「ここだ‥‥」
案内された部屋の前でジュリオは立ち止まり、辺りを見渡した。
「‥‥んー‥」
歩いてきた分かった事は、この迎賓館の造りは中庭を囲んだΠ状の形をしているという事である。正面の部屋の位置は建物の中央に位置している。見た所、廊下に面した窓は見当らない。
「失礼します」
ブライアンはノックした。中からは何の返事も返ってこなかった。
「しょーがないな、おい、ジュリオール」
渡された鍵を扉に差し込む。
「‥‥何だろうな」
ゆっくと扉を開いていく。
「ん?」
部屋は真っ暗だった。
「大使、どうかなされたんですか?」
ブライアンが先に入った。
”無礼者!”
「ん?、ぐわっ!」
何か硬くて小さなものが顔面にぶつかり、たまらずブライアンは顔を引っ込める。声は若い女のものであった。
「な、何だ?」
ジュリオは、灯り取りの為に、扉を目一杯まで開く。
”またお前か、ブライアン!、お前の不細工 な顔は見飽きたぞ!”
「違います。自分は不細工なブライアン団長 じゃありませんよ。大使の世話を頼まれた もので‥」
差し込む白い光の先‥‥‥陰が奥へと動いた。
「お前が私の新しい家来が?」
陰の主は部屋のカーテンを開けた。
「ん?、こ、子供?」
そこにいたのは十歳ぐらいの小さな女の子だった。幾つかの房に分けられた金色の髪は、クルクルと巻かれており、着ている服はあちこちにヒラヒラとレースが縫い付けられており、どこか人形じみている。
「‥‥‥誰です?」
ジュリオは後ろで尻餅をついているブライアンに顔を向けて聞いた。
「わが国との同盟の為に、参ったマリアンデ ール、ライゼリート、ボアジェク三世、王 女殿下にあられる」
ブライアンはごほんと咳払いして立ち上がった。
「はあ、このコが‥‥‥王女様ですか」
頭をかいてまた室内に顔を戻す。
「こら、ぼさっとしとらんで、敬礼せんか!」
「‥‥はあ」
頭をかいてから、教えられた通り、膝を折って屈み、頭をさげる。
「えーっと、お初にお目にかかります。騎士 見習いのジュリオールです。この度、マリ ー‥‥ぇぇ‥‥‥三世王女殿下の世話係を 命じられました。至らぬ所が多々あるとは 思いますが、誠心誠意尽くしますので‥‥ ‥‥」
「‥‥‥また気のきかなそうな奴だな」
腕組みした王女は、ジロと横目でジュリオを睨んだ。
「ブライアン!」
「はいっ!」
「お前は下がるがよい」
「は?‥‥‥はっ!」
敬礼したブライアンは、ほっとした顔で出ていった。
「さて‥‥」
王女は近付き、直立不動のジュリオの周りをぐるぐると回り、下から観察を続ける。
「器量は‥‥‥まあスレスレ合格だな」
「‥‥‥」
ジュリオの口がもごもごと動く。
「くわえて、このセンスの欠片も無い服‥‥ ‥接待係となるからには、それなりのもの を着てもらわなければ困るぞ」
しわだらけのズボンのすそを引っ張られる。「国から持ってきた服がある。それに着替えるのだ」
「‥‥あの‥」
「何だ?」
「これは制服で‥‥‥勝手に変えられないん だけど」
「私の命令が聞けないと!」
「‥‥いや‥それは‥‥‥まいったな‥‥」 ジュリオは今日、何度目かのため息をつく。世話係と言われた時点で嫌な予感をしていたが、それは的中していた。特務官という役職は与えられたが、何の事はない、ただのわがままの子供の子守役に他ならなかった。
どうしたものかと考える。すぐに簡単な解決方が見つかった。
「あのさ‥‥‥俺も別に好きでやってる訳じ ゃないんだよね」
嫌われれば、すぐに他の者と交替される。目の前の少女の性格から、それは容易に思えた。
「命令されて、仕方なーく、来たんだ。そう てなきゃ、どうして‥‥‥はっはっ」
図に乗って大笑いする。
「なにっ!」
王女は背伸びして、ジュリオに顔を近付ける。
「私は、同盟締結の為に父上の名代として赴 いてやっているんだぞ!」
「そんなのは、上の決める事だし。俺には関 係ないね」
ジュリオは更に考えた。
うまくいけば、騎士団を除名されるかもしれない。つまりはこの勝ち気な少女を何処まで怒らせるかが、問題だった。
「追放以上、処罰未満‥‥‥なかなか難しい ですよ、これは‥‥‥」
「ん?」
「いやいや、こっちの話‥‥‥それより、マ リアンデール王女殿下は、ボアジェク国王 の名代という話なんだけど‥‥‥」
「それがどうかしたのか?」
「俺はそれは違うと思うよ」
「違わない!」
「じゃあ、調印書を見せてよ」
「チョ、チョウインショ?」
王女はあからさまに困惑の顔になった。頭の上に?が浮かんでいるのが見える様だった。
「そうそう、両国の友好を云々‥‥‥と、長 ったらしい文章が綴ってある紙‥‥‥国王 の印が下の辺りに書いてあったりしてね。 名代だったら、絶対、持ってるはずなんた けど」
「‥‥‥それは‥‥‥その‥‥‥」
王女は両手の人差し指をつんつんと突き合わす。
「み、見習い騎士如きに見せる様なものでは ないぞ。あれは大事なものだからな」
「本当に自分でそう思ってる?」
「‥‥‥」
マリアンデール王女はきょとんとした顔になる。
「別にそれはどうでもいけどさ‥‥そもそも この同盟‥‥‥腑に落ちない事が幾つかあ るんだけどね‥‥‥」
「何だ、それは?」
「まあ、分かんないだろうなぁ」
ジュリオはにやと笑う。
「さ、先程から聞いていれば、無礼者め。私 をボアジェク第三王女と知っててそんな 口を聞くか」
「そんな滅相もない。はっはっ」
「おのれっ!」
「え?、うわっ!」
王女は手元にあった燭台を投げ付けた。ジュリオは頭の上に手を当てて屈んだ。後ろの壁に突き刺さった。
「このっ!、このっ!」
「まっ、待った!、おわっ!」
手に当たるもの、全てを投げてくる。ジュリオは四つん這いで、廊下へと逃げた。
後ろ手に扉を閉める。直後、何か重いものが当たったゴンという振動が背中に響く。
「はあはあ‥‥‥何て狂暴な子なんだ。親の 顔が見たいよ、ほんと」
額の汗を拭う。
「まあ、しかしこれで‥‥‥ここは首になる だろう」
試合の結果が悪くて落第するよりは、格好かつくかな‥‥‥そんな事をぼうっと考えながら、元来た廊下を歩き始めた。
翌日、ジュリオは、思惑通りにクライスに呼び出される事になる。だが、そこで聞いた言葉は、予想していたものとは違ったものであった。
刀の錆になってこいよ‥‥‥ギルバートのそんな揶揄の言葉を耳にしながら、ジュリオは学長室の部屋に入った。
「はあ?」
何の冗談かと、ジュリオは自分の耳を疑った。
「‥‥‥お‥‥‥いえ、自分が‥‥‥ボアジ ェクの‥‥‥騎士にですか?」
何でまた‥‥‥と、その後に続ける前に、クライスが先に口を開いた。
「今朝、マリアンデール王女殿下から、申し 入れがあった。君を正式なボアジェクの騎 士として迎えたいそうだ」
「あのガ‥‥‥いえ、王女が?‥‥‥そんな 馬鹿な!」
嫌われるべく、十分な下拵えはしていたはずである。それが一転、自分の国の騎士としたいというのは、どういう誤算があったのか‥‥‥。
世界で一番、なりたくない職業‥‥‥それは、危険な戦場にわざわざ赴かなければならない騎士の類であった。
「し、しかし、クライス閣下、自分はそのう ‥‥‥見習いではありますが、一応、セミ ディアル軍に所属する者で‥‥‥」
「その件なら心配はいらない。陛下に上申す れば、煩わしい移管の手続きは何もいらな い。何しろ、大事な同盟国の姫が、望んで おられる事だ。陛下も二つ返事で承知なさ れる事は間違いはない」
「‥‥く‥」
ジュリオは必死に逃れる口実を考えた。
「いかにボアジェク皇女といえども、まだ子 供です。決定権は‥‥‥」
「確かに、まだ十歳の幼少の身‥‥‥が、そ れでも、王族ゆえの任命権は持っている。 普段であれば他国の人間にそれは適用され ないが、今回は場合が場合だ‥‥‥」
「で、でも‥‥‥じゃあ、自分の意志はどう なるんですか?」
「むろん、君にも拒否する権利はある」
「そ、そうですよね‥‥‥」
「だがっ!」
クライスは目を見開いて、ぐっとジュリオに顔を近付ける。ジュリオはたまらず、後ろに仰け反った。
「だが、仮に拒否した場合、国家反逆罪が適 用される事になる。陛下の命に背く事にな るのだからな」
「コッカ、ハンギャクザイ‥‥‥」
そのあまりの内容に、頭の中が真っ白になった。
「そうだ。最低でも十年は牢に入ってもらう 事になるが‥‥‥」
「‥‥‥」
十年‥‥‥牢‥‥‥その二つの単語が、何も無くなった頭の中をくるぐると回る。
「さて、返事を聞こうか」
クライスはいつもの様に穏やかな口調になった。
「はあ‥‥‥それでは、一応、受けます‥‥ ‥受けるしかありませんが‥‥‥その‥‥ ‥王女殿下に話を伺ってきます」
「うむ、そうしなさい」
すっかりと意気消沈したジュリオは、あからさまに大きなため息をつく。
「まあ、他国への移管となると、いろいろと 大変だろうが、そう悪い事ばかりではない」
「そうなんですかー?」
「ボアジェクの騎士に任命されれば、当然、 君はここでは他国の人間という事になる。 滞在中はボアジェクの駐在武官として、こ のセミディアルからの多額の給付金を受け 取る権利が生じるという事になる」
「金‥‥‥ですか?、まあ、あって邪魔にな るもんでもありませんが」
今のジュリオには騎士団をやめる事以外に興味がなく、金の言葉にもあまり心が動かなかった。
「一度会ったたけで、王女にそれだけ取り入 るとは‥‥‥やはり思った通りだ」
「はあ?」
「この同盟は二国間の問題だけではない。平 和への橋渡しになる程の重要なものだ‥‥ ‥君には期待している。そういう事だ」
「‥‥はあ」
浮かぬ顔のまま、部屋を出る。その足で真っすぐに迎賓館に向かった。
「‥‥‥確かに、この国にいなきゃならない 理由なんて無いんだけどさ‥‥何か、勝手 な話だよな‥‥‥」
こうなったらと、勢い勇んで王女の部屋の扉を叩く。
「‥‥‥むむ?」
ゆっくりと開けたが、本人の姿は見当たらない。
だんだん腹がたってきた。
「くっそぉ‥‥何処に消えやがったあのガキ ‥‥‥うごっ!」
後頭部に強烈な痛みを感じて、ジュリオは頭を押さえてうずくまった。
「これ、油断大敵だぞ、ジュリオール」
「お‥‥‥」
振り向くと、後ろに槍を持ったマリアンデールが、勝ち誇った様に、ケタケタと笑っている。