「すみませーん。今からひとり、フリーで入れますか?」
軋む音とともに押しドアが開き、耳障りのいい声が店内に響く。初恋を歌う有線の音楽をかき消す程の大きく澄んだ声音に、小野は一瞬で視線と心を奪われた。
「ちょっと雨に打たれちゃって。外にいたら風邪引きそうなので、空調が効いたところで麻雀したいなと思って」
入り口のドアのそばには、青いスーツに身を包んだ男性が立っていた。小野と同年代とおぼしき20代半ばの彼は、カールしたボブの黒髪を整えながら、来店の動機を言い訳のように次々と口にする。早口で隙間なく言葉を続ける彼は、申し訳なさそうに眉を寄せていた。
「もちろん。うちはいつでも、初来店のお客様を歓迎しています」
小野は腰かけていた雀卓の椅子から跳ねるように立ち上がり、入り口へと走るように駆けつける。小野は佐久間と雑談していたときよりも一段と高く甘い声で、甘えたように愛想のいい笑みを浮かべた。
「よかった。外はすごく、寒かったから」
青年は小野の言葉に、嬉しそうにはにかんで見せる。
同じ目線にある青年のあどけない立ち振舞いに、小野はどきりと心臓が強く拍動するのを感じた。小野はまじまじと彼の全身を眺めながら、無意識に溜まっていく唾液を飲み込んだ。
青年は居心地が悪そうに、自身の髪を撫でつける。長い前髪の奥に、切れ長の大きな目ととりんご色の頬、ぷっくりと赤い唇。ずぶ濡れの傘と湿って変色したスーツの裾。横殴りの雨に打たれて濡れた黒髪から、滴り落ちる小さな雨粒。
「あたりの日だ」
小野が低い声でぽつりと呟く。心の奥から漏れた声だった。
「え?」
「何でもないです。良かったらどうぞ」
小野は大げさな笑顔で、手に持っていたタオルを青年に手渡した。先程まで麻雀牌を拭うのに使用していたものだったが、青年はありがたく受け取り、襟足やスーツの湿りを軽くぬぐった。