「ナツ……自分らしく
お父さんが言ってくれた言葉。それは今でもずっと私の胸の奥でしっかりと導く
「ナツ!! ナツ!!」
「は、はい!!」
司祭様に呼ばれているのがお掃除していた廊下に居ても聞こえ、箒をその場に立てかけて急いで声のした礼拝堂へと向かう。
「きゃ!!」
「おっと……」
急ぎ過ぎて何もないところで躓き、前へと倒れそうになったところで、ちょうど礼拝堂へと入ろうとしていた男性に支えられた。
「大丈夫かい?」
「え? え!? は、はいだいじょうぶれす!!」
「うん。大丈夫には見えないけどケガはないよね?」
「は、はいぃ~!! あ、ありがとうごじゃりまふ!!」
「あはははは。うん。じゃぁ
「は、はい!!」
そっと態勢を直してくれて、私の無事を確認したその男性はニコッと微笑むと手を振りながらその場を立ち去っていいた。
――ふえぇ~~!! い、いま、 いまぁ~!!
あまり男性と関わることが少なかった私は、それこそ私とそう歳が変わらないくらいの男性に触れられるなんて事もまず無かったので、転びそうになったところを助けて頂いただけとはいえ、抱きかかえるような形になった事にボン!! と音が鳴ったと錯覚するほどに顔が沸騰し始め、胸の鼓動がドキドキと高鳴っている。
――ど、どどど、どうしましょう~!!
あまりにもない事にパニックに陥ってしまった。
「ナツ!! どうした!? いないのかい!?」
「え? あ!! はい、はい!! おります!! ただいままいります!!」
司祭様が再度私を呼ぶ声に正気に戻して頂き、慌てて礼拝堂の中へと急いで向かう。
「あの方は……どなたなのでしょうか?」
先ほどの事を思い出し、嫌ではない胸に去来する今まで感じたことのない温かさを思い出し、また心臓が早鐘を鳴らすようにうるさくなった。
「お、お呼びでしょうか司祭様!!」
「うむ。ん? どうした体調でも悪いのかね?」
「え? い、いえ体調は悪くないですが……」
「そうですか? 顔が赤いですが熱があるわけでは?」
「ほえぇ!?」
司祭様に指摘されて顔に両手を当てると、確かに掌にいつも以上に熱を感じます。
「い、いえ大丈夫です!! 先ほどその……転んでしまいそうになりまして……」
「そうですか……相変わらずそそっかしいのは治りませんねナツは」
「す、すみません……」
「まぁいいでしょう。少しお話しが有りますので、奥に行きましょうか」
「は、はい……」
この教会の司祭様はあまり私をお叱りになる事は有りません。むしろ割と自由にさせて頂いているのですが、お勤めなどに関しては厳しい事で知られています。
いえ、私はしっかりとお勤めはしています。教会に勤めている他の方々同様に、課された事はしっかりと。ですから叱られる事は無いと思いつつも不安になりながら司祭様の後へと続き、司祭様がいつも執務などでお使いになられている部屋へと赴きました。
「ナツ。いえ、ナツ・ヘイゼル様」
「へ?」
部屋について私がドアを閉めたとたん、私の前に膝をつき神戸を垂れる司祭様。
「ど、どどど、どうしたのですか司祭様!! あ、頭をお上げください!!」
「いえ、皆がいる場ではあのような言動をお許しくださっておられるのですから、人の居ない所では……」
「や、やめてください!! わ、私にそんな事をしなくてもいいのですから」
「ですがナツ様はご聖女様であらせられますゆえ……」
「も、元ですから!! 元聖女!! 今は……ただの教会にお勤めするシスターの一人です」
「ですが……」
「いいですから!! ね? 司祭様、先ほど司祭様も仰られたじゃないですか。他に人がいない時には――ってやつですよ」
右手の指をピンと掲げてにこりと微笑むと、司祭様もはぁっとため息をついて立ち上がりました。
「わかりました。とりあえず座ってお話をしましょう」
「はい」
司祭様が椅子へと腰を下ろし、私もその対面に腰を下ろす。
「それでお話しとは?」
「はい。実はですな。ナツ様に婚礼のお申し込みが来ておりまして……」
「はい? 私に……ですか?」
「そうなのです。ご年齢も相応しいという事で」
確かに既に24歳になろうという歳にはなっていますが。
「何かの間違いでは? ほ、ほら
そう、私はすでに元聖女なのです。
「いえ、お申し込みはナツ様をご指名なのです」
「ど、どうして私なのでしょうか?」
「それは何とも……」
「えっと……どちらの家の方なのでしょう?」
「はい。お申し込みはその……」
とっても言いづらそうに俯く司祭様。
「どちらの御方なのですか?」
「……アルバート・ナイゼル子爵様です」
「え? えっと……間違いではなく?」
「はい」
「子爵様ですか?」
「はい」
「賢者様の?」
「そうですね」
そうしてしばし司祭様と見つめ合う。
「なぜに私!?」
「わかりません!!」
驚く私と、同じように驚く司祭様の声が部屋の中で響き渡った。
私はもともと僻地の二つの村を寄り親の伯爵様から任されている、小さな男爵家のヘイゼル家三女として生まれました。はいそうなのです。領地を任されているのではなく、領地にある小さな村を二つ任されているといういわば代官的な立場にあるだけの家なのですが、代々官吏として仕えている褒章という形で、数代前のご先祖様が伯爵様から男爵位を賜っただけの、平民寄りの貴族という立ち位置の家が私の生まれたヘイゼル家なのです。
因みにそのご先祖様が男爵位を賜るまでは家名などありませんでした。そこで伯爵様が家名を付けてくださることになったのですが、私の家の人は代々にしてヘイゼル色の髪をしていたという事で、分かりやすいように――という建前ですが安直ですよね――家名をヘイゼルとしたのです。
それから代々村を治める村長的な役割と、周辺領地の代官的な役割を担ってきたのですが、私の家系は特に戦闘民族だとか、頭脳の回転が速いとかそういう『特技』もなく、元々が平民なのですから貴族様たちが持つ『魔力』があるわけではなかったのです。
そんなヘイゼル家の中で唯一異端的に生まれつき魔力を持って生まれてきてしまったのが私。
姉二人ももちろん両親ですら『魔力』なんてものは体内に内包していないみたいなのです。
そうなると一族の中でも色々な人などが出てきます。私を利用することを考える人とか、嫁にしようとする人とか――
いやうん。生まれたての赤ん坊の私を嫁にって……ちょっとおかしいとは思いますけどね。
そんな私を案じた父が、領に有った教会の神父様にご相談したところ、そのまま『教会預かり』をする事が決まりまして、そのまま教会で育てられることになったのですが、なんと成長するにしたがって『魔力』が増えに増え、それはもう異様なほどの量となってしまいます。
更に私は念じると傷を治したりすることが出来るようになり、傷を治せる聖魔法を使う聖女様と周囲の人達から呼ばれてしまうように。
そうなると伯爵様が私を――となる事が分り切っているので、神父様が先手を打ち王都――わたしが住んでいるのはアルマトイ王国という中辺国家なのです――にある教会本部での保護を決行。
そこで改めて鑑定していただいたところ、魔力も興国以来1,2を争う程の量を内包していて、更に回復魔法が使える事が判明し、正式に聖女として認定されました。
生活もそれまでの慎ましやかな生活というわけにはいかなくなり、王族の方々や高位爵位の貴族様方などのけがなどの治療に伺う事が増え、更に国同士の紛争などが起きると、回復役として動員される事もしばしば。
体はとてもきつかったですけど、皆さんを癒せる事でお役に立てればという思いから頑張っていました。
それも現在の聖女様が現れるまでは――。
今の聖女様は凄いお方です。私と同じような低位貴族家生まれなのですが、幼いころから魔法を使う事が出来て、更に傷や怪我を直すだけではなく穢れを払える魔法までをも習得されていて、その名はすぐに国内に広がりました。
そうして私と同じように王都の協会で保護されることが決まったのですが、聖女様――タニアというお名前ですが――聖属性ではなく光属性という事が判明し、私よりも出来る事が多く、更に結果もはるかに高いという事で、勿論すぐに聖女認定されて私と共に色々な場所へと赴くことが増えたのですが、私は『回復』が得意なだけの聖女なので、表で色々と活躍するのはでタニアで、裏でけが人などの手当てをするのが私という図式が出来上がり、ほどなくすると「ヘイゼルいらなくね?」となるのは必定でした。
更に悪いことが重なり、私はとある高貴な方の治療に失敗してしまいます。
魔力量が多いとはいえ、体は普通の女性なのですから疲労が溜まれば体力も落ちますし、集中力も減ってしまいます。そんな中でちょうど戦地へと赴いた聖女の代わりに治療をと申し入れがあり、駆け付けたのですが治すことが出来ず――いえ、直せなかったのではなく魔法自体が発動しなくなってしまったのです。
最初は周囲も疲れ等があるかと心配をしてくれたのですけど、二度、三度と同じような事が起こるとその話はすぐに広まり、とうとう国王陛下の耳へと入り、教会に苦情が入る事に。
枢機卿の方々が対応をしてくださったのですが、私が魔法を発動できることはなく、やむなく聖女認定を取り下げる事となり、そのまま放逐するという話も上がったのですが、現在私がお世話になっている教会の司祭様――実は実家のある領に有った教会で私を保護してくださった神父様なのです――がまた私を保護してくださいました。
それからはずっとシスターとしてお勤めしているのですが、それが突然婚礼を申し込まれているという状況に混乱しているところです。
「どうだろうか?」
「どうと仰られても……賢者様なのですよね?」
「そうだな。彼はここ最近でもその明晰な頭脳で我が国を勝利に導き、危機が有れば身体を張りその剣技をもって敵を討つほどの実力を持ち、16歳という若さで男爵位を賜った傑物だ」
「それが今は子爵様ですよね」
「先の戦働きにより、伯爵になる事が決まっている」
「伯爵位に!? そんな方が何故私を? こんな……もう何もない私なんかを……」
「それは本人に聞いてみるといい」
司祭様は彼――アルバート・ナイゼル子爵と一度会う事を勧めている。司祭様も何か思うところがあるのでしょう。
話が終わり私が席を立ち部屋から出て行こうとすると、司祭様が私を呼び止める。
「ナツ。もう十分君は働いたんだよ。もう君も幸せになりなさい。今までケガや傷を治してきた方々みたいに、笑顔で毎日を過ごせるように」
「…………失礼します」
私は司祭様に頭を下げ、部屋を出た。
――幸せ……か……。
何時か私にもそう感じることが出来るのだろうか……。そんな事をぼんやりと考えながら、置きっぱなしにしていた掃除道具の場所へと戻り、箒を手にしてまた教会の掃除を再開した。
「ようこそ我が屋敷へ」
「は、はい!! お邪魔しまふっ」
「ふふ……」
笑われてしまった。恥ずかしいぃ~!!
教会で司祭様から『お話し』があったひと月後に、アルバート・ナイゼル子爵様からご招待状が届き、わざわざ教会にまでお迎えの馬車を手配してくださって、やってきました子爵様邸。
てっきり屋敷の中でお会いするのかと身構えていたら、馬車を降りるとすぐに子爵様ご本人がエスコートしてくださりつつ、屋敷の中を通り、通されたのが中庭というかもう庭園に近い花の園。
周囲には色とりどりの花が咲き、ところどころでお花に水を上げるために動く魔道具――そんなものあったかしら?――が、シュンシュンと音を上げて放物線を描きお花へと降りていく。そこに小さな虹が出来てとっても綺麗な風景を作り出していた。
「どうぞお座りになられてください」
「は、はい!!」
「そう堅くならずに。口調もいつもどうりで構いませんよ」
「そ、それはありがたいのです……けど……」
「なにか?」
王国でも珍しい黒髪で、自然にされ整えられている髪が庭に吹き込むお花のいい香りを乗せた風に踊る。
その中で微笑を見せるその笑顔に、私は既視感を覚えた。
「あの……失礼ですけど、どこかで……」
「あぁ、ヘイゼル嬢とは教会で一度」
「教会で? えぇ~っと……」
「その……転びそうになったところを……」
「え? あ、あぁ!! あの時の!!」
ほんのひと月前の事が脳裏に浮かんで思わず立ち上がってしまった。
「あははははは。そうですあの時の……です」
「あ、あの時は有難うございました!!」
「いえいえ。それでその……お話は聞かれたと思うのですが……」
「婚礼の……ですよね?」
「えぇ」
「何故……わたしなのですか? 子爵様なら他にも大勢の候補の方がいらっしゃると思うんですが……」
「あなたのお父様にお会いしたのですよ……」
「お父様に!?」
「えぇ……。あれは私がとある戦へと動員された21の時ですね――」
とある戦へと動員された子爵様は、当時はまだ男爵位で成り上がりものと噂されていた影響もあり、任されたのは寡兵約500人。
戦で名を挙げたとはいえ、新興貴族には変わりなく、投入された戦の指揮官からの信頼は得られるはずもない。
任されたのは斥候役とは名ばかりの囮であった。
敵の位置などを把握する事を任務とし、情報をもちかえることが使命と聞かされて部下を伴い出陣したところ、敵の伏兵と接敵してしまい戦闘に。
ここまではその後で賢者様と称えられるほどの頭脳を持つ子爵様故、見越していたのだがそこへ味方のはずの小隊が突撃してきた。最初は援護に来てくれたのかと思ったがしかし、それは敵兵に寝返ったモノたちであり、前後から挟撃されることに。
これが、この戦の指揮官が考えた裏切者をおびき出すための囮役であったのだ。
兵力差が5倍もある状態では満足に抵抗する事はできず、次々に討たれて行く部下を見て判断を下し、約半数にまで減ってしまった部下を伴い離脱。
その後すぐに味方が攻撃に出た事で、裏切者である貴族もろとも討つことが出来たが、子爵様たちへの労いもなく、その功は一切上げてもらうことが出来なかった。
その戦を発端として、小さな事が重なり、ついには危機に味方の救援も増援もないまま使い潰されるまでになり、そこへ来て指揮官から突然の持ち場変更を命じられる。
命じられたのが周囲の農村から食べ物などを調達してくる任務。しかしすでに何度も徴発をしているために農村には冬を越すための食べ物が残るのみとなっているのは明白。それでも奪ってでもいいから調達して来いと命令が下った。
周囲にある村々を巡るも、さすがに皆が苦しんでいるのを見て無理に調達はできず、自分の首(物理的に)をかけてでも奏上しようと思っていた所で、とある村の代官と出会う。
「わかりました。周囲の村々を説得して、出来る限り用意しましょう」
「も、申し訳ない!! このご恩にはきっと必ず報います!!」
部下数人と共に地に両手をつき頭を下げる。
「お立ち下さいませ。村々で出来うる限りはしましょう。ただ一つだけお願いがあるのです」
「な、何なりと!! 私に出来る事であれば何なりと行ってください!!」
「ふふふ……。あなた様は御幾つであらせられますか?」
「は? おいくつ……年齢でしょうか?」
「はい。おいくつですか?」
「21になりました」
「そうですか。実はこの村……と言いますか、私の家から出たものが王都で暮らしているのです」
「え、えぇ……」
「その子はこの村の者たちからも愛されておりました。しかし最近は手紙もこず、聞こえてくるのは良くない噂ばかり。どうかあの子を救ってはくださいませんでしょうか?」
「えっと……。それは代官殿の意思でという事でしょうか? それでしたらお一人だけ……というわけには……」
「いえ。これは村のものの意思です。ですが……代官であり小貴族でもある私の……親の我儘でもありますね」
代官殿はふっと笑う。しかしいつの間にか村民が代官殿の側に集っていた。
「でね、その村の人たち皆が言うんだ……」
「…………」
「ナツ嬢を幸せにしてあげて欲しいと。ナツ嬢はきっと王都で苦しんでいるはずだから、側に行くことが出来ない自分たちの代わりにどうか幸せになるように手助けして欲しいとね」
「みんな……」
たぶんお父さんも村の皆も、小さい頃から王都に居る事で私に関する良いうわさも悪いうわさも全部知っているんだと思う。今の状況もきっと知っている……。だから何とかして欲しいと子爵様にお願いをしたのだろう。
「すまない。いろいろと迎えに来る算段を付けていたら時間がかかってしまった」
「何故今なのでしょうか?」
「男爵位では聖女様を迎える事など出来ない。それは偽りの婚儀であるという名目でも同じこと。だから戦で功を上げ爵位を上げて周囲が納得してもらう必要があったんだ。そうこうしている内にまた戦に出る事になり、早めに帰るつもりが思った以上に手間取ってしまった。帰ってきたらヘイゼル嬢は聖女ではなくなっているというではないか。では今しかないと思ったのだよ」
「そ、そうですか……」
「どうだろうか? 一緒に帰らないかい?」
「……帰りたいです……あの村に、あの家に……帰りたい……」
「では、帰るまでは私の妻になってくれるという事でいいかい? その後は離縁してくれてもいい。ヘイゼル嬢はあの場所へ帰るべきだよ」
「それで、は……子爵様の御名に傷がついて……しまいます」
「私の事は気にしないでいい。その程度の事で傷つくような名なら捨ててしまえばいいのだ」
「そ、そんなわけにはいきません!!」
勢いよく立ち上がった私に、フッと笑顔を見せ、子爵様もスッと立ち上がり、私の前にハンカチをスッと差し出した。
「涙を拭きなよ。今はまだその涙は取っておくといい。あの場所へとたどり着いた時、喜びの涙を流せるようにね」
「はい……はい……」
ぶびぃー!! と鼻までかんでしまったのはご愛嬌という事に……ならないかなぁ……。
「うわぁ!! 懐かしいです!! 伯爵様!!」
「こらこら、一応はまだ私たちは夫婦という事になっているのだから、アルバートと呼んでくれないと困るよ。奥さん」
「うひぃ!! そ、そんなま、まだ慣れないというかずっと慣れないというか……」
「困ったなぁ……」
くすくすと笑うアルバート様。
私とアルバート様が乗る馬車が私の故郷へと向かって進んでいます。すでに王都を発ち5日。あと2日で伯爵領というところまで来たのですが、ここまで来るのもなかなかハードな日々でした。
私がアルバート様のプロポーズ(?)を受けてから、早速動き出したのですが、私が所属している教会の司教様はあっさりと承諾してくださいました。私がアルバート様の御屋敷に身を寄せる事ができますまでの間、王都の本教会へと説得と承認のために何度も何度も往来してくださり、更にアルバート様と国王陛下への婚約者としての承諾を得るための謁見、そして婚約からの婚姻と慌ただしくも凄く楽しい日々を過ごすことが出来て、何となくですが心の重さが取れた気がします。
ただ一つだけ大変だったのが、現聖女のタニアから承諾を取る事。なんということでしょう!! 実はタニアはアルバート様との婚姻を狙っていたようで、どうにかして破談させようと国王陛下にまで奏上し画策したようです。
「ではこの国を出て行きます!! もちろん妻と一緒に!!」
「ちょ、ちょっと待ってくれナイゼル伯爵!! それは困る!! 今代随一の頭脳を持つと言われる『賢者』がよそに行かれるのは困るのだ!!」
「しかし、私のこの愛をも謀りにかけられるなど、到底我慢できることではありません。どうしても
「わ、分かった!! わかったからそう申すな!! 聖女殿、残念だが聞き分けてくれ」
「……ちっ……使えねぇな……」
「今何と申した?」
「いえいえ。わかりました。まぁそうですわね。今は諦める事にしましょう」
スッと扇子で顔を隠す聖女。
そんなアルバート様の啖呵を切る一幕もありつつ、更にタニアが色々と難癖をつけては私たちの婚姻を先延ばししようとしてきたけど、これまた国王陛下の一声でそれもできなくなったというか、大人しくなったので、その隙に急いで婚姻をすましてしまおうと応急へ婚姻届けを提出し、あれよあれよと日が過ぎて簡素ながらも結婚式を教会で挙げ、もちろんお世話になった司教様の下で。
司教様の号泣を見ながらアルバート様の御屋敷へと身をよせ、ようやく実家のある村へと向けて出発することが出来たのである。
――タニアがちょっと怖い所は有るけど……。
一抹の不安を抱えたままではあるけど、それが消えてしまうくらい大きな楽しみと喜びに包まれたまま、私は故郷の村までもう少しの所まで来ていた。
「あ、アルバート様!!」
「ん? なんだい?」
「見えてきました!!」
「どれどれ……」
馬車の窓を開け放ち、護衛の騎士様たちの向こう側に見えてくる集落といってもいいくらいの建物らしき姿。
「あぁ……わたしも懐かしい景色だね……。こうしてみると本当に綺麗な景色だ」
「でしょう!? あ、し、失礼しました……」
「あははははは。何を謝るんだい?」
「は、はしゃいじゃって……はしたないですよね……」
「そうでもないよ? 私の奥さんの可愛いところが見れて嬉しい限りだね。いつもそういう感じて居てくれると私も嬉しいんだけど」
「そ、そういう訳には行きません!! わ、私は仮初とは言え伯爵夫人なのです!! が、頑張らないと!!」
「そう気を入れなくてもいいよ。それにナツさえよければ仮初じゃなくても……」
「え?」
聞き返す私の言葉を聞いてないふりするアルバート様。
――もう!! ずるいんだから!!
私の中にはもう温かな気持ちが灯り始めていた。
暫く進むともうすぐ村の入り口に差し掛かる。いつもなら村の出入りを管理する兵士の人が立っているはずなのに、なぜか誰もいない。
不思議に思いつつも、そのまま馬車に乗っていると、村の人達が慌てた様子で駆けていく。その横を通り過ぎる時に見えた顔は何か思いつめた様子だった。
それに皆が向かっている方向には覚えがあって――。
「ア、アルバート様急いでください!!」
「どうした!?」
「皆が向かっている方角……わたしの家がある方向です。何かあったのかも……いやな予感がします……」
「む!! 聖女の勘か!? 良し!! 急いでくれ!! 何かあったやもしれん!!」
「「「「「ハッ!!」」」」」
窓を開けて大きな声を上げるアルバート様。そうして馬車は速度を上げて見慣れた懐かしきわが家へと近づいていく。
――やっぱり!! 何かあったのね!!
私の家の前には多くの人だかりができていた。
家の前には人が多くて馬車を停められないので、その前に停めてもらい急いでドアを開けて飛び出す。
「お父さん!! お母さん!! お姉ちゃんたち!!」
駆けつける私の大きな声で、家の前の人達が皆振り返る。
「おぉ!! ナツか!?」「なっちゃん!? 聖女様だ!!」「助かるかもしれん!!」
色々な声が掛けられる中、私はドアを開けて中へと駆けこむ。そうして奥の部屋――両親が寝室に使っている部屋――へと急いで歩いて向かうと、そこにはベッドの上で上半身を布でぐるぐる巻きにされたお父さんの姿が有った。
布は赤黒く染まっている部分もある。
「おとうさん!!」
「え?」
「な、ナツ?」
「聖女様……」
お母さんと一番上のお姉ちゃん、そして……ごめんなさい知らない男性が私の方を向いて驚く。
「お母さんお父さんに何が有ったの!?」
「ナツ……。お父さんはね……森に勝手に入ってしまった子供たちを探しに行った時に、子供たちがキラーベアに襲われていて、助けるために身を挺して守ったのよ。だから名誉の負傷ね」
「き、傷は!? ケガは!?」
お母さんは頭をふるふると左右に振った。
「そ、んな……」
「……ん? だれ……だ……? ナ……ツ?」
「そうだよ!! ナツだよ!! 帰って来たんだよお父さん!!」
「そう……か。帰って来た……のか」
既に意識がもうろうとしている中で、目を開け私を見るお父さん。
「では……もしや……」
「そうだよ!! アルバート様!! 私の旦那様に連れてきてもらったの!! ほら」
私が少し体をずらすと、スッと私の後ろに移動したアルバート様。
「遅くなり申し訳ありません。あの時の願いを叶えにきました……」
「おぉう……そうか……あの時の貴族様か……」
「はい。すみません……」
「なにを……謝ることが有る……。おかえり……ナツ。今……幸せかい?」
「もちろんです!! 幸せです!! 私はアルバート様と夫婦になれて本当に幸せなのです!!」
「そうか……なら思い残す……事はもうな……いな……」
お父さんが静かに目を閉じる。
――いや……。
嫌よ!!
絶対に嫌!!
お父さんは……ぜっっっっったいに助けるんだ!!
私を……そしてアルバート様をしっかり見てもらうんだ!!
幸せだよってちゃんと伝えるんだ!!
お父さんの手を握り締め、そう思った瞬間に私の中で何かがはじけたような気がする。
「な、なんだ!?」
「ナツ!?」
「どうしたのナツ!?」
辺りに眩いまでの光の濁流が押し寄せ、私はその中心で光の渦の中へと深く沈み込み始めた。
「大丈夫……」
「……アルバート様……」
「ナツなら大丈夫さ。だって君は本物の聖女なのだから。それに君には人を想う本物の心がある」
私の方へと手を乗せ、にこりと微笑むアルバート様。
「……はい……」
そうして思いを念じる。
治れ!!
どうか治して!!
ゼッタイに助けるんだから!!
ゼッタイにお父さんを死なせたりしない!!
ひと際辺りが輝き、お父さんの手を握る私の手がスッと離れる。
がしっと私の手を握る温かく大きな手。
「大丈夫か……ナツ……」
「お、とう……さん……」
私は意識を失った。
気が付くと私はベッドの上に寝かされていて、家の中が騒がしい事に気が付く。
――そうだ!! お父さんは!?
慌てて飛び起き、声のする方へと急いで向かうと、そこには村中の人が詰めかけて来ているのではないという程、人が密集していて、お酒も入っているのか、既に出来上がっている人が何人もいる。
「お!? 起きたかいナっちゃん」
「あら起きたのね!?」
「さぁさぁ。向こうにいるよ」
私に気が付いた人が皆場所を開けてくれると、そこに見えたのは周囲の人達と負けず劣らずお酒を飲んで出来上がっているお父さんだった。
「お、父さん!!」
「おぉ? ナツ!! 起きたか!! 大丈夫か?」
「大丈夫はこっちのセリフだよ!! お父さんこそ大丈夫なの!?」
「ん? そうだなぁ……ほらこうして生き返ったぞ!!」
あははははと笑いながら、私を抱きしめてくれるお父さん。
「ありがとうなナツ。ナツのおかげでまたこうしてみんなの顔を見ることが出来た。本当にありがとう……」
「ううん……本当に良かった……」
二人抱き合い涙を流すと、パンパンと手を打つ音が聞こえる。
「さぁて、本日の主役が揃ったところで、また乾杯と行こうか!! 皆、今日はウチの人の事で心配かけたね!! 大いに飲んで騒いで頂戴!! それに……」
音頭を取るお母さんがお父さんに抱き着いたままの私を引きはがし、部屋の隅で静かにお酒を飲んでいたアルバート様の方へと放り投げられた。
「へ?」
「おっと……」
さすが『賢者』アルバート様、突然の事にも対応できる。私の事をグッと抱き留めてくれた。
「こうして末の娘であるナツが、なんとお嫁さんになって旦那さんと里帰りしてくれたなんて、本当に嬉しいじゃない!! 皆で今日はパーッと騒いじゃいましょう!!」
「「「「「「「「「「おお!!」「はぁ~い!!」」」」」」」」」」
「す、すみません……なんといったらいいか……」
「いやいや。良いご家族だね。だからこそナツのような心の持ち主が育ったんじゃないかな? それにこの村の人たち皆……。なんというか温かいね」
「はい!! そうなんです!! みんな温かいんです!!」
無意識にアルバート様にぎゅー!! と抱き着いた。
そんな私をニヤニヤと見つめる我が家族。
途端に恥ずかしくなってパッとはなれちゃったけど、アルバート様は「残念」と小さくつぶやいていた。
後々聞いた話によると、部屋の中で知らない男性がお姉ちゃんの隣に居たのは、お姉ちゃんの旦那様だったかららしい。
私の家族は、私が結婚したことを知らなかったように、私もお姉ちゃんが結婚していたのを知らなかった。しかも二人共。次女は現在妊娠中でこの場には来れなかったのだと、後につらつらと愚痴が書かれた手紙が届いた。
こうして私の里帰りは、お父さんを救うという一大イベントにも遭遇してしまったけど、無事に済ますことが出来た。
たっぷりと村の方々とも交流してひと月が経ち、私達は王都へと戻る日がやって来る。
「ナイゼル卿。この度は本当にありがとうございました」
「いえいえ。ヘイゼル卿もご無事で何よりです」
「今後もナツの事よろしくお願いします」
「えぇ……。はい。そうできるように頑張ります」
「もう……フリはしなくてもいいですよ?」
「え?」
「娘の事……頼んだぞ……」
「はい!! 身命に誓いまして!!」
「……卿の側にいれば安心ですね」
二人グッと手を握る。
「おぉ~いナツ!!」
「はぁ~い!!」
お父さんに呼ばれてお母さんたちと挨拶して、向かうとアルバート様が今度はお母さんの元へと向かって行った。
「ナツ」
「はい?」
「また聖女に戻るのかい?」
「ん~どうかなぁ? もう聖女様はいらっしゃるし……」
「そうか。ならナツ……自分らしく
「え?」
「もう自分の進む道は決めたのだろう?」
「……うん。私は……」
母たちと話すアルバート様へ視線を向けると、一つ頷いた。
「アルバート様と共に歩んでいきたい」
「うん。きっと幸せになれるよ……」
「ありがとうお父さん!!」
「あぁ。ここはおまえの家でもある。何かあったらアルバート様と帰っておいで」
「はい!!」
お父さんとギュッとハグをかわし、私はアルバート様の元へと向かった。
そうして馬車へと乗り込み、王都へと向かって進みだす。
これからが私の幸せになるための旅が始まる
おまけ
その頃、聖女様はというと、周囲にちやほやされて傲慢になり、高位貴族の治療に赴くも失敗が続き、更に戦場へと赴いても思ったような効果を上げることが出来ず、次第に信頼を落としていく。
そうしているうちに色々な噂が広まっていき、表に出る事が嫌になった聖女は、ナツと同じように回復が出来る聖女へとその原因を擦り付けようと画策して失敗。
表に出ることが無くなり、運動する事もしなくなった聖女に、以前の姿は見る影もなく、肥え太ってしまっていた。
使用人にまで当たり散らすようになると、教会側も既に対応を諦めたのか、表でも裏でも聖女のいう事をきく者は誰もいなくなり、そうしてついに聖女が聖女たる所以だった魔法までもが使えなくなってしまう。
元々の気質だったのか、それとも恵まれた生活を送って来たからなのか、その代償はあまりにも大きかった。
いつしか教会から『聖女タニア』の名を聞く事はなくなり、その存在すらも確認できなくなった。
どこでどうしているのか、今の元聖女タニアを知る者は誰もいない。
おまけ
その頃、聖女様はというと、周囲にちやほやされて傲慢になり、高位貴族の治療に赴くも失敗が続き、更に戦場へと赴いても思ったような効果を上げることが出来ず、次第に信頼を落としていく。
そうしているうちに色々な噂が広まっていき、表に出る事が嫌になった聖女は、ナツと同じように回復が出来る聖女へとその原因を擦り付けようと画策して失敗。
表に出ることが無くなり、運動する事もしなくなった聖女に、以前の姿は見る影もなく、肥え太ってしまっていた。
使用人にまで当たり散らすようになると、教会側も既に対応を諦めたのか、表でも裏でも聖女のいう事をきく者は誰もいなくなり、そうしてついに聖女が聖女たる所以だった魔法までもが使えなくなってしまう。
元々の気質だったのか、それとも恵まれた生活を送って来たからなのか、その代償はあまりにも大きかった。
いつしか教会から『聖女タニア』の名を聞く事はなくなり、その存在すらも確認できなくなった。
どこでどうしているのか、今の元聖女タニアを知る者は誰もいない。