翌日からジュリオの生活は一変する事になる。
柱時計が朝の六時を差すと、中から鳩時計が飛び出し、ポッポッ!と、大きな声で鳴いた。
「‥‥‥うるさいな‥‥‥」
羽の飛び出た毛布から手だけを出し、枕元のスイッチを叩く。鳩時計の鳴き声は、ぴたりと止まった。この時計は、予めに時間を決めておくと、そこに針が止まった時点で音が出る仕組みになったいる。ジュリオ手製の目覚まし時計であった。
「‥‥‥やれやれ、これで、もう一眠り‥‥ ‥」
外に出した手をまた毛布の中へと引っ込める。
「‥‥‥そうか‥‥‥」
寝呆けた頭の中に、昨日の事が少しずつ蘇ってくる。
=‥‥‥では、よろしく頼むぞ=
「!」
マリーの言葉を思い出した時点ではっきりと目が覚めた。
「くそおっ!、あのガキ、むかつく!」
毛布を跳ね退け、体を起こす。時計は六時とちょっと過ぎであった。剣術の朝稽古が始まるのは八時からで、普段であればまだ夢の中にいるはずである。
「‥‥‥大体、俺は寝るのが三度の飯より好 きなんだ。その俺が何でこんな早起きしな きゃならないんだよ‥‥‥ったく‥‥‥」
ぶづぶつと独り言を呟きなから、ベットからおりる。床に転がってる無数のがらくたに、何度か足をつまづかせながら、壁に直接かけてある養成所の服に手をかける。
「そうか、これはもう着なくてもいいんだっ た‥‥‥それはいいとして‥‥‥」
代わりに渡された箱をじっと見つめる。
「‥‥‥何が入ってるか分かったもんじゃな い」
一応、その心づもりで蓋を開けた。
「‥‥‥こ、これは‥‥‥」
金の刺繍の入った緋色の上着に、真っ白な細身のズボン‥‥‥それはボアジェク正騎士の正装である。
昔、まだ孤児院にいた頃に、国交の為に訪れたボアジェクの騎士団を遠目に見た事があった。
丘の上から夕日に照らしだされ、整列した一団が細剣を一斉に掲げた瞬間、さすがに感動した事を覚えていた。
「‥‥まさか俺が着る事になるなんてな‥‥ ‥‥こういうのは、もっと立派な奴が着る もんだ」
ジュリオはまた独りごちる。
着替えて迎賓館に足を向けた時、時計の針は七時をちょっと回った辺りであった。
「俺だ、ジュリオだ。入るぞ」
鍵を開けて我が者顔に入る。分厚いカーテンが朝の日差しを遮っており、中は真っ暗である。
「‥‥‥ふん、そう何度も同じ手に‥‥‥」
後方にも注意をはらいながら、分厚い絨毯の上を匍匐前進して窓際へと進んでいく。
「うらあっ!」
カーテンを、ガっ!と、一息に開ける。
「‥‥‥はっはっ、どうだ!‥‥‥って‥‥ ‥え?」
危惧していた事は起こらず、マリーはまだベットの中で眠り込んでいた。
ため息をつく。
「‥‥ったく‥‥‥起きろ!」
「‥‥んー‥」
揺さ振ると、背中を向けた。
「起きろこら、誰のせいで俺がこんな早起き してると思ってるんだ」
一気に毛布をはぎとろうと、手をかけた。
「‥‥お母‥‥さん‥‥‥‥」
「‥‥‥」
寝言を耳にした途端、その手をピタと止める。
「何だかんだ言ってもまだ子供なんだよな」
「‥‥‥何だと!」
「?、んぎゃ!」
毛布から飛び起きたマリーに、剣の柄で頭を叩かれたジュリオは、しびれる頭を押さえて屈む。
「何をする!、痛いだろうがっ!」
「子供扱いするからだ。しかし、相変わらず 油断の多い奴じゃ」
「く‥‥‥次はそうはいかん」
「頼もしい言葉だ。おお、やはりお前にはボ アジェクの服の方が似合っておるぞ」
ベットの上に立ち、腰に手を当ててケタケタ笑った。ジュリオは肩をすくめてこぶの出来た頭をさする。
「峰打ちだ。安心してよいぞ」
「あのな、そんな装飾ゴテゴテの棒で叩かれ たら、峰打ちもクソもあるかってんだ」
「そうか?、それよりもこんな時間から何用 じゃ?」
「起こしに来たんだよ!、昨日言ってただろ う」
「そうだったか?」
「はあ‥‥‥やってられんな」
「では私は着替える故、お前は外で待ってい ろ」
「‥‥‥ガキが生意気言って‥‥‥」
「ん?、何か言ったか?」
「いやいや、別に‥‥じゃ、ごゆっくり」
口笛を吹いて隣の部屋に移る。
それからジュリオの日課は始まった。
「ったく‥‥‥どうして俺が‥‥‥」
部屋の掃除をしながら、ジュリオはひたすらぶつぶつ言い続ける。
「これは何じゃ?」
昼食の時間になり、テーブルの上には料理が並べられる。
「‥‥‥オートミール」
塩胡椒で味付けされ、煮込まれた挽肉である。セミディアルでは一般的に食されている。
「ほう」
エプロンを付け、フォークとスプーンを手に一本ずつ持ったマリーは、一口だけ口に入れた。
「味が薄い‥‥‥」
眉をひそめて次の皿に手を付ける。
「これはサラダだな?」
サラダボールの中から、少し皿に移し、パクパクと口に入れる。
「これはしょっぱいぞ」
「あーそうですか、そうですか」
隣でハンバーグを食べているジュリオは、マリーの話を聞いてはいなかった。
「昼間っから、こんな贅沢な‥‥‥うん、こ れもいける‥‥‥」
「‥‥‥おい、ジュリオ?、先程から何をし ておる?」
「いや、こんなものを‥‥‥口にする‥‥‥ 機会は‥‥‥そうそうないんで‥‥‥」
口一杯にものを詰込みながら、もごもごと答える。
「ふー食った、食った‥‥‥まー、これ位の 役得がないとな‥‥‥」
あきれ顔のマリーを余所に、ジュリオは胸ポケットから紙を出して広げる。
「えぇーっと、午後の予定は‥‥‥」
「町に行きたい」
「はぁ?」
「ここに着てから、まだ 町を見物していな い!」
「‥‥‥って言われてもな‥‥‥」
同盟大使のマリーを外に連れ出す事は、もちろん公に禁止されている訳でもなく、何の問題もないはずであった。が、クライスにはこの部屋の鍵を渡されている。その意味する所を考えた時、警備のみを目的としている様には思えなかった。
内側から自分の意志で出る事が出れないのであるから、一口に言ってしまえば軟禁‥‥‥それを越えて、監禁に近い。大使の名目を持つこの少女が、逃げ出して何処かへ行くとは考えにくい事である。
「いや、それは、今、現在の情況だからな‥ ‥‥つまり、これからその何かが起こる‥ かもしれないという事か‥‥‥」
「ねー、ジュリオールー」
「‥‥‥」
マリーに服の裾を引っ張られながら、ジュリオは一人、考え続ける。その事件はマリーの好まざるものには違いない。が、それが何かという事までは分からず、思い浮かんだ幾つかの事も推測の域を出てはいない。
「行くのーっ!」
「うおっ!」
脛をおもいきり蹴られたジュリオは、足を押さえて飛び跳ねた。
「な、何だよ!」
「行くの!、行くの!、行くの!、行くの!、 行くったら、行くのーっ!」
マリーは握った両手の拳を、上下にブンブンと振り回す。
「分かった、分かったって!」
「ほんとか?」
「まあ、ちょっだけなら‥‥‥」
「では、まいるぞ」
けろっとした顔でマリーはずんずんと歩いていき、勝手に扉を開けて廊下に出た。
「ま、待てって!」
「わっ!」
手を引っ張って部屋の中へと引き戻す。
「町に行ってもよいと言ったではないか!」
「それはそうと、下準備がいるんだよ」
「下準備?」
「そうだよ。そんな格好で町に出てみろ。何 言われるか分かったもんじゃない」
「そんなに変か?」
姿見の前でマリーは自分の格好を見下ろし、ヒラヒラのドレスの裾を手で叩く。
「んー、では、どうしたらよいのだ?」
「そうだな‥‥‥んー‥‥‥お、そうだ!」 ぽんと手を叩く。
「こういう時の為に金はある。買ってくるか らちょっと待っててくれ」
「そうか、なるべく急ぐのだそ。私は待つの は嫌いじゃ」
「はいはい、姫さまの仰せのままに」
わざと丁寧なもの言いをしてから、ジュリオは町の服屋に走った。
「早かったの」
「そりゃ、ね」
買ってきた服に着替えたマリーは、
「‥‥‥何というか‥‥‥」
不満げな顔だった。
キュロットズホンと、キルトのシャツ、前にだけ鍔のある帽子の中に髪を押し込めた姿は、男の子の様である。
「なかなか似合ってるじゃないか、マリー」
「ほんとうか?」
「ああ、これで何処にでもいるクソガキ‥‥ ‥うおっほん!、いやいや、庶民の中に溶 け込めるってものだ。それからこれな」
度の入っていない丸眼鏡を渡す。マリーは素直にそれをかけた。
「‥‥‥ぷ!」
眼鏡だけが異様に目立つ。ジュリオは笑いそうになるのを、ぐっと堪えた。
「‥‥‥どこか具合でも悪いのか?」
「ぶ‥‥‥くく‥‥‥い、いやいや、何でも ない。じゃ、じゃあ、行こうか!」
マリーを連れ立って迎賓館の門まで移動する。
「‥‥‥門番か」
警備している兵士が見えた。見習いではなく、正規の騎士である。
ジュリオは笑いながら近づく。
「景気はどうだい?」
「なんだ、誰かと思えばボアジェクの騎士ど のか」
騎士はあまりジュリオの事を快く思ってはいない様だった。
「ちょっと、外に出てくるからな」
「ああ、ん?、ちょっと待て!」
くぐった瞬間、呼び止められた。
「その子は‥‥‥まさか‥‥‥」
「もちろん、マリアンデール王女殿下だ」
「何処に行くんだ?」
「さあねー、それは俺にも分からない。なに しろ、マリー姫は気紛れだから」
「なんじゃと!」
「痛‥‥‥」
マリーに脛を蹴飛ばされる。
「それでは外出を許可する事は出来ない!」
「許可?‥‥‥へぇ‥‥‥止めるのか」
ジュリオは顎を引いて真顔になった。
ボアジェク大使の居所を不審者から守るというのが、門番としてここにいる最大の指示である。それは間違いない。ジュリオは更にその先にあるかもしれない何者かのプラスアルファの指示を考えた。それはこの門番がとる行動から推測出来るはずである。
「どうしてセミディアルが、ボアジェクの者 の行動を規制出来るんだ?」
「そ、それは‥‥‥」
「一応、こんなのでも‥‥‥」
また蹴られる。
「同盟特使として、自由意志で来てる訳だし、 マリー王女がどこへ行こうが止める権利な んてないんじゃないのか?‥‥‥他に理由 でも?」
「それは‥‥団長が‥い、いや」
思わず口に出してしまい、騎士は慌てて口を押さえた。
「と、いう訳で‥‥‥俺達は出かける。じゃ、 行こうか、マリー姫」
呆然としている騎士を後に、手を繋いで迎賓館を後にした。
町へは森の一本道である。
木の枝が天然の天井となり、柔らかな木漏れ日が二人の頭上から降り注ぐ。サワサワという音だけが辺りにこだまする。
「ジュリオ、さっきの話にはどんな意味があ ったのだ?」
「ん?、ちょっとね‥‥‥ぐ!」
また足を蹴飛ばされた。
「何だよ、さっきから!、絶対、あざが出来 てるぞ」
「子供扱いするなと言ってるのだ!」
「そういう訳じゃないって。通せんぼしよう とした意地悪な衛兵に、意地悪しかえした だけさ」
「‥‥‥そうなのか?」
「ああ、実はあいつ‥‥‥」
誤魔化す為に、適当な話を考える。
「一見、堅そうに見えるが、実はとっても意 地の悪い奴で有名なんだ」
「そんな者をどうしてセミディアルは騎士と しておるのじゃ?」
「そこはそれ、口八丁手八丁って奴でね、ブ ライアン団長をうまく言い包めちゃった‥ ‥‥て訳さ」
「それは腑甲斐ない。私であれば、そんな者、 すぐに成敗してくれるというのに」
「ふーん、気をつけよう」
肩をすくめる。