「この雀荘でスタッフをしている、小野と言います。まだお客さまがいらしていないので、僕と他のスタッフと3人で打ちませんか?」
「いいんですか? 他の作業とかせず、麻雀をしても」
「ええ、もちろん。うちはお客様第一の店ですから」申し訳なさそうに身動ぐ青年に言い聞かせるように、小野は自信満々に首を横に振る。小野はレジの方を向き、快活に業務連絡をする。「佐久間ちゃーん。フリーのお客様がいらしたから、準備をしてくださーい」
「ありがとうございます」
青年が軽く頭を下げる。
小野は瞳孔の開いた丸い目を細め、無意識に口角をあげた。先日まで小野の部屋に入り浸っていた男と同じ香水の匂いが、小野の鼻腔をかすかにくすぐる。
「お客様、ご来店ありがとうございまーす」レジの奥の従業員専用のスペースから出てきた佐久間が、ふたりの湿った空気感と小野の熱い視線を感じ取り、呆れたように小さく呟く。「もう、小野ちゃん。男のサイクルが早すぎる」
「さあ、こちらの卓にどうぞ。ドリンクは何にしますか?」
小野は青年のスーツの上着を受け取り、壁面に並べたハンガーにかける。雨で冷たく重くなった上着を整える際、裏地に屋号とおぼしき文字列が刺繍されていることに気づいた。麻雀をしながら、世間話として水を向けようと小野は思い付く。
青年の容姿と立ち振舞いに大きな興味を抱いた小野は、沸き上がる欲望と期待を、まずは知識欲として解消していきたいと思った。
「じゃあ、コーラで」
青年は愛想よく頷き、案内された卓の椅子に座る。上着を脱ぎ白シャツ姿となった青年は、香水の匂いと色気が強くなったように小野は感じた。
「すぐにお持ちしますね」
小野は弾む足取りでドリンクの準備をする。鼻唄を歌う小野の姿を見て佐久間は小言を言うが、小野は我関せずでテキパキと作業を続けた。
ドリンクを運びながら、小野はふと窓の外に目を向ける。
通り雨は嘘のように引き、淡い暖色の空とひつじ雲が東京を覆う。
鈍色の空の湿った端に、小野は確かに薄い消えかけの虹を見た。