次の土曜日、俺と薫は敷居の高いケーキカフェにやってきた。
「うわぁ!こんなに沢山ケーキやデザートが並んでるぅ。良いの? 食べても」
「当たり前だろ。ケーキビュッフェだから」
頭木からもらったイベントチケットでの入場だが、正直、店の外観がピンクやリボンで装飾されていて、男一人では到底入れない雰囲気だった。
「……あの子には、酷い事言ったのに」
「お前もちゃんと謝ったんだから気にするなって。少しずつ関係を戻していけばいいさ」
俺は落ち込む薫を軽く叩いて中に入る。
「うわぁ、マジかよ……」
目が痛い。キラキラした壁、リボンとレース、男の居場所じゃない空間。だけど……隣の薫は嬉しそうで、片目を輝かせていた。
場違い感満載で居心地が悪いが、そこはまあ我慢しておこう。でもケーキ自体が相当バリエーションに満ちていて、すぐに居心地が気にならなくなった。
「ふへぇ、幸せだぁ」
「そうだな、薫。このミルフィーユ美味いぞ」
「ねえ、龍世……こういう場所って、女の子らしい子が似合うよね」
「なんだよ、急に」
「私さ、前はもっとボーイッシュだったでしょ? 昔の私と今の私、どっちが好みなの?」
薫の突拍子もない質問に思わず、ミルフィーユが喉に詰まって吹き出してしまった。
「い、いきなり何だよ」
「いえ、その。前に病院へ運ばれた時に私が出てきたよね」
「あぁ、あれか」
彼女の言う『昔の私』は、現役の陸上部のエース時代の頃の薫の事だろう。頭木の話によれば、薫はいわゆる女子にモテる女子だった。少女漫画に出てくる美少年みたくクールで整った顔に陸上部で県内トップだった彼女は、他校でファンクラブが出来るほどだった。
しかし、彼女の胸が大きくなり、引き締まった身体が女性らしくなると走るのが苦手になり、次第に人気がなくなったのだ。いつしか、「解釈違い」で彼女のアンチが増えて、あの片目を失う事件以降性格が変わった。
「自分でもよく分からないけど、何で今更になって出てきたんだろ。あの子」
「まあ、確かに前の薫とは雰囲気が全然違ったな。でもさ、あれもお前だろ?」
「違うよ……あれは、昔の『桐生薫』。きっと、何かの拍子に顔を出しただけ」
「でもそれなら、今のお前が昔のお前を乗り越えるタイミングなのかもな」
俺はミルフィーユを頬張りながら考えを巡らす。確かに、陸上部のエースの薫と今の薫の性格は真逆と言っても良いくらいに変わっている。
だから豹変した彼女を見た人達からは「桐生薫はDV彼氏の命令で陸上部を辞めさせられた上に洗脳されている」という噂が流れているらしいな。
だから、あの時頭木はDV彼氏と思わしき俺に対して挑発的なんだと納得した。……別に俺は薫の彼氏なんかじゃないし、DVなんてしてない。
「俺からすりゃあ、女らしくなったからってアンチになるファンの方が勝手としか思えないね」
「そうだよね。……でも、あの陸上部のエースの桐生薫が今の私をみたらぶん殴ると思う」
「んな訳ねぇだろ。あの頃のお前はいじめとか曲がったことを許さない男らしい女の子だろ。きっと、お前の事を励ますよ、きっと」
少なくとも、俺が好きになった薫はそんな事をする事はない。俺はそう思い、彼女の頭を優しく撫でる。
「それに、その話はケーキでも食べながらゆっくり考えようぜ? せっかくの機会だしさ!」
「うん、それもそうだね! 本当にどのケーキも美味しいよね」
「そうだな」
俺は彼女の精神が安定したのを確認して、ホッとした。さて、あと少しでお腹が膨れそうだが、まだまだ食べたい気持ちになっていた。
「ねぇ、そこのボーイッシュな女の子見てたでしょ?」
「え?」
俺は新作のチーズケーキが気になって眺めていると、横にいる薫はジト目で俺を見ていた。よく見ると、チーズケーキのお皿の横に、ホットパンツが印象的な女子がお尻をふりふりしながら楽しそうにケーキを選んでいた。
「あの子、中学時代の私と今の頭木さんを足した感じだよね……。もしかして、あの頃の私や頭木さんみたいな娘が好み?」
「ち、違う! 断じて違うぞ! お、俺はアイリッシュクリームチーズケーキが気になってんだ。本当だ!」
俺は一生懸命否定するが、まだ納得がいかない様子だ。
「ふぅん、ケーキと一緒に女子も物色してるわけじゃないのね」
彼女はしばらく考え込んだ後で、笑みを俺に向けた。ただ、何かを決意した様なまっすぐな目をしていたのが気になる。
「決めた! しばらく運動してなかったけど、運動してダイエットする!」
薫はフォークを掲げて力強く宣言した後、少し恥ずかしそうに続ける。
「ねえ、昔の私に、ちょっとだけでも追いつけるかな……」
「お前なら絶対できるさ。俺も応援するよ」
「ほんと? じゃあ、龍世も一緒にダイエットしてね」
「あぁ、良いよ。俺も運動しないとなぁ」
「その前にミルフィーユ、一口ちょうだい?」
「お、おう。良いけど、そこに新しいのがあるだろ?」
「龍世が食べてるのがいい。なんなら、私のメロンケーキと食べ合いっこしても良いよ?」
突然の彼女の提案に、ドキドキしていた。なんだろう、中学時代の薫と今の薫の人格が混じった別の薫を目の前にしているみたいだ。
薫と付き合っている訳でもないのに、同一人物なのに、違う女の子と付き合って浮気しているような背徳感に襲われてドギマギしている。
「はい、あーん」
俺は戸惑いながらも彼女が使っていたフォークに刺さっているメロンケーキを口にした。
「め、メロンと生クリームがまろやかで美味いな」
今度は俺がミルフィーユを一口に切って薫の口に入れて食べさせる。
そんなこんなでお腹いっぱいになった俺たちは、澄んだ夏の綺麗な日差しを浴びていた。
「運動するならまずは軽いジョギングから始めようかな」
「じゃあ、龍世でも楽しく走れるコースを一緒に考えておこうか」