて一言も言ってない のに」
「そ、それは‥‥‥」
顔は隠していて分からなかったが、よくよく聞くと声には覚えがあった。
「‥‥‥くく」
ランダースは笑いだした。
「そうか、ガロンドが、引き受けた仕事を失 敗させたへなちょこ騎士とはお前の事か」
「その通り。俺の手腕を少しはこれで分かっ てくれたんじゃないか?、元騎士さん」
「や、野郎!」
ガロンドが飛びかかろうと身構える。
「ちょっと待った!、これは健全たる取り引 きなんだ!、それも確実に儲けになる類の!、 それもこんなネックレスなんて比較になら ないぐらいのな!
飛びかかろうとした手下‥‥‥ガロンドに向けて投げ付ける。
「お前達が関所を越えてボアジェクの地に戻 る‥‥‥それの何処が俺達の得になる?」
ランダースがもっともな質問をする。
「聞いての通り、ここにいるのは、ボアジェ クの第三王女、マリアンデール姫だ」
突然、話の矢面に立たされたマリーは、きょとんとした顔になる。
「今、ボアジェク‥‥‥タイ、ホーの地には クライス執政官が駐在している。会う事さ え出来れば、そこで庇護を求められる。き っとクライス執政官は、彼女の正統な権利 を養護してくれる。協力者になればお前達 は、望みのものが得られる」
「ふん、そんな事が出来ると‥‥‥」
「出来る!‥‥‥その為に‥‥‥あなた方が 力を貸してくれるなら‥‥‥」
「俺達が?」
ランダースとガロンドは顔を見合わせ、それからおもいきり笑い始めた。
「はっはっ!、馬鹿を言うな、俺達二人がど う思った所でどうにもなるものか!、相手 は騎士団なんだぞ!」
ガロンドは腹を抱えて笑う。
「やってみなきゃ分からないだろ」
「小僧、たった一度の成功でつけあがらない方がいいな」
ランダースは剣を鞘におさめた。
「察しの通り元々は我々は騎士だった‥‥‥ ボアジェクのな」
「な、なんと!」
マリーが身を乗り出す。
「どうしてボアジェクの騎士がこんな所で山 賊などしとるのじゃ!」
「騎士団なんてかっこはつけてるが、その実 はただの戦争屋の集団に過ぎない。団長の 命令の元、どんな汚くひどい真似もする。 色々あるが、嫌気がさした‥‥‥って所が 一番近い」
ランダースは自嘲的な笑みを浮かべる。
「我々を元騎士と見抜いた事、物怖じせぬ態 度‥‥‥見かけによらずなかなかきれる男の様だな。だがな!」
それから急に表情を厳しくする。
「‥‥だが!、それで俺達に何の得がある?」 ランダースは再び剣を抜き、つかつかと近づいてきた。鋭い剣の先端をマリーの喉に向ける。
「あなたに問う」
「‥‥‥」
「あなたの今の望みは?」
「‥‥わ‥」
ジュリオは息を止めて言葉を待った。次にマリーがどう答えるかで、二人の運命は決まる。
「わ、私は‥‥‥」
「ボアジェクの再興か?」
「‥‥そう‥‥」
「‥‥‥」
ランダースは目を細めた。
「でも‥‥それは‥‥家に帰りたいから‥」
「‥‥‥」
「私は、私の事を気遣ってくれる者には、誰 よりも幸せになってもらいたい‥‥‥望み はただそれだけ」
「‥‥なるほど‥」
感慨深げに首肯き、剣をおろした。どうやら成功した様で、ジュリオは安堵のため息をついた。
「確かに、違う様だ」
今度はジュリオに矛先を変える。
「お前は今、仕える主君の命‥‥‥いや、実 直な心根を交渉の切札として使った様だな」「‥‥へえ、マリー王女は実直‥‥‥今、自 分でそう言ったよな」
ジュリオは息を震わせながらも、笑みを浮かべる。
「これで分かっただろう‥‥俺は、彼女を国 に戻す。どんな事をしても‥‥‥」
「そんな真似をする奴は、ここで剣に刺し貫 かれる‥‥という事は考えなかったのか?」
「それは俺の本意じゃない‥‥‥もちろん、 死にたい訳なんてない。だが、俺のした事 に腹をたてたとすれば、あなたはマリー王 女に心頭したという事だ。彼女の意志に反 した事、命令違反は出来ないって事だろう」
「‥‥む‥」
ランダースは初めて言葉に詰まった。
「‥‥‥口の達者な奴だ‥‥‥ふふ、小さな 姫の帰宅の為か‥‥‥それもいいだろう」
半場、呆れた様に剣をしまい、片膝を折って身を屈める。
「お、おいランダース!」
事態の分かっていないガロンドは、慌てた。「腹をくくれガロンド!、いつまでもこんな盗賊の真似なんかやってられないだろう」
「それは‥‥‥そうだが‥‥‥」
「頭をさげろ、我らの新しい王の前だ」
ランダースに押さえつけられ、ガロンドも隣で膝をつく。
「我ら二人、姫様に忠誠を尽くす所存にござ います」
「‥‥‥た‥‥」
困ったマリーは、おろおろと、ジュリオに顔を向けた。ジュリオはニコと笑って、うんうんと大きく首肯く。
口上は続く。
「‥‥‥ジュリオ殿と二人‥‥‥仲良く国に 戻られ事を‥‥‥」
「‥‥あ、ありがとう‥」
顔を赤らめていたマリーは、途中から感激の余りに泣きだした。