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第4話 密談、そして

公爵家では、ある昼下がりにセイナダ伯爵夫人を乗せた馬車が丁重に迎え入れられた。


若作りはせず、しかし老けているようにも見せないセイナダ伯爵夫人は、落ち着いた美貌の上品な貴婦人だ。


しかも、観察眼の鋭さと利用する能力の高さで社交界に君臨しているが、眼光には微塵もそれを出さない。貴族ならば敵に回したくない人物である。


そんな彼女を出迎えるヴィクトリアも、敢えて装飾を最低限に控えた装いで、髪も滑らかに梳いただけにしている。


高貴な客をもてなす部屋で、入念に用意した紅茶と茶菓子がサーブされ、セイナダ伯爵夫人がカップを口にしてから切り出した。


「お会いしたく思っておりましたのよ、公女様。少し痩せてしまわれたのでは?おいたわしいことです」


「わたくしなら、殿下のお怒りに触れたのですから仕方のないことと、謹慎していただけですの」


「──そこですわ。話に聞いたところでは、子爵令嬢が飲んだのは毒物などではなく、異国でありふれている薬入りのワインと……」


セイナダ伯爵夫人の耳は地獄耳だ。伝手を駆使していち早く正確な情報を得る。


ヴィクトリアは承知の上で、控えめな声音を使って話を繰り広げた。


「子爵令嬢は未成年ですのに、お酒を嗜まれておいでと伺っておりましたの。実際、あのパーティーでもワインを当然のように頂いておりましたでしょう?わたくし、危惧しましたわ。お酒の力で越えてはならない一線を越えてしまわれたら……令嬢が傷ものになってしまうと……そこで熱冷ましの薬をワインに入れさせたのですけれど、殿下からは不興を買ってしまいました……悲しいことです」


ここで、誰につけば益になるか見極められない夫人ではない。案の定、セイナダ伯爵夫人は身を乗り出してヴィクトリアの手を握った。


「まあ、公女様!何というお優しいお心遣いなのでしょう!それに比べて、子爵令嬢の素行のよろしくないこと……成人も迎えていない女性が、パーティーで堂々とワインを飲み干すのですもの。居合わせたものたちは眉をひそめて見ておりましたのよ」


「ありがとうございます……ですが、殿下のご理解は頂けそうにありません……わたくしは殿下のご意向に添うために、修道院へ参りますわ」


伏せ目がちにして、諦めたような細い声で言う。セイナダ伯爵夫人は大仰に目を見張った。


「そのようなこと、殿下以外のどなたが望みましょうか?公女様は裁かれるべき罪もない御方ですわ。なのに、あの身の程知らずな子爵令嬢に全てお譲りになって身を窶すとは……」


「わたくしは殿下の婚約者として、務めを全う出来ませんでしたから……もはや王子妃の地位から民へ尽くすことも叶いません。──その代わり、新たな生き方を見い出そうと思ったのでございます」


「……新たな生き方……でございますか?」


セイナダ伯爵夫人が腹のうちを確かめるように問い返す。いつものことだ。ヴィクトリアは穏やかに頷いて言葉を紡いだ。


「はい。わたくし、修道院に入りましたら、身分に関係のない炊き出しを大々的に催したく思いますのよ。平民には温かい食事こそ第一でしょうけれど、それだけではお腹が満たされて終わりです。心が明るくなるような、華やかな場を作ろうかと」


「身分に関係のない?──何やら画期的ですね。詳しくお聞きしても?」


「ええ、もちろん。土地の許す限り多く設置する、白くて清潔なテーブルクロスを使った食卓は、食事用だけでなく他の用途のものも出しますのよ。──ゆっくり紅茶を楽しめるところ、お茶菓子を頂けるところ……それから、わたくしとお話しが出来るところも欠かせませんわ」


「公女様は今や、王都の皆から注目を集めておいでですものね。素晴らしい発案に感服しましたわ、公女様が大々的になさりたいのでしたら、私が催しを広く知らせる役割を担わせて頂きますけれど、よろしいかしら?」


「まあ、夫人が手伝って下さいますの?何て心強いことでしょう。きっと隈なく広まりますね」


「お任せを」


「ありがたいこと……あとは、せっかくの催しを全員が楽しめるよう、平民には騒いだりせずお行儀良く、貴族には高貴なものの務めとして広い心をもって、奮ってご参加頂けたら嬉しく思いますわ」


「ええ、周知徹底に努めますのでご安心下さいね」


セイナダ伯爵夫人のすごいところは、ひとたび彼女の手にかかれば、あっという間に何でも社交界で流行らせられる手腕だ。


夫人本人も自覚しているので、広めるものは慎重に選ぶ。


その夫人が買って出たのなら、催しは大盛況になるだろう。──話は王城にまで轟くほどの。


ヴィクトリアは穢れなき清らかな乙女のように言ってのけた。


「民への施しは豊かに、貴族にはひと時の安らぎをと願いますわ」


ヴィクトリアにとってセイナダ伯爵夫人とは、第二王子との婚約が結ばれた際に、とことん探り合った仲だ。お互いに腹のうちは知り尽くしている。


だから、使い勝手がとてもいい。


それに、いくらセイナダ伯爵夫人の観察眼でも、ヴィクトリアが子爵家の厨房に人を送り込み、毎日の食事にも犀角を使わせていたことまでは知ることが出来ない。


ただヴィクトリアの言う理念に感服した様子で賛同し、話を大いに広げて盛り上げるのみ。その働きにのみ専念させるのが狙いだ。


「──では、公女様。またお会い致しましょう」


「はい、楽しみにしております」


ひとしきり話をして満足したセイナダ伯爵夫人を見送ったヴィクトリアは、もうひとつの用事を片付けるためにナタリーへ耳打ちをして私室に戻った。


間もなくして、ドアがノックされる。


「ブロックス、入りなさい」


「──お待たせ致しました、お嬢様」


ドアが開かれ、ブロックスと──後に続いて六人の男性が入室して並ぶ。全員が静謐で隙のない目をしていて、体つきは無駄なく鍛えられている。


「お嬢様、この者たちは私の命にかけて、お嬢様のためだけに働きます。どうぞお使い下さい」


ヴィクトリアは一人ずつ見つめてから、威厳のある口調でブロックスの仕事を認めた。


「ブロックスの育成は確かね。誰一人として殺気立っていないわ。公爵家の騎士に成りすます胆力は一流の暗殺者ならではよ。──心して仕えなさい」


「──かしこまりました、この命はお嬢様のおために」


六人が声を揃えて言い、深々と頭を下げる。


こうして、ヴィクトリアが手駒を着々と増やしてゆく。護衛騎士として働くにしても、根は暗殺者である。備わっているのは、戦闘能力だけではない。


「顔も覚えたわ。──下がってよろしい」


「はい」


表向きは主として振る舞うが、何も服従させようとは思わない。価値の通りに使い、見合った対価を与えるのみである。


彼らが退室して、静かになった部屋でソファーに身を委ねたヴィクトリアは、うっとりと微笑んだ。


「……随分、私を楽しませてくれそうな人材を揃えてくれたこと……ブロックスには、お父様を通じて報酬を与えることにしましょう」


基本的に、公爵家の騎士たちへの待遇は手厚い。清潔で心地よく眠れるベッドも、栄養豊富で美味しい食事も、もちろん給金も、全てが十分に与えられるので、騎士の士気は常に高く保たれている。


だが、ヴィクトリアは暗殺者たちに、屋敷で勤めている騎士以上の働きを求めて招集した。


これが何を意味するかは、まだヴィクトリア当人の心のうちにだけ留められてある。


──こんな物騒な事実を知る由もない王宮の第二王子は、進めたくない仕事の山から逃避して、話し相手になる侯爵令息を呼びつけていた。


話し相手といっても、第二王子が言いたいことを頷いて聞くだけの簡単で面倒なお仕事である。


「──そもそもだ、公女は見たところ、貴族令嬢として非の打ち所がない淑女とも言えるかもしれないが、昔から何を考えているのか分からない不気味さがあるから苦手なんだ」


第二王子は野生の勘であろうか、ヴィクトリアの危険性を察知していたらしい。


「その点、サーシャはひたすら愛くるしい令嬢だ。私に甘え、感情豊かに慕ってくる」


アレキサンドリアも子爵令嬢として相応の振る舞いがあろうに、婚約者までいる国の第二王子をたぶらかした女性なのだから、普通に考えれば腹黒い。


しかし、恋は盲目だ。しかも第二王子は悦に浸って生きていきたい人間なのだから、もうどうしようもない。


「……なのに、父上も母上も理解がない。やれ公女への侮辱を詫びろだの、身勝手な婚約破棄は王族として許されないだの……。公女は贅沢な暮らしのために修道院を改築させているような悪女だぞ?」


「確かに、公爵家のなさることには驚かされてばかりです」


呼び出された令息も我が身は可愛い。火の粉が降りかからないで済むように言葉を選んでいる。


「そうだろう?前代未聞だ。改築した修道院には、公女のための居室に寝室に浴室まで設けられると聞いたぞ。しかも専属の侍女までついてゆくらしい」


「至れり尽くせりですね……」


第二王子は不満の捌け口が欲しくて、ついでにアレキサンドリアの可愛さを惚気けたい。令息は早く帰って、近日中に挙式を控えた自分の婚約者と仲良くしたい。


思惑はちぐはぐである。


「こんな気ままが罷り通っていいのか?可哀想なサーシャはパーティー以降、ワインを飲むにも怯えて警戒しているのに……」


──いや、だから未成年の令嬢が飲酒するものではないだろう。気ままなのは子爵令嬢も大差ない。


そう思わずにはいられない令息は、内心で溜め息をついた。


「そうだ、サーシャといえば、一昨日の夜会った時に私へ何と言ったと思うか?」


「……何と話されたのでしょうか?」


「それが可愛いんだ、『私はアスラン様のお心のみで生きていられる儚い身です』と言って、私にもたれかかってきて……ああ、あの時のサーシャの柔らかい体と甘い香りときたら……」


第二王子の与太話は簡単には終わりそうにない。


一事が万事、この調子なのだから、確かに庶子の第一王子が立太子されたのも、異例ではあるものの致し方ないことである。


──よく今まで、寝首をかかれずに生きてこられたな……。


令息は王宮の闇を、覗かずして感じ取っていた。


とりあえず、婚約者と蜜月にある令息相手に、浮気してのぼせあがっている話はするものではないだろう。相手を選べない第二王子の頭脳と人脈は残念なものだ。


いくら現実から逃れようとしても、生きている限り現実からは出てゆけないことを認めなければ、人は幸せから遠のくばかりだ。


色々と憐れな第二王子に訪れようとしている未来は、ヴィクトリアが嬉々として仕込んでいる。


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