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第20話 走れない彼女に補正ブラを

「もう……だめ。走りたくても走れない」


「俺もだ。薫って昔このメニューこなしていたのかよ」


「……現役の陸上部の頃はね」




 日曜日のお昼から俺たちは体操着を着て校庭を走っていたが、三十周あたりでバテていた。




「やっぱり、サラシを巻いても走りづらいし、視界が半分しか見えないから怖かった」




 俺の方は単純に体力が無いのが原因だが、彼女の方は自分の今の身体が原因だ。




「男子には理解してくれないけど、胸が大きいと揺れて周りの筋肉や皮膚が引っ張って痛いの」




 薫は両胸を手で押さえて俯く。




「それに他の男子の視線も気になるし、女子もからかってくるし……。やっぱり、走って運動するのってもう私には難しいよね」




 薫は誰もいない隅の木陰で体育座りになって、自分の胸の中に顔を埋める。俺と頭木は前に、陸上部として復帰すればメンタルが良くなると甘く考えていた。


 しかし、実際に走ってみると難しいと分かって俺はもどかしくなっていた。




「それに関してはしょうがないよ。ほら、ジョギングが難しいなら他の運動にしないか?」




 俺は校庭近くの自販機で買ったスポーツドリンクを、彼女に渡す。




「ありがとう……りゅうせー。その方が良いかな」




 薫は、受け取ったスポーツドリンクを一気に半分ほど飲む。俺も自分の分を飲んでから、彼女の隣に座る。




「龍世。ちょっと頼みがあるんだけど、良いかな?」


「な、何だよ」


「肩を揉んでくれる?」


「ふぁあ?!」




 炎天下で暑いのか、照れているのか分からないが、薫の顔は真っ赤になっていた。




「ちょっと走っただけで肩が凝ってきたの」


「お、おう」




 俺は、躊躇しながらも薫の後ろに座って肩を持ち始める。女子の肩を揉むのには慣れていなくて緊張とドキドキが交互にやってくる。




「うーん、もうちょっと強くやって?」


「こうか?」


「はぁ、そそ、そこだよ。良い気持ちだぁ」




 こうして、まじまじと彼女のうなじを見ていると何かいけないことをしている感覚に襲われる。制汗剤のニオイに混じって彼女の汗のニオイが鼻を刺激する。


 親を相手に、肩を揉むのとは違う。俺は薫の事が好きなのも関係しているのかもしれない。




「……後ろから襲いたいって思ったでしょ?」




 俺の心臓に針が刺さったかのような衝撃がきた。




「そ、そんなわけないだろ」


「今なら誰もいないし、私の口を塞げば誰にも聞かれないよ?」




 薫は俺の方へ顔を傾けてイタズラっぽく笑う。




「おいおい、日曜日とはいえ人もいるんだぞ。その冗談続けるなら肩を揉むの止めるぞ」


「はは、冗談だよ。龍世。……でも」


「せ、先輩!」




 突然、俺達の横から声が聞こえた。俺達が振り返ってみると、そこにいたのは陸上部のユニフォームを着た頭木だった。


どうやら、頭木はほぼ毎週日曜日の午前中までここまで自主練で走っているみたいだ。




「ま、まさかおふたりにお会いするとは思ってませんでしたが、もしかして運動していたんですか?」


「えっと……。ちょっとリハビリとダイエットの為かなー」




 頭木が恐る恐る尋ねると、薫は気まずそうに答える。この前のいざこざの時の事を後日謝っていたが、どうもお互いに気まずそうにしている。どこか、他人行儀に感じるのは気のせいか。




「俺は薫の付き添いと、ダイエットだな。この前はケーキのチケットありがとう」


「い、いえ。おふたりにお詫びしたくてお渡ししたものなので」




 俺がお礼を言うと、頭木の方はオドオドし始める。前に、怒鳴ってしまったのがいけなかったのだろうな。まぁ、時間が経てば解決するかもしれない。




「いやいや、気を使わせてごめんよ。でも、俺、あのケーキ美味しかったぞ! なぁ、薫」


「そうだよね! また、行きたいと思うんだけど頭木さんもどうかな?」


「は、はい! おふたりが良かったら是非。ところで、武岡先輩はさっき何か神妙な顔で悩んでますが、何かお悩みでも?」


「あぁ、俺じゃなくて薫の事なんだが」




 俺は、薫の許可を取って彼女の悩みを頭木に話してみた。


 頭木は薫が「胸が揺れる痛み」と「視線の辛さ」を語っているのを聞き、少し考え込む。




「私、陸上部の先輩から教えてもらったんですが、胸の揺れを抑える専用のブラがあるんです。それを使ってから記録を更新したって喜んでました。走るのが楽になったって」




「へぇ……そんなのあるんだ」




 薫が驚きで目を丸くし、興味を示す。頭木は続ける。




「確かAthletica Lace(アスレチカ・レース)て名前のランジェリーショップで買ったって言ってました。値段は少し高いですが、効果的だそうです」


「ありがとう! じゃあ龍世と一緒に行くよ!」


「は! え? 俺がついていくのは変じゃないか?」




 薫の突拍子の無い提案に俺はかなりテンパった。あんな女の子の下着を販売している店なんて、男子からすれば目のやり場がなくて困るんだよ。




「通るだけでも目線外すくらいに恥ずかしいし、薫と頭木のふたりで行けばいいだろ?」




 俺は恥ずかしさと焦りでいつもの倍の早口で薫に話しかける。




「ふぅん。りゅうせー、私と一緒に行かないんだ」




 薫は、何か企んだ顔で俺と頭木の顔を交互に見る。なんか、嫌な予感がして妙な汗が額から流れる。




「頭木さん。確か、陸上部の間で『桐生先輩は武岡先輩に弱みを握られて陸上部を辞めさせられた上に洗脳されている』て噂が流れてたっけ?」


「は、はい。胸元や下腹部などの痣は……武岡先輩から日頃から乱暴されたときのものだとも噂されています」




 頭木は、言葉を選んで言いづらそうに薫の質問に答える。




「じゃあ証拠として、私の痣を見せに行こうかな? 龍世、止めてくれる?」




 薫は体操着をたくし上げて治りかけの脇腹の痣を見せびらかす。




「おい、やめろよ! そんなことしたら俺の人生、本気で終わるぞ!」




 俺が焦るのを見て、薫がケラケラと笑う。




「冗談だよ、龍世。でも、一緒にランジェリーショップに行ってくれるのは本当だよね?」




 俺はため息をつきつつ頷く。




「……わかったよ。でも、あんまり俺をからかうなよ」


「やったー! ありがとう!優奈。おかげで走ること出来るかも」




 彼女は、後輩にとびっきりの笑顔でお礼を言う。




「い、いえ。おふたりのお役に立てれば嬉しいです」




 頭木は笑みを浮かべながらも、視線は地面を彷徨っていた。その目は、どこか哀しげで遠くを見つめているようだった。


 気のせいか? それとも、まだ俺の事疑っているのか。


 ともかく、彼女の悩みが解決してくれるなら俺は嬉しいかな。

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