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第6話 薫風

 河津桜商店の埃くさい室内で、制服のポケットからもう一度スマホを取り出す。五時十七分。そろそろかなと、大きく深呼吸する。知らず知らずのうちに握りしめた手のひらが、じんわりと湿っていた。髪の毛を整えるのを止め、店の入り口付近に戻る。

 おじいさんは大相撲のテレビ中継に向けて、「のこったのこった」と声をかけながら、あくびを繰り返している。

 入り口の傍の冷気の漏れるアイス用冷凍庫の蓋を開ける。見慣れた最中アイスや、名も知らない原色のシャーベットやカップアイスの山の一番上に、無造作に置かれた派手な青色の袋を見つける。

 スーパーだと四十円は安いそれを二本、手にとる。

 「お兄ちゃん、ブラックモンブラン大好きだねえ」

 レジに持っていき、シールを貼ってもらう。ひいきの相撲取りが勝ったからと、二十円まけてもらった。

 「ここのブラックモンブランが一番おいしいんです。いつもありがとうございます」

 「あはは。それは製造元に言いなよ」

 受け取ったアイスが解けないよう、袋の端の部分を持ちながら店の外へ出た。軒先の白猫はいなくなっていた。

 することは特にない。けれど、手持ち無沙汰だからといって、首を曲げてスマホを覗き込んでいる姿を見られるのも嫌だった。ゲームとかで浅はかに時間を浪費しているとか、そんなイメージは嫌だった。

 もう何度目もここで買っているのに、過度に冷えた包装に触れるたび、いつも指が温度と緊張で強張る。

 だけどやっぱり、することはない。

 結局、近くの掲示板に貼られた選挙のポスターを眺めた。

 『参院選まであと五年!』というキャッチフレーズとともに、堂々と構えた精力溢れる老人が豪快に笑っている。両手の指を開いて、多分数字の5を表している。次の参院選は2年後でも、この人が出馬するのはその5年後の選挙なんだろう。

 良く分からないけれど、良く分かっていないことを、猫やカラスにすらばれたくなくて、ポスターを真面目な顔をして見つめて何度か頷く。

 しばらく選挙公約を読んでいたけれど、まばらに歩いてくる学生の群れになんとなく居心地が悪くなり、駅の方へ向かおうと体の向きを変えた。すると視界に、真剣な表情のセーラー服姿の可愛らしい少女が、堂々とスマホのカメラをこちらに向けている様子が映り込む。

 「あーあ、ばれちゃった。あんまりいい写真、撮れなかったな」

 彼女は子供のような、無邪気であどけない笑みを浮かべた。心地のいい音楽のような、愛らしい声だった。キャラクターのシールが貼られたスマホを、彼女は肩にかけていたスクールバックの中に入れた。

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