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第22話 走って後輩と和解した。

「やっぱり、走り心地が違う! 走ってて胸が大きく揺れないし、激しい運動しても気にならない!」

「ぜぇ……。ぜぇ……。それは良かったな」


 俺と薫は翌日に購入した胸の揺れを押さえる薫の下着を試していた。流石に天気予報で午後から大雨が降ると予想されているのか、日曜日の校舎には誰もいない。

 薫自身はブラの使用感は満足している様子で、走る前も後もジャンプしたり横に揺らしたりしてはしゃいでいた。


「ごめん……。ちょっと休憩取る」


 一方で俺は運動がキツくてバテていた。なんか自分の体力の無さに情けなくなってきた。 俺たちは、各自で持ってきた水筒の水を飲んで休憩する。


「さて、昨日のブラのお礼は何がいい?結構高かったし」

「お礼て言われてもなぁ、パッと思いつかないけど」


 昨日、母親から下着の代金を貰ったから良かったから、お礼なんて良いんだけど。


「ふーん、おっぱいの揺れ防止のブラの他にプレイ用の下着買ったんだねぇ。ついに龍世も大人になったんだ」


 ……ただ俺は、母親にレシートをまじまじと見られて恥ずかしくなった事を思い出して眉を潜める。


「じゃあさ、龍世の好きなプレイグッズでも買いに行こっ。今度は私のお金で」


 薫はイタズラっぽく笑う。


「お、おい!何を言ってるんだよ」

「確か、きょーかちゃんが教えてくれた系列店なら、目隠し用のアイマスクとか拘束具とかあるんだって」


 太宰の野郎、余計な事を言いやがって。

 突然、バケツをひっくり返した大雨が降り出した。


「おいおい、午後に大雨じゃなかったか?」

「と、とにかく雨宿り出来るところ探そう」


 俺と薫は、辺りを見渡して運動部が使っているトイレへ向かう。


「うぉ!」

「きゃ……!!」


 俺はその時に足元のタイルで滑って転んでしまい、薫を後ろからトイレの壁に押し付ける形になってしまった。


「ごめん……薫」

「痛いよぉ」


 彼女は目が見える方を後ろを向いて呟く。すると、後ろからシャッター音が聞こえたので振り返ってみると頭木の姿があった。


「や、やっぱり……。噂は本当なんだ」


 頭木の表現は恐怖で歪んでいて、俺たちの様子をスマホのカメラで撮影していた。


「頭木! 違うんだ、これは」

「近付かないで下さい! 汚らわしい! どうせ薫先輩を力付くでそこのトイレの個室まで連行して乱暴するつもりなんでしょ!」


 今の状況をみたら抵抗できないように、薫の背中を後ろからトイレの壁に押さえつけている様に見える。でも違う!


「違う! 俺が転んでたまたま」

「そもそもこんな大雨なのにいるのがおかしいでしょ! 日曜日で人もいないし、この雨の音なら薫先輩の悲鳴なんて聞こえない! トイレの個室なら犯行なんてバレない! そうでしょ!」


 頭木は大雨の中、スマホを操作しながら後ずさる。


「ゆ、優奈。誤解だよ」

「薫先輩! 今すぐ警察にれんら……きゃあ!」


 頭木は薫の言葉を無視して、俺から逃げようとした。しかし、頭木は数メートル走ったら野球部に繋がる階段に繋がるタイルで脚を滑らせ転んだ。


「あぁ! 嘘でしょ……」


 頭木のスマホの画面は、トイレの壁の角に勢いよくぶつかって大きくヒビ割れていた。

 その様子を見た頭木は、唖然としていた。大粒の雨粒が割れた画面のすき間に入り込んでしまい、ショートした。


「……これで、誰も助けを呼ぶ事が出来ません。脚を挫いて上手く走れません。もう……武岡先輩の飽きるまで好きにしてください」


 頭木は身体を少し起こして俺の目を見る。頭木の表現は全てを諦めて絶望に染まっていて、目は黒く濁り切っていた。なんか、頭木の中で俺はとんでもないクソ野郎になってないか?


「いや、俺の話を聞けよ。マジで誤解だって」


 頭木は雨でずぶ濡れになって透けた胸元を両手で隠しながら目をそらす。


 俺と薫は頭木の近くへ行って必死に説得した。昨日頭木の勧めてくれた胸元の揺れ防止のブラを買って試す為にここへ来た事。

 俺が転んでたまたま薫を巻き込んでしまった事。

 洗いざらい喋る。俺も薫が自分のスマホにあるアスレチカ・レースのアプリの画面と下着の購入履歴を頭木に見せたところ、ようやく誤解が解けた。


「本当に、あそこで買っていたんですね」

「そうだよ、なんなら私の補強ブラを貴方に見せようか?」


 頭木は恥ずかしそうに薫の胸元を見る。


「い、いえ。雨で体操着が透けて確認できますので。武岡先輩、疑ってごめんなさい」

「いや、誤解が解けたなら良いんだ。頭木はそれほど薫の事を気にかけているんだし、仕方ないさ」


 俺は頭木の誤解が解けてホッとした。頭木の表現は穏やかになった。


「ところで、本当に購入したんですね。あそこのブラ」

「そうだよ。本当に胸が揺れずに動きやすくて良かったよ!ありがとう、優奈!」


 薫は、自分の胸を触りながら頭木にお礼を言う。


「いえいえ、少しでも薫先輩の助けになれれば良いかなって」


 頭木は少し嬉しそうな顔をするが、目は何処か遠い目をしている。


「薫先輩と武岡先輩に、きちんと謝らないといけないことがあります」


 頭木は改めて俺たちの目を見る。俺は薫の表現を見るが、頭木の真面目な顔をまっすぐ見ている。


「あの時、薫先輩を見捨ててしまって申し訳ありませんでした」


 止まない雨の中トイレ前の屋根の下で頭木は、膝をついて土下座した。俺は頭木の土下座に目が点になって動揺していたが、薫は眉一つ動かさず頭木を見下ろす。


「私はもう何とも思ってない。事を荒立て欲しくないコーチから口止め料として『陸上部のレギュラー枠』の餌を貰った貴方は、私をみて見ぬふりをした。ただそれだけ」


 彼女の声は普段よりもワントーン低く冷淡だ。これまでの彼女の治療を診てきた俺にとっても、胸の刺さる言葉だ。


「はい、おっしゃる通りです」

「だったらこんな見え透いたパフォーマンスをする必要は無いじゃない。貴方の言う『憧れの陸上部のエース桐生薫』はもう死んだの。ここにいないの」

「……はい。私は」

「龍世、帰ろっか。もう雨がやむ気配無いし、これ以上いたら龍世が風邪引くよ?」

「いや、俺の事はいい。それよりも頭木の話を最後まで聞こう。話はそれからでいい」


 薫は俺に笑顔を振りまいて帰ろうとするが、俺は拒否した。


「俺はふたりの関係がよく分からないから、頭木の話を聞きたい。頭木の話を聞いても、薫が許せないと思ったらそれでいい。その時は俺も頭木とは関わらない。それでいいよな、ふたりとも」


 薫は「り、龍世がそう言うなら」と渋々頭木の話を聞くことにした。


「私は、薫先輩に憧れているだけで、薫先輩の苦しみを理解しようとしませんでした。でも、実際にこの高校の陸上部のレギュラーになってから分かったんです。……先輩の苦しみが」


 俺と薫は、黙って頭木の話を聞く。その間、頭木は土下座したまま顔を一切上げない。


「私も純粋にタイムを競って思いっきり走りたかった。でも、足の引っ張り合いにうんざりしました」


 頭木の話では、レギュラーになれなかった上級生との確執が出来ているらしい。わざと練習のスケジュールの変更を教えてくれないとか、練習中にものを隠すといったこともあったとか。


「今のコーチやかつて武岡先輩が頼っていた人権擁護局の通報で、解決しました。でも、純粋に陸上部を楽しめなくなっています」

「優奈……」

「あの時、レギュラー枠をもらえると言われた時、断れませんでした。でも、後でどれだけ後悔したか……」


 頭木の話を聞いた薫は、かつての嫌な記憶を思い出したのか、目を逸らす。俺はそれに気付いて薫の頭を優しく撫でる。


「私の事を許さなくても良いです。ですが、恥を忍んで薫先輩に頼みがあります。陸上部の所へ行って、武岡先輩の誤解を解いてくれませんか?」


 どうやら、俺が薫をDVして洗脳しているという噂は事情を知らない他校出身の陸上部の部員の間で根強く残っているらしい。


「龍世、私のせいでこんな事になっているなんて……」


 薫はしばらく考え込み、頭木と俺の顔を交互に見る。


「頭木優奈。顔をあげて」


 彼女の一言で頭木は、やっと顔をあげて彼女の顔を見る。


「わかった。次の陸上部の練習の時に私が説明しに行く。これ以上、龍世の迷惑をかけたくない」


 彼女の一言で、頭木の表現は和やかになる。


「昔の陸上部の頃の私は一生貴方達の事を許さないだろうけど、今の私は別に貴方に対して何の恨みは無いわ。むしろ、走る喜びを教えてくれたから感謝しているの。ありがとう、頭木さん」


 頭木の顔から涙が溢れ出し、薫は頭木を抱きしめた。

 すると雨はやんでいき、俺たちの姿を太陽が照らし始める。


後日、薫は頭木とともに陸上部の部室へ向かい、俺たち誤解を解きにいった。

 疑っている部員もいたらしいが、精神科の通院歴やブラの購入履歴を証拠に説得したところ信用してくれたそうだ。


 薫が「ブラを買って試しただけ」と説明した時、ある部員が冗談混じりに冷やかしたけど、「じゃあ、このブラの良さを説明してみてよ!」と返して、皆が笑いながら納得してくれたらしい。


 俺はいざって時の為に部室近くで待機していたが、部室から出てきた彼女の顔を見ると杞憂に終わったと確信した。


 これをきっかけに、毎週日曜日の午前中は俺と薫、頭木の三人でトレーニングするのが日課となり次第に仲良くなった。


 俺にとっては、今回の件は薫の笑顔が増えて良かったと思っている。

 ただ、俺にとっては一つ問題が発生してしまった。


「あ、武岡ヘンタイじゃないですか! 薫先輩にエッグい下着プレゼントしたって本当ですか?」

「どんな下着なんですか? スケスケ?それとも大事な所に穴が空いてる奴なんですか?」

「調教師! 薫先輩とどんな調教プレイしてるんですか?」


 この高校の女子の中で俺は「元陸上部のエースを調教している変態調教師」として噂されるようになってしまった。



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