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早いもので、あの騒然としたパーティー会場から、私が飾り立てられた鉄馬車で無事に帰宅して七日が経った。
お父様とお母様からは「ヴィクトリア、ついに来るべき時が来てしまったのか!」と熱い抱擁で出迎えられた。
前世では「ヴィクトリア、やるならなぜ上手く立ち回らず短慮な行動に出てしまったんだ!」と嘆かれていたから、私も進歩したものだと思う。
兄妹は第二王子に憤り、「あの王家の恥にふさわしい落とし所を作るしかない」と私に言葉を尽くして彼らへの意趣返しを語った。
それも致し方ない。第二王子といえば、常に嫡子であることを鼻にかけて環境を含む周囲に甘え、庶子の第一王子を蔑む傍らで自分にない勤勉さを妬み、しかし妬んで不貞腐れるだけで、王子としての働きを怠った。
挙げ句、己の至らなさには周囲の人間が僻んでくると歪曲して捉えて喚き、ゆりかごのような王宮で、彼の地位にすり寄り甘言で言い寄ってくるものを侍らせて、好き放題してきたのだ。
あんな、幼稚さをそのままにして体と欲求だけを育てた拗らせ人間になんて、情のかけらも持ってはいないから、兄妹の話を浴びて禊を済ませた。
その後の私はというと、それらに対して沈黙を貫いて受けとめてからというもの、ひたすら私室に一人籠もって伸び伸びと過ごしている。
こうしている間にも、私が出向く修道院では受け入れる準備が進められているのだろう。せいぜい快適な環境を整えてもらいたい。
──今は、夏摘みの紅茶を楽しみながら、パーティーで悲鳴を上げていたアレキサンドリアの姿を思い出している。
可憐な顔を崩して叫ぶアレキサンドリアの形相は素晴らしかった。
……あの令嬢、張り倒してお腹を思いきり踏みつけたら、口から勢いよく臓物を吐いてくれそうな感じがする。──そんないけない空想を、つい巡らせてしまう。
でも、彼女のコルセットを拒否して丸く張ったお腹には、きっとそれだけ脂と臓物が詰まっている。
胸元もそれなりに主張しているけれど、女の胸なんて女の私からしたら正直どうでもいい。あの、貴族社会における令嬢の美しさを放棄したお腹の、我儘な膨らみこそ私を惹き付ける。
切り開いて確かめたいだなんて下劣な欲望はないけど、機会に恵まれたら踏んでみたい。どれほど弾力があるか、それとも柔らかいのか、中身はどうなるか……想像しただけで心が浮き立つ。
いつも殿下の隣で笑いに大きく開いていた口から、無様に臓物が飛び出る姿……。可愛らしくてか弱い下級貴族令嬢の見た目とはかけ離れた、大変衝撃的な光景を楽しめるに違いない。
そう、例えば幼い頃に踏みつけたカエルみたいな。ぺしゃんと潰れて、カエルだったものが飛び散った、あの瞬間の呆気なさと形を潰した昂揚感。
……あの時は、お父様から命の尊さについて、懇々とお説教されたけれど。
──そうね、命は尊い。だからこそ、ぱっと散らしたら忘れられなくなって素敵じゃないかとも思う。
とはいえ、アレキサンドリアは踏んだ程度で散りそうにない。命の逞しさを感じる。
ああ、追いつめたい。あんなに可愛くて逞しい命だもの、少しずつ嬲って……いえ、ひと思いに……いいえ、私が攻撃出来る口実を得たせっかくの獲物よ、やはり大事に遊ばないと……。
「──お嬢様」
「……あら、どうしたの?ナタリー。無断で入室するだなんて」
気づくと、専属メイドのナタリーが部屋のドアを閉めて室内に立っていた。
私が人の気配を察することもなく思考に熱中してしまうだなんて。これは恥ずべきことよ、よほど楽しかったのね。
「何度もドアをノックさせて頂きましたが、お返事を頂けずに致し方なく」
「そうなの?物思いに耽っていたわ」
「はい、たいそう悪い笑みを浮かべられておりましたので、何か愉悦を得るべく思索なされておいでかと見受けられました」
「それを分かっていて中断させるほどの用件があるのね?」
「申し訳ございません、旦那様から急ぎの言伝てでございます」
「……お父様が動き始めるのね」
おそらく、この数日で王室に不満を持つ貴族派を水面下で味方につけていたと思われる。貴族会議で満を持して提起するはずだ。
「そのようでございます。──お嬢様には『浮気男と尻軽女の醜聞は剣より強いものでもって扱うように』とのことで……」
「あら……良いのかしら?」
私は首を傾げた。
お父様にしては、第二王子への私による報復について思いきって出たものだ。ご丁寧に指南までしてくれるとは、お父様にも鬱憤が溜まっていたのだろうか。
「旦那様からのお言葉ですので、どうぞ思いのままになされて下さい。必要な根回しはお済みでございますよね?」
「まったく……この家のもの達は私に関して知りすぎているわ、猫も被れない」
「公爵家は使用人に至るまで、一丸となってお嬢様の援護をする所存ですので、何とぞご容赦を」
「ええ、理解しているから大丈夫よ。この家門の家族愛と忠誠心はさすがね。私が令嬢として罪なく成長出来たのも、教育と気働きあってこそと言うべきでしょう」
「ご理解をありがたく存じます」
さて、後ろ盾がしっかりしていても油断は禁物だから──密かに着実に動かなければ。
「これからを思うと楽しいわ……」
私は、私を軽んじた第二王子とアレキサンドリアの息の根をとめる。処刑台に送ってみせる。
国王と司法により死を賜る二人が果ててゆく姿を、この目に焼きつけてこそ真の愉悦を得られるのだもの。
そのためにも、彼らには私を殺そうとするほどまで憎んでもらわなくてはならない。
国王を支えてきた家門、ウィンフィレア公爵家のものを害するほどの強い殺意が必要なの。もちろん、おとなしく害される気はないから、裏で手練の護衛をつけておくけれど。
──問題は、その護衛に誰を使うか。私に魂からの忠誠を誓うもの?それとも金払い次第で手を汚すことも厭わないもの?
「……両方だわ」
「──お嬢様?」
「私にふさわしい護衛について、少しね」
「お嬢様、無礼を承知で申し上げますと、一筋縄ではいかぬ人物を懐に入れねばならないかと存じますが……」
「さすが私に仕えて長いだけあるわ、ナタリー」
「お褒めに預かり恐縮です」
「──そこで、考えがあるのだけれど。我が家の騎士団長を務める──ブロックスを呼んでちょうだい」
ブロックスは騎士としてのキャリアこそ長いけれど、公爵家に引き抜かれる前には後ろ暗い過去がある。
寡黙な人物だから、知るものはごく限られているものの、公爵家を束ねるお父様は当然把握している。──それから、長女としてお父様から教育を与えられた私も。
ブロックスが過去に築いた人脈を利用させてもらうことは、彼が過去を本当の意味で精算するにあたって必要でもあるから、そこに良心の呵責などというものはない。
「騎士団長でしたら、今の時間は騎士たちに訓練をつけておりますが……」
「訓練ならば、自主的にも出来るでしょう?」
「かしこまりました。お呼びしてまいりますので、少々お待ち下さいませ。その間、お嬢様宛に届けられましたお手紙をお読みになられて頂ければと存じます」
ナタリーが持つトレイには、一通あたりの厚みはなくとも数の多さで厚い束になった書簡が乗っている。中身は全て、パーティーの夜に走らせた早馬を受けての返事だろう。
「ええ、じっくりと読ませてもらうわ」
「──では、私は一旦失礼致します」
深く頭を下げて、静かに退室してゆく彼女を見やり、私は書簡の中から気になる家門の封蝋を選ぶことにした。
ナタリーは賢い。察する能力こそ高くても、人の思惑を深追いしすぎない。思いきった行動力は仕えるために活かし、無駄な動きをしないのも美点だ。
彼女の働きは、今後も末永く使える。親しくて大事な駒だ。
そんなふうに言える駒──人との繋がりは、生き直しの人生で、第二王子との婚約が結ばれてから地道に作ってきた。
「……アスラン殿下は、はじめから愛らしいほど愚かだったものね」
くすりと笑みがこぼれ、脳裡に点在する記憶が思い起こされそうになり、いま一度気を引き締め直す。
懐かしむよりも、今の現実を望む未来に繋げることが優先されるべき。
導火線には、すでに火がついたのだから。
「……上手く爆発して下さいな、王子様」
アレキサンドリアを抱きしめ巻き添えにして、もろとも散ってくれたら何より。
「──この書簡からにしましょう」
選んだのは、王都の貴族夫人が集うサロンで暗躍している、セイナダ伯爵夫人からの書簡だった。
セイナダ伯爵夫人は優れた情報通でありながら、情報操作も大変上手な人物で、第二王子と婚約したばかりの当時の私もまた、彼女からは散々探りを入れられたものだ。
第二王子は嫡子だけれど、庶子の第一王子の優秀さを推す貴族が当時から少なからずいたため、セイナダ夫人は私から第二王子を落とせる情報を聞き出そうとしていた。
それが今は、互いに利用価値のある存在と認めあえているのだから人間関係は面白い。
もちろん、そこには私が意図的に流した情報が活きている。
結果として第二王子は王子のまま、王太子には第一王子が据えられ、第二王子は気を腐らせて愚鈍さを上長させたのだから、私もセイナダ夫人も善良さを問われれば否と答えるほかない。
「……仕方ないわ、あんな愚者に国を背負えるわけがないもの」
呟いたとき、控えめにドアがノックされた。ナタリーだ。
「──お嬢様、お連れ致しました」
「どうぞ、入りなさい。ナタリー、あなたは下がっていいわ」
「はい、かしこまりました」
ナタリーが当然のように退室する。緊張した面持ちのブロックスが、所在なさげに立って残された。
「騎士団長のあなたに──いえ、ブロックスである個人に頼みたいことがあるのよ」
「私……個人に、でございますか?」
訝しげに問い返す彼に、私はにこりと笑みを返した。無邪気そうな笑みは、実のところ大きくて重い闇を孕んでいる。
「ええ。傭兵団長だった頃にブロックスが育てた暗殺者全員を、今後の私に護衛としてつけること。なぜ必要なのかは、この家に仕えるものならば問わずとも分かるわね?」
「お嬢様……!」
「あなたが出来る返事はひとつのみ。今から三日間の休暇を与えます。全員を三日以内に招集し、そして公爵家に入れなさい。彼らへの教育も任せるから、しっかり働けるよう鍛えること」
「……三日以内……?」
「数年ぶりの休暇を充実したものにするといいわ。──話は終わりよ、下がりなさい」
これが、この家門の作法であり処世術の手始め。
ブロックスは青ざめた顔をしていたものの、反駁する言葉などない。頭を下げてお辞儀をしてみせ、顔を上げたときにはもう迷いも見えなかった。
「私の最善を尽くし、お嬢様の御身を守らせます。──では、公爵閣下への説明も必要ございませんね?」
「ええ、父には私が話すから行きなさい。期待しているわ」
「はい。失礼致します」
愉快な手駒が増えることを楽しみに思いながら、私は待機しているナタリーを呼んだ。
「ナタリー、セイナダ伯爵夫人が私を案じて、面会するために訪問したいと言っているのよ。来客に備えてちょうだい」
「はい。メイド長に話を通し、全て整えさせて頂きます」
この屋敷のものは皆、話が早い。私は苛立つこともなく心持ちを清々しく整えていられる。
だからこそ、あの二人への報復手段を考えるにも邪魔が入らなくて、思う存分に作戦を練られるというもの。
「さて、夫人には何からお話ししましょう……」
どうせパーティーで起きた騒動には居合わせていたでしょうから、裏話をとくと聞かせてあげなくては。
「ああ、楽しみが増えてゆくわ」
私は陶然として呟いた。──そうだ、修道院側の支度が整ったら、公爵家の特別な八頭立ての馬車で行って、そして神の御前で華やかな令嬢たちを集めよう。
美しいものは心を喜ばせるのだから、神も精霊も天使でも、醜悪な様子で鬱々としているより、皆で明るく美しく楽しんでいた方が気分がいいだろう。
そう思うと、その前に片付けなければならないことにも意欲が湧いた。
「──残りの書簡は、友人たちと……あら?この封筒と封蝋は……」
手をとめて良く見てみると、王家の一員からの書簡が混ざっていた──。
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