「一体、どういう事? 薫ちゃん、過呼吸になって倒れたって聞いたよ」
俺と頭木は、薫の病室で七川と太宰に事情を説明していた。
カウンセリングから二日目後の日曜日の午前中。俺と薫、頭木の三人で走っていたところ、薫が過呼吸になってしまい転んでしまい病院へ運ばれた。
幸い薫の命に別状はなく、念の為の一日だけの入院で済みそうだ。
「というか、頬に痣ができて痛々しいな」
「うーん、そうだね。ハロウィンイベント当日までには治りそうだけど、まるで彼氏に殴られた跡みたい」
俺が彼女の痣の方を優しく撫でていると、薫が妙に艶かしい笑みを浮かべる。
それをみた七川が冗談っぽく笑う。
「端から見るとそう見えるけど、彼氏って……」
「あれれ?もしや、ふたりともまだ恋人関係じゃないの?」
「「ここ、恋人関係って! そんなんじゃなくて!!」」
太宰がニヤニヤ笑いながらからかってきて思わず、俺と薫の声が重なる。
「え、違うんですか?もしかして告白してないとか?」
「あ……いやー。その、恋人関係じゃないよ」
俺がそう答えると、七川と太宰、頭木が「いや、どう見ても付き合ってるでしょ」とツッコミが入って恥ずかしくなった。
「そ、そうだよね。違うよね、私たち」
薫も顔を真っ赤にしながら答える。
「あー、これで謎が解けたわー。だからふたりの関係が歪んでる訳だわこれ」
太宰は、まるで未解決事件が解けたような表現で手をポンと叩く。歪んでる?俺と薫の関係が?
俺と薫は互いの顔を見合わせてみるが、互いに困惑した顔で混乱していた。
「あ、私お手洗いに行きたいんだけど、きょーかも頭木さんもついてきてくれる? ちょっとアレ切らしてるから借りたいんだけど」
「あれねー。良いよー」
太宰の一言で何かを察したのか、七川はわざとらしい演技をする。
「は、はい。私もちょうどお腹痛いので、申し訳ありませんが、太宰先輩。アレお借りしてもいいですか?」
「良いよー。んじゃ、行こうか」
頭木も七川の意図に気付いたのか、お腹を擦りながらふたりといっしょに外へ出た。
何となく、俺と薫をふたりきりにしたいのだろうか。
病室でふたりきりになった俺たちは気まずい雰囲気に漂っていた。
「あの三人行っちゃったね」
「あぁ。多分、俺たちの事気を使って席外したんだろうな」
「……私たちって端から見たら歪んだ関係のカップルだったんだね」
「そう、みたいだな」
太宰の言葉に対して俺達は複雑な表情の顔を見せ合っていた。
「私ずっと片想いって思って龍世と過ごしていたのに、いつの間に両想いになってたんだね」
「そうだな。口に出さなかったけど、俺たち。今更過ぎてなんか告白するのも恥ずかしいって思ってたんだな」
「そうだね。恥ずかしいよね」
俺と薫の片目は目線をあっちこっち散らしながらも話をする。とはいえ、太宰の言ってた歪んだ関係が何なのか気になっている。あの三人のお陰で、俺の恋は既に叶っている事が分かって嬉しいと思っている。
「だけど、歪んだ関係ってなんだろうな」
「うーん、なんとなく分かるようでわからないような……」
「つまり、あの二人はお互いの好きな気持ちは真っ直ぐだけど、お互いの事が信用しきれないから『罪悪感と餌』で縛っている歪んだ関係なんだよ」
病室の壁の外から太宰京香の声が聞こえてきた。俺たちは思わず目を丸めて壁の向こうの声へ耳を傾ける。
「罪悪感と餌ね。なんとなく、そんな感じがしたの。私ね、あのふたりが去年の文化祭後に声をかけてくれた時から今日に至るまで見てきたけど、薫ちゃんは無意識的に『武岡君の近くにいる時』だけ転んでいるのよ」
壁に耳を当てていた俺たちは、顔を見合わせて驚く。
「おい、どういうことなんだ? 薫」
「え、えと、分かんないよ! とりあえず、三人の話を聞こうよ」
彼女は明らかに動揺していて、身体を震わせていた。
「私と一緒にお手洗い行くときとか、体育でペアになるとかにたまーに転んで怪我をする事があるんだけど、武岡君の近くにいる時によく転ぶって気付いたの。で、気になって去年の秋ごろからノートに記録取ってみたの」
七川、そんなことをしていたのか。壁越しに「うわぁ……」「そんな事って……」といった太宰と頭木のドン引きと驚きの声が漏れ聞こえている。一体、目の前にいる薫は何を考えているんだ? 俺も
「で、こんなに多いとわざとかなと思ったけど、あの子の様子を見る限り本当に困っている様子で嘘はついていない。私は精神科医じゃないし、たまたま本で読んだ知識でしか分からないけど、病気によって本人が得られる利益『疾病利得』の一種じゃないかなって」
「あぁ、なんだっけ。本当は病気が治っているけど『まだ病気だ』って本人が思い込む奴ね。普段親は仕事でいないけど、『病気になった時』だけ両親が心配して構ってくれるから無意識に自分が『病気が治った』と認めたくないみたいな? うちのバイト先のお客にそーいうのいたなー」
「え、本当に? ……私、そんなことしてる?」
病室の壁の向こう側の会話を聞いた薫はそう呟く。本人も自覚していなかったみたいで、俺も俺で気付いていなかった。
「……でも、確かに龍世の前だと、転んだあとすぐに助けてくれるのが当たり前になってたかも……」
薫は小さな声で、申し訳なさそうに呟く。
「京香、分かりやすい例えありがとう。まさに彼女はそんな感じじゃないかな。いや、武岡君も」
「武岡先輩もですか?」
「え? お、俺も?」
俺は頭木と一緒に思わず声を漏らす。その様子をみた薫は、興味津々な目で見つめる。
「彼の場合は『彼女を支えられる存在』であることで、自分の価値を感じている一方で、助けることで『罪悪感から解放される』『彼女を支配出来る』と無意識に思っているかな」
「それをかおちゃんは何となく察知してるから無意識に転んでいるし、水着とか下着とかのセンスも武岡を意識したエロいのが多くなってるしー」
「俺……助けることで、安心してたのか?」
なんで七川と太宰はそんなに俺達の深層心理とやらが分かるんだ?
いや、罪悪感は確かに感じてるけど……。俺は心の中にあるやましい気持ちを暴露されて胸が締め付けられる思いだ。
「確かに、攻めた水着でしたね。えっと……七川先輩と太宰先輩の話が本当だとしたら、薫先輩は自ら武岡先輩に支配されに行ってるって事ですよね。何故そんな支配関係が?」
「まー、うちは他の中学出身だし本人に詳しく聞いてないから分かんないけどさー。かおちゃんの片目潰れた事件がきっかけじゃね?」
「そうだよね。私は薫ちゃんのファンクラブに入ってたからある程度分かるんだけど……。突然周りが離れて孤立したら、誰だって自己肯定感失うよ」
どうやら、七川は他校で薫のファンクラブに入っていたが、例の事件前後で突然ファンクラブが解散したらしい。
「か、薫。七川がファンクラブに入ってたの知ってたのか?」
「知らないよ、初めて聞いたよ」
俺と薫は七川の新事実に驚くも、自分たちの抱えている根深い闇と比べたら小さいものだった。
「ま、優奈ちゃんを責めるつもりはないよ? もう終わった事だし、これからのふたりの話をしよう。このままだと不味いからね」
病室の壁越しに聞こえる太宰の声が、急にギャル語を使わなくなり、少年のような低い声になった。俺と薫は、太宰の深刻な声を聞き身を引き締める。
「そうだね。今のまま曖昧な関係が続くと、お互いが精神を病んでいくし、今はそこまで深刻じゃないけど、最悪、共依存がエスカレートして普通の恋愛じゃなくなる」
七川の一言に俺と薫は動揺し、互いの顔をみる。
「ど、どういう事だろ」