有線で垂れ流される昔懐かしい古びたヒット曲が、雑居ビルの窓に打ち付ける雨音をかき消す。
ふたりは目を見合わせて、沈黙に似た空虚な時間が過ぎ去る。気まずさに耐えきれなくなった小野が先に吹き出し、頬杖をついて窓の外を見つめる。雨足はますます強くなり、厚い雲が都会の機嫌を曇らせる。
「別れた人にこんな風に思っててほしいとか、希望はある?」小野は無秩序に並ぶ牌をさわりながら、何度も深くまばたきをする。「あんなに楽しい思い出を与えてくれたとか、憧れの人だったとか。眠れないほど恋い焦がれたほろ苦い夜が何度もあったとか」
「ない。一ミリ残らず忘れて欲しい」
「冷たいなあ。何度もキスやハグも繰り返した相手だよ?」
「思い出なんて要らないの。私にとっていくら大切な記憶でも、言葉にすればありきたりだし」佐久間はつけまつげを調整しながら、首を横に振る。「それに換金も出来ないし。それなら換金率の高いブランドのバックかピアスでもくれた方が、どう考えたって百倍マシ」
「ロマンがないね。熱い一夜を一緒に過ごした相手だよ? 『佐久間ちゃんと別れたのって、俺の人生にとっての一番の損失だな』って後悔してほしい男はこれまでいなかったの?」
「過去も未来も、そんな奴は現れない。誰かの脳ミソに私の裸体を刻んでほしくない。唯一の例外は、今付き合ってる彼氏だけ」
「ふーん、不思議。僕は一生、僕との思い出を忘れないでほしい。良いことも嫌なことも、楽しかったこともムカついたことも、ホコリひとつ残らず飲み干してほしい」
小野は舌足らずな口調で吐き出し、大きくあくびをする。憂いのある瞳の奥は淀んで気分が読めない。
佐久間は彼の話している内容が本心に基づいた意見なのか、それとも佐久間をからかうために仮初めのアンニュイな雰囲気をまとっているのか、判断にあぐねた。どちらであってもメリットもデメリットもないので、深追いはせず小野にそのまま気分よく話させようと佐久間は思った。
「思い出は現在の残骸だよ。現在に持ち越せなかった過不足だけが、記憶として頭のなかに居座る」
小野は麻雀牌を触りながら、なおもポエムを紡いでいる。
「はいはい。そろそろ仕事をはじめよう、小野くん」
「佐久間ちゃんは夢がないなあ。相手から振ってきたくせに、なんだかんだ失ったからこそ分かる関係性の尊さと大切さを実感して、自分に未練を抱いて後々縋ってくる男、一番最高じゃない?」
「もういいから、飽きた。その話は終わり。私はレジと来店予約の確認をするから、小野くんは清掃とドリンクをしといて」
「はーい。がんばりまーす」
小野は気の抜けた返事をし、佐久間が雀卓から立ち上がりレジへと向かった。
懐かしの失恋ソングが流れる平日午後の雀荘は、いつだって空いている。程よく来客が少なくて使いやすい、という快適さをとっくに超えて、収益と経営維持が危うい程度に誰もいない。
会社員の街の雑居ビルにある雀荘はそんなところ。小野が気に入る割りのいいアルバイト。
昨日と同じ緩い日常。慣れと飽きに麻痺した何もない一日。予定調和にやり過ごす予定だった。何の脈絡もなく、雀荘のドアを勢いよく開かれるまでは。