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第八話 散歩がハチャメチャすぎる件

 クライスはその言葉の通り、翌早朝には街を出発した。代わりを同じ執政官であるツーロックが務める事になった。

「‥‥本当なら、今日が同盟の調印式の日だ ったんだよな」

 迎賓館に向かう道の途中、ジュリオは暑さの残り香の漂う、並木道を歩きながら、矛盾している自分自身の事を考えていた。

 ジュリオは今だ、ボアジェクの騎士の服を着ていた。それはクライスが戻ってくるまでの間、マリーの脇にいようと思っての事である。亡国の王女の処遇に、セミディアルが関心を示す事はない様で、彼女の今後はクライスが悪くない様に取り計らってくれる。問題となるのは、それまでの十日程の間の事であった。

「‥‥‥やはり‥‥‥そうか‥‥‥」

 迎賓館内の事務所に寄ったジュリオは、心配していた事が現実のものとなった事を知った。

「‥‥冷たいよな‥‥」

 渡された書類に目を通す。

 それはこれまでマリーが無駄遣いしてきた品物の返還請求であった。

 王女の立場から一転、身寄りのないただの子供になってしまったのであるから、それは致し方の無い事であり、この処置を冷たいと非難する事は出来なかった。が、当のマリーにしてみれば、それはどう思うのか‥‥‥理屈では納得出来ても、感情的にならざるをえなかった。

 それにも増して分からないのは、そんな事を一生懸命に考える自身の事である。このまま養成所に戻れば、そんな面倒な事は全て終わりになるはずである。余計な事には首を突っ込まない主義だったはずであった。

「まあ、しかし‥‥‥期間限定と言っても、 一応ボアジェクの騎士だった訳だし‥‥‥ マリーの引き取り先を見つけまでは、俺が 責任とらなきゃならないんだろうな‥‥」 そう自分に言い聞かせ、深いため息をつく。マリーの部屋に着くと、思った通り、部屋の中か騒がしかった。

「やれやれだ‥‥‥」

 扉を明ける。

「むっ!」

 すぐに何かが飛んできたが、ジュリオはサっと脇に避ける。後ろの壁に当たった花瓶が粉々になった。

「おいジュリオ、何とかしてくれ!」

 ギルバート達が、枕を頭に乗せて逃げ回っている。

 ”無礼者!”

「うわっ!」

 マリーは手に当たる全てのものを、投げ付けていた。両親を失って気落ちしているかと思っていたが、そうでもない事に少し驚いてもいた。

「おいマリー!」

「よい所へ着た、この者達を止めるのだ!、 私の荷物を勝手に持ち出そうとしている!」

「‥‥‥」

 ジュリオは頭を振った。

「駄目なんだ。正式な通達も来てるし‥‥」

「‥‥‥」

「元々、この部屋にあるほとんどのものは、 後から買ったもので‥‥‥その‥‥‥返せ と言われれば‥‥‥文句は言えない‥‥‥」

「‥‥‥分かってる‥‥‥そんな事は‥‥‥」

 意外な程に素直にマリーは首肯いた。

「ちょっと、言ってみただけだ‥‥‥」

「‥‥‥」

 ジュリオは頭をかいた。

「再開してくれギルバート」

「‥‥‥いいのか?」

「いいんじゃないのー」

 てきぱきと部屋から荷物か運びだされていく。マリーは背中を向けたまま動かなかった。「おっと!」

 最後の鞄を持ち出そうとしたか、ジュリオはその手を止めた。

「それは‥‥‥」

 鞄を受け取ってごにょごにょと耳打ちする。何かを考えてたギルバートはうなづき、鞄を返した。

「無理言って悪いな」

「いや‥‥‥いいさ、それより‥‥‥」

 顔が険しくなった

「お前‥‥‥なるべく早く養成所に戻った方 がいい」

「‥‥またブライアン団長のシゴキか?‥‥ あんまりそんな気にもならんな‥‥」

 ギルバートの肩を叩く。

 部屋も綺麗に片付けられ、見習い騎士達が去った頃、入れ違いにツーロック執政官の副官が入ってきた。

「決定事項の通達に来た」

 手を止めて、副官の言葉に耳を澄ます。

「また何ですか?、見ての通り、もう返還す るものはありませんよ」

 部屋の中にあるのは、元からある家具だけになっている。

「その事ではない‥‥‥本日をもってこの迎 賓館第一貴賓室を明け渡す様にと‥‥‥」

「待って下さい、ここの使用はクライス様が 認めてくれています。正式な書状もありま すが」

「命令はツーロック様から出されたものだ」

「‥‥‥‥‥」

 ジュリオは言葉に詰まった。

 クライスが戻るまでの間、街はツーロックの指揮下にあり、当然、迎賓館もそれに含まれるのである。殊更にクライスの指示と反する命令を出したのも、ツーロックがクライスを政敵とみなしているからであり、執務室へと直談判に行っても聞いてもらえる可能性は低い。

「なら‥‥‥今日からどうすればいいのです か?」

 ここは素直に従うしかなかった。

「それは何も指示されては‥‥‥」

「むっ!」

「ぐわっ、あ痛っ!」

 マリーに噛まれた副官は、ほうほうのていで逃げていった。マリーは何処までも追いかけていく。

「身包みはいで追い出すなんて、ひどい話だ な」

 廊下の彼方から副官の悲鳴が聞こえ、ジュリオは肩を苦笑いを浮かべた。

「つまりは執政官同士の権勢争いか‥‥いや、 今はまだ嫌がらせの段階だけど‥‥‥どう にも面倒な事になってきたな‥‥‥」

 マリーの件は、ツーロックにとってクライスを糾弾する恰好の材料である。いつかはここを追い出されるとは思っていた。だが、それはクライス帰還の直前辺りであろうと考えており、これほど早く事態が進むのは予想外の事であった。こうなるといずれ第二幕、三幕があるであろう事は火を見るより明らかであったが、それがどの様な形で現れてくるのかは不明のままであった。

「しかし‥‥あの王女様を‥‥‥今日からどうすっか‥‥‥‥」

 なにより当面の問題はそれであった。




「まさかボアジェクの王女様を、自分ん家に泊める事になるなんてね‥‥‥」

 日の落ちた街の通りの中、あばら屋同然の家の前に立っていた。

 最初ジュリオは、ギルバートに頼んで彼の屋敷に置いてもらおうかとも考えたが、昼間の事もあり、知人だからと言って簡単に頼む事も出来なかった。結局、ジュリオ自身も迎賓館の部屋を追い出され、行き場の無くなったマリーは、自分の借家に置かざるをえなかったのである。

「ほほう、思っていたより、よい所ではない か‥‥‥」

「土地だけは余ってるみたいで、騎士団入隊 者にはタダで支給されるからな」

 ギギキ‥‥‥と、嫌な音を立てて建てつけの悪い戸を開けた途端、マリーはそんな感想を口にした。

「最初は雨漏りまでして大変だったんだ。こ れでも随分手を加えたんだ」

「自分でか?」

「まあね。いかに横になったままで過ごせる か‥‥‥いろいろ工夫してあるんだ」

「それは単に、自堕落なだけではないのか?」 マリーは廊下を渡してある紐を引っ張った。タン!と、音がして入り口の扉が閉まった。

「器用じゃな‥‥‥この戸は?」

「奥は居間に使っている」

「こっちは?」

「俺の部屋」

「部屋数だけは多いのー。で、私の新しい部 屋は何処じゃ?」

「そこ‥‥‥」

 ジュリオが差したのは、自分の部屋の対面の部屋である。入り口は板が打ち付けられていた。

「使ってないから、掃除しないとね」

「そんな事、下々の者にやらせれぱよいでは ないか」

「‥‥‥あのね、どうして見習いにそんなの がいるんだ?」

 薄暗い廊下をランプ片手に床をミシミシと踏み鳴らし、普段使ってない部屋の戸を開けた。

「‥‥‥うーん‥‥」

 家具の何も無い床は埃だらけで、一つだけある窓からの月明かりを受けて白く見える。「しゃーない、手早く掃除して、寝れる様に はしないとな」

「‥‥‥今日はもう疲れた‥‥‥」

 マリーはぼそと呟いた。顔を見ると確かにその様であった。

「分かったよ。じゃ、掃除が終わるまでの間、 居間で適当に休んでろ」

「‥‥‥うん、そうする」

 素直に肯いたマリーは、廊下の陰の中へと消えていく。

「‥‥やれやれ、疲れてんのは俺もだってー の‥‥‥」

 井戸からくんできた水で布を濡らし、床を拭いていく。

「‥‥‥しかし、マリーの奴、元気だよな」 それがジュリオには不思議だった。境遇の変化に全く動じない‥‥‥そんな姿に、さすがに王女だなと、少し関心していた。

 本格的な掃除は明日にやろうと、小一時間程で取り敢えずの掃除を終えた。

「おーい!」

 居間にマリーはおらず、ジュリオはあちこちに顔を出して探しまわる。

「‥‥‥マリー?」

 散らかり放題の自分の部屋のベット上にうずくまってる人影を見付け、ジュリオは壁のランプに火を灯す。

「‥‥‥ん?」

 隅で膝を抱えたマリーは、大きく肩を上下させている。壁を見つめたまま、何かを小声で呟いている様だった。




『どうして、入っちゃいけないの?、つまん ないよー』

 マリーは、部屋に入れてくれない侍女の服を引っ張った。

『申し訳、ありません。ただ今、大事な会議 で、誰も入れるなと陛下からの‥‥‥』

『そんな事言って!、最近はちっとも会って くれないし‥‥‥』

『後で、私の方から伝えておきますので‥‥ ‥』

『もういい!』

 マリーは 手を振り切って廊下を走りだした。まだ小さな子供だった頃は、いつも両親が傍にいた。が、最近は忙しいらしくて滅多に会う事が無い。上の二人の姉は、既に嫁いでおり、遊び相手は誰もいなかった。

 大人の話だから‥‥‥。会いに行ってもそうやって返された。

『どうして!』

 何処をどう走ったのか、マリーはまた会議室の前の扉の前にいた。いつもは厳しい顔で立っている衛兵もいない。

『お父さん!』

 両手を突き出して、扉を開けた。

『‥‥‥?』

 中は真っ暗で何も見えなかった。

『‥‥‥お母さん?』

 ゆっくりと歩いていく。

 バタン!と、後ろで扉が閉まった。

『‥‥‥』

 手を伸ばして辺りを探る。何処まで歩いても、冷たい床の感覚しか感じられない。

『‥‥‥え?』

 斜め上に、ぼうっと白いものが二つ浮かび上がった。目を懲らしてよくよく見てみれば、それは父と母の後ろ姿であった。

『待って!』

 ”‥‥‥”

 マリーの声に二人は振り返らずに足を止めた。

『‥‥‥ど、何処に行くの?』

 ”‥‥遠い所だよ”

『私も連れてって!』

 ”駄目だ”

『どうして?』

 ”だって‥‥‥”

 二人はゆっくりと振り向いた。

『‥‥‥』

 血だらけの顔に、マリーは息を止める。

 ”私達はもう死んでしまったんだから‥‥”

『‥‥‥』

 ”お前はもう一人なんだよ‥‥‥これからずっ と‥‥‥”

『‥‥‥いや』

 止めていた息を吸い込む。

『いやあぁぁぁぁぁ!』

 =‥‥マリー?=

 誰かに肩を抱かれ、マリーはその手に手を重ねた。


「‥‥‥」

ジュリオに気づいたマリーは顔をあげた。

「‥‥どうしたんだよ?」

「‥‥‥」

口を開きかけたが、息を震わせただけで何も言わなかった。目に涙を貯めている様だったが、泣いてはいない。

突然マリーはジュリオに飛び付いてきた。

「お、おい」

「う‥‥‥うぅ‥‥‥」

「‥‥‥」

そのままもたれかかり、泣き始める。

「‥‥何処にも行かないで‥‥‥お願い、一人にしないで‥‥‥」

「‥‥‥」

かける言葉を見つけられず、ジュリオは震えるマリーの頭を撫でた。

十年前、全てのものを無くした時と同じ自分が、そこにあった。

ジュリオは、マリーが静かな寝息をたて始めるまで、じっと抱き締めていた。

「‥‥‥大丈夫さ」

毛布をかけて寝顔を見つめる。

「‥‥きっと親切で優しい人が見つかる。 悲しい事はそれで終わりさ」

ジュリオは何度もため息をついた。


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