クライスが戻るのは一週間後の事である。それまでジュリオは、公的な身分を持たない事になり、当然、それまでやっていたセミディアルの見習い騎士としての仕事も訓練も無い。それでも積極的に城に出向いていたのはそれなりの訳があった。
「‥‥‥分かったのはこれだけだ」
ギルバートに渡された書類の束に目を通す。
「タイ、ホーはもう徴兵を始めたのか‥‥」
ジュリオは一通りペラペラと紙をめくり、鞄にしまった。
「助かったよギルバート」
「別にこれぐらいはどうって事ない、親父も タイ、ホーに投資した貴族の一人だ。向こ うの情報は簡単に流れてくる」
「‥‥‥投資か‥‥」
「ああ、主立ったほとんどの貴族が参加して いる。これだけ見ると、タイ、ホーは、セ ミディアルの植民地でしかないな」
「ボアジェクの痕跡は何も残って無いのか」
ジュリオは唇をかんだ。
「‥‥‥お前、あの王女様を家に置いてるそ うじゃないか」
「知ってたのか?」
「噂になってる、本当なのか?」
「まあね、行く当てもないみたいだし」
クライス執政官の事は黙っている事にした。 何処で聞き耳を立てている者がいるか分からない。
「ジュリオ‥‥‥タイ、ホーを味方にしたセ ミディアルは、きっとオストファーレンと の戦いに勝利する。そうなれば、亡国の王 族を引き取っているお前の立場は悪くなる ばかりだ」
「‥‥‥じゃあ、将来の騎士様はどうしたら いいと思うんだ?」
「あのコは孤児院に預ければいい。そしてお 前は養成所に戻る‥‥‥それで元通りだ」
「孤児院!、冗談じゃない!、誰があんな所にやるもんか!」
「ジュリオ‥‥‥」
「‥‥悪い‥」
大きな声を出した事に、ジュリオは自分で驚いた。
「そうだよな、最近の俺はどうかしてるんだ」
「‥‥‥」
「‥‥‥そう心配するなって。俺はただあの コの身元引受先が決まるまでのちょっとの 間だけ、預かってるだけさ。それでこの件 は終わりさ」
「なら、いいんだが‥‥くれぐれも短慮な事 だけはするなよ」
「そんな事、俺がする訳ないだろ。こう見え ても要領はいいんでね。じゃ」
ギルバートの肩を叩きながらそれだけ言って、養成所を去る。道中、俯きながら、足元の小石を蹴ながら歩いていく。
「‥‥‥らしくないよな‥‥ほんと‥‥俺は 落第ジュリオなんだぞ‥」
途中、街で買物をしてから家に戻った。
「‥‥‥ただいま」
扉の呼び鈴を鳴らす。
「ん?」
反応が無いので、鍵を使って明けた。
「?、うおっ!」
奥から巨大な球体が飛んできて、ジュリオを後ろに吹き飛ばす。
「あ痛たたた‥‥‥」
通りに吹き飛ばされ、したたかに尻をぶつけ、痛む腰をさすりながら立ち上がる。
「ったく!、俺だってのっ!」
”‥‥‥ジュリオか?”
柱の奥からマリーかひょっこりと顔を出した。顔をしかめていると走ってきた。
「それならそうと、最初から言ってくれれば よかったのに」
「声、かけたじゃないか。危ないな‥‥‥」
家にはジュリオが作った様々な仕掛けがあった。今の泥棒避けの仕掛けもその一つである。
「ほら、これ」
袋をマリーに手渡す。中身は街で買ってきた食い物の材料であった。さっそく紙袋の中をあさりだす。
「これは‥‥‥生肉か?」
指でつまみ、顔を近付けて犬の様にクンクンと匂いをかぐ。
「随分、安物に見えるがの」
「おいおい、これでもふんぱつして上物を買っ てきたんだがなー」
事実、サイフの中身はかなり軽くなっている。
「‥‥‥そうなのか?、こっちは卵か。野菜 と果物もあるな」
「朝、何も食わなかったからな、これ以上、 馬鹿にされちゃ叶わん」
「べ、別に、そんなつもりでは‥‥‥おお、 そうじゃ!、では、私自ら‥‥‥」
「いや、いい、どうぜ、ろくな事にならない のは分かってるからな」
紙袋を奪って、すぐに取りかかる。三十分程で出来上がり、
「ほら」
出来上がった料理の盛った皿を、マリーの前に出す。
「旨そうじゃ!」
「はっはっ、当然だな!、腕によりをかけた からな。題して、焼きベーコンのリゾット ってね。作り方は簡単、溶かしたチーズに ‥‥‥」
「うむ、うまいぞ!」
ジュリオの説明も待たず、マリーは口に放り始める。
「‥‥‥まあ、いいけどさ」
エプロンしたままのジュリオは、肩をすくめた。
そうして瞬く間に三日が過ぎ、その日の夜の事‥‥‥。
「‥‥‥」
午前二時を過ぎた頃、壁にかけてあるブリキの板がカラカラと音をたて、ジュリオは静かに目を明けた。
「‥‥‥嘘だろ‥‥」
ブリキ板に繋がっている紐は、家の周囲に張り巡らしてある。誰かがそれに触れれば、音をたてる仕掛けになっている。稀にカラスや野良犬が引っ掛ける時もあったが、その時とは明らかに音が異なっていた。
「こんな夜中に‥‥‥泥棒‥‥‥な、訳ない よな、こんな郊外のボロ家に‥‥‥」
起き上がったジュリオは、既に外出用の出で立ちであった。手元に置いてあったバックを掴み、明かりをもたずにマリーの部屋に急ぐ。
「おい、起きろマリー」
「‥‥‥う‥‥‥ん‥‥‥」
「起きろっての」
「‥‥‥む‥‥‥なんじゃ‥‥‥まだ暗いではないか‥‥‥」
「出かけるぞ」
「‥‥‥んー‥‥‥眠い」
少しだけ目を明けたマリーは、また眠ろうとしたが、ジュリオはゆさ振って無理に目を開かせる。
「起きなきゃ、お前は殺されるんだぞ」
「‥‥‥!」
ハっとした様に目を開いた。
「‥‥周りは完全に包囲されてる」
「‥‥‥」
「一分で支度するんだ。すぐにここを出るか らな」
「‥‥‥分かった」
言われた通りにマリーは支度を終えると、ジュリオは静かに部屋の隅の床板を外す。
「ここから抜ける」
垂直なその穴は暗く、何処までも続いている。
「‥‥‥」
短慮はするなというギルバートの忠告を思い出した途中でジュリオは手を止めた。
追っ手は恐らくはツーロック執政官の密命を受けたセミディアルの騎士である。仮にこの場をうまく脱出出来たとしても、熟練した土地勘のある彼らに、途中でつかまる可能性は高い。
そして、彼らから逃げ遂せたとして、タイ、ホーに行く事も、セミディアルに戻る事も出来ない。オストファーレンが亡国の第三王女などというものを受け入れてくれる可能性は低いと言わざるをえない。このままでは何処に行く当てもないのである。それでは二人とも共倒れになる。
「それよりだったら‥‥‥」
ジュリオは別の選択肢を模索する。ここにきた襲撃者がマリーを狙っている事は確かである。このまま彼らにマリーを引き渡せば、せめて自分一人だけは事無きを得るかもしれなかった。
「‥‥‥どうかしたのか?」
「い、いや、何でもない」
ジュリオは頭を振って、今の考えを追い払った。マリーを連れて逃げ切れる可能性が低いといえ、それを理由に引き渡す事は出来なかった。
=短慮はするなよ=
またギルバートの言葉が響いた。
「どうせ馬鹿だよ」
マリーを先に入れると、ジュリオは板を元通りに閉じた。
ランプに火を灯す。
「狭いから気をつけろよ」
「‥‥‥」
マリーは灯りの揺れではないと分かる程度に小さく首肯いた。
しばらく早足で行くと足元を水か流れ始めた。
「はあはあ‥‥‥」
「急ぐんだ!」
マリーの手を引いて暗やみの通路を走り続ける。向こうにぼんやりと光が見えた。
「あそこだ」
金属の柵がはめてあったが、ジュリオはそれを蹴飛ばして外す。側にあった梯子を使って上に昇る。
「‥‥‥どうやら、誰もいないみたいだ」
マリーを上にあげる。着いた先は街を囲む防壁のすぐ外の草原であった。マリーは両手を投げ出して横になった。
「ここだと、守衛に見つかるかもしれない、もう少し離れよう」
「‥‥もう‥‥歩けない」
手を離した途端、マリーは荒い息をついてしゃがみ込んだ。
「ったく、ほら」
「ん‥‥」
マリーを背負い、鞄を持つ。
「‥‥‥ぐ‥‥」
重さに耐えかねて、足がふらつく。
「‥‥‥こ、こんな事なら‥‥‥ほんとに、 鍛えておくんだったな‥‥」
三十分程歩いた所でマリーを降ろす。
森に開いた草むらの上、寝転がって夜空の星を見上げる。
「これで‥‥‥とうとう俺も追われる身だな ‥‥」
流れ星の一つが、視界の端をかすめていく。行き先を目で追いかけると、投げ出した腕‥‥‥更にその向こうに、マリーの寝顔があった。
「‥‥‥こんな所で何やってんだよ俺は‥‥ ‥これからどうしようってんだ‥‥‥何も 考えなんてないのに」
行き場が無くなった事を考えると、ため息しか出てこなかった。
「‥‥‥」
腕枕で星を見上げながら、これからの事を真剣に考える。
ほとんど公然に、セミディアルに反抗してしまった以上、もう戻る事は出来ず、オストファーレンに向かうしかない。が、両国の騎士団が睨みあっている国境を超える事は、まず不可能である。
「‥‥‥クライス執政官が戻ってくるまで‥ ‥逃げ続ければ‥‥‥いや‥‥‥」
政敵であるクライスの急所と言うべき、マリーを捕まえる為、ツーロックはあらゆる手段をもって捜索してくるであろう。小さな女の子連れで、その手から逃げ切る事は無理である。国内全土に捕縛命令は出されるであろう事は間違いなく、このまま何処かの森や街に紛れ込んでも何れは捕まる。
「八方塞がり‥‥‥か‥‥‥いや、何か方法 があるはずなんだ‥‥‥考えるんだジュリ オ‥‥‥」
頭を抱えて、マリーの横顔を見つめ続ける。
「‥‥何とかなるなんて‥‥‥適当な事、言 ったよな‥‥何とかしないと‥‥‥何とも ならなくなる‥‥‥」
「‥‥寒‥‥‥」
「‥‥‥」
寝返りをうったマリーは、体を縮込ませる。 バックから毛布を取り出して、上にかけた。
「‥‥やっぱりクライス執政官ん所に行くか ‥‥‥そうだよな‥‥‥それしかもう‥‥ ‥方法は無いんだよな‥‥‥面倒だけど‥」
風が草原に道をつくっていった。
「‥‥う‥‥‥ん‥」
羽ばたく鳥の泣き声に、マリーは目を覚ました。
「‥‥‥よっ」
切り株に座って、火をおこしていたジュリオは、目をこすって体を起こしたマリーに、湯気の昇るカップを差し出す。
「‥‥おはようジュリオ‥」
「のんきな奴だな」
「‥‥‥」
両手で受け取ったマリーは、まだ寝ぼけた顔で湯面をじっと見つめる。それから徐に口をつけた。
「‥‥むっ!、コーヒーなぞ、飲んどる場合 ではないぞ!」
「そりゃそうだが、慌てても仕方がない」
笑ってジュリオもカップを口に運んだ。
「‥‥‥相変わらず、緊張感というものがな い男じゃの」
「あのね、これでも苦労してるんだぜ」
一時間程で身支度を整えた二人は、また森を歩きだす。公道から外れた獣道であり、ときどきナタでツタをはらう。
「な、何でこんな所をわざわざ‥‥‥」
「歩きやすい道は、待ち伏せされてるかもし れないしな」
「‥‥うー‥‥」
体が小さい分、マリーは苦戦している様だった。
森を抜けると細い山道に入った。不揃いの小石の広がるガラ場が、何処までも続いている。このまま行けば、セミディアルの中央を走る山岳部に入る事になる。国境とは正反対のルートであった。
「‥‥‥で、これからどうするつもりなのじ ゃ?」
「‥‥‥うん」
夕べの襲撃以来、初めて方針を尋ねてきた。それは聞くのが恐かったからだろうと察したジュリオは、慎重に言葉を選ぶ。
「最終的にはタイ、ホー‥‥‥いや、ボアジ ェクに向かう」
「本当か!」
ボアジェクの名を耳にした途端、マリーの顔が一瞬パっと明るくなったが、
「でも‥‥‥戻っても‥‥ボアジェクは無い ‥‥‥‥」
すぐに暗く沈んでしまった。
「亡くなったフェリペス王の事は、俺はよく 知らない‥‥でも親が死ぬ辛さは、知って る‥‥たまんないよな‥」
「‥‥‥」
「確かにボアジェク王はいなくなったんだ。 それは現実の事として受け止めなきゃなら ない。マリーも王族なら‥‥‥ここでしっ かりしないと‥‥‥」
「‥‥‥分かってる」
「‥‥‥」
ジュリオは立ち止まり、少し後ろを歩いていたマリーに振り向く。
「今、ボアジェクにはクライス執政官がいる。 直接会いに行って何とかしてもらうさ」
「‥‥‥」
当のマリーはぽかんと口を開けて、ジュリオの顔を見た。
「‥‥‥そんな事が‥‥‥出来るのか?」
「出来るさ。珍しく俺は本気になったんだか らな」
「‥‥‥」
「何しろ俺は口先の魔法使いとあだ名されて たぐらいだからな。楽勝‥‥‥まあ五分五 分ぐらい‥‥‥かな。だから元気出せよ」 ジュリオは笑ってマリーの肩を叩いた。
「‥‥‥だから、それまで大変かもしれない けど‥‥‥何があっても、俺を信用してく れ」
「うむ、分かった。これから何があってもお 前を信じる」
マリーも少し興奮ぎみに肯いた。
「‥‥‥信じておる‥‥‥では、その決意に お前をボアジェク騎士団長に任命する」
「団長?」
あごをかく。
「ありがたき幸せ」
ジュリオは芝居がかった仕種で、腕を大きく回し、片膝をつく。仕える者の手に接吻するのが、正式な儀式であったが、マリーは手を出さなかった。
「?」
不思議に思って顔をあげた途端、
「頼りにしておるぞ、団長」
「‥‥‥」
マリーはジュリオの頬に軽く口をつけた。
「‥‥‥あ、あのな‥‥‥」
「えへへ‥‥」
少し照れた様に、マリーは首を傾げて舌を出した。
「美女からのキスは最高の褒美であろう?」
「だーれが美女だ、ガキが生意気言うんじゃ ない!」
「わっ!」
逃げ出したマリーを、ジュリオは追いかけた。