頭木の唐突な話に俺は思わず聞き返す。
「よく分からんが、俺に許可を求めるよりも本人に直接言えば良いんじゃないか?」
「あなたにお願いしたほうが、薫先輩を説得しやすいかと思って……」
そう言う頭木の表情には、どこか苛立ちが混じっていた。
「話は見えてこないね」
「そうですか。中学の頃の陸上部の話は本人からお聞きしましたか?」
「まぁ、『上辺だけの薄情な人達』としかきいてないな。薫からは」
「そう……ですか」
俺の発言を聞いた頭木は唇を噛んで眉をひそめる。そういえば、あの事件直後の事を想いだす。薫が階段から突き飛ばされ、運悪く俺の彫刻刀が片目に刺さった時に陸上部の連中がいたな。血まみれの薫を見て逃げたいじめっ子グループはともかく、他の陸上部の部員らしき人達は俺たちを冷ややかな目で見ているだけで何もしていなかった。
なるほど、この頭木も上辺だけの薄情な子の一人だったんだろう。
「確かに、私たちは憧れの先輩を守る事が出来なかった。……そう思われても仕方ないです」
頭木は俯いて握り拳を作る。
「陸上部のエース。いえ、薫先輩はファンクラブが出来るほど人気でしたが、アンチが多かったのは事実です」
「そうだったな。いじめっ子グループの主犯は陸上部のライバルだった」
「私たち後輩は、例の先輩たちが怖くてただ見ているだけしか出来なかった。武岡先輩のおかげで、彼らが居なくなり憧れのエースが救われました。あの時は本当にありがとうございました」
頭木は深々と頭を下げてはいるが、唇が震えていてどこか何処か納得いかない様子だ。
「ですが、憧れの桐生薫先輩のいるこの学校へ入学した時には……もう」
俺はこの子の言いたいことが分かった。憧れだった先輩があんなに豹変してショックを受けたのだろう。だったら、なんであの時助けてくれなかったんだ? 何故、今更なんだ。
「武岡先輩の事は薫先輩を救ってくれた英雄で憧れていた。……ですが、何なんですか! あの薫先輩の変わりようは! ……どういうつもりですか?」
頭木の目には涙が溢れているが、目は鋭く親の仇を見るような目だ。
「なんの話だ?」
「ずっと聞いてましたけど、薫先輩、完全にあなたに依存してますよね?」
「は?」
「それに、クラスの人たちから聞きましたよ。"桐生薫は武岡に逆らえない" って……!」
「んなわけないだろ!」
「嘘だ! 私が知ってる薫先輩は、そんな方じゃなかった!」
俺は口を歪ませて反論しようとするが、それを無視して話を進める。
「辛くて見たくなかったんです。毎日、痣だらけになっていく薫先輩を……。でも、それが本当に『あなたのせいじゃない』って言い切れるんですか?」
俺は黙るしか無かった。端からみたらそう思われても仕方ない。この胸の苦しみは俺も分かる。あの時の俺は何もできなかった。ただの第三者のくせに、薫を救えたみたいなツラをして……。今も彼女に支えられてるのは、俺の方かもしれない。
むしろこの子の指摘する通り、俺は彼女を支配にしているかもしれない。
「武岡先輩、私は先輩が薫先輩を支えてくれたことには感謝しています。でも、彼女が陸上から遠ざかって、今みたいに先輩に依存する形になったことが、本当に良かったのか……ずっと疑問に思ってるんです。だから助けたいんです」
「だとしても、虫が良すぎるんじゃないか?」
俺は思わず、頭木の説得に対して口を滑らせた。
俺の口から出た言葉に、頭木の唇を歪ませる。
「俺だって、薫を無理に縛りつけたいわけじゃない。でも、あいつは少しずつ前を向いている。例えば、最近は七川と一緒にコスプレグッズを作ったり、学校の外でも活動できるようになってきた。それだって、あいつなりに新しい一歩を踏み出そうとしてる証拠だろ? それを無理やり陸上に戻そうとするのが、本当に『助けること』なのか?」
「ぐ……」
「それに、『上辺だけの薄情な人達』と言ったのは俺じゃない。そんなあんたが、ようやく薫のメンタルを安定してきたタイミングで『憧れの先輩を助けたい』は都合が良すぎるだろ?」
目の前の薫の後輩は、俺の屁理屈を聞いて目の焦点がブレブレになる。
「あいつが何の薬を医者から処方され、処方された薬の副反応とトラウマで苦しんだのか分からないよな? 憧れの先輩とやらの目線で考えた事はあるのか?」
辞めろ、俺。もしかしたら、この子の提案でもしかしたら彼女が元通りになるかもしれないのに、チャンスを潰すのか?
「それは……」
「無いだろ? 所詮『先輩を助けたい』ってのも綺麗ごとを言いたいだけだろ」
「でもそれで薫先輩は良くなったんですか? むしろ薫先輩の弱みに漬け込んで力で強引に従わせて楽しんでいるじゃないですか? 違うなら、あの痣と包帯の説明をしてください」
「……彼女が階段やどっかで転んだ跡だ」
「ふーん、『どっかで転んだ』ねぇ。それで薫先輩は幸せになったんですか?」
何で俺がこの子の意見に反発するのかを考え込んだ。
俺は彼女を守りたい。それが間違いない本音だ。でも、それが彼女を縛りつけているだけだったら……。
いや、もしかしたら俺は「壊れた桐生薫」を手放したくないからなのかもしれない。
確かに、頭木の言葉は正論だ。でも、薫が陸上部に戻ることで、今みたいに俺と過ごす時間が減るのが怖い 。そんなことを考える俺は、きっと最低なんだろう。
「本人に直接聞かないと分からないな。俺は出来ることをやってきたつもりだ」
「冷たいですね。自分がそばにいることで、彼女が新しい一歩を踏み出せなくなるとは思わないんですか?」
「俺だって、薫が前に進むために何が最善か、ずっと考えてる。でもな、頭木、お前は薫の気持ちを聞いたのか? 陸上部に戻りたいって、あいつ自身の口から聞いたことあるのか?」
俺は、頭木の目を見据える。
「あいつが本当に戻りたいなら、俺だって止めるつもりはない。でも、それができない理由があるなら、無理に引き戻すのは違うんじゃないのか?」
長い沈黙を経て捻り出した俺の回答に対して、頭木は言い返す。
「だったら、あの痣は何ですか? 他の先輩から聞きましたが、顔と胸、脚を中心に痣があるんですよね? それも『どっかで転んだ』で済ませるんですか?」
頭木は、悔しそうに俺を見ていた。まるで、自分が何もできないことを責めるように。
「だからそうだと言っているが。それに、彼女は片目を失ってて俺たちよりも視界が見えづらいだろ」
「……正直に言います。私には、薫先輩が武岡先輩の力の支配下でしか生き方を見つけられないように見えるんです。それって、本当に幸せなんですか?」
頭木後輩の表現は、耐えきれない悲しみと突き上げてくる怒りに満ちていた。
「……お前が、薫のことを心配してるのはわかるよ。でも、薫が今どう思ってるか、直接聞いたことあるのか?」
「それができればあなたとこうして話すなんてしませんよ! あなたからずっと離れないし」
「だったら」
「それに、あなたと薫先輩が付き合ってることくらい、みんな知ってますよ。でも、それだけじゃない。"武岡が桐生をいいように扱っている"って噂があるんです!」
「そんなわけないだろ! 俺たちの関係を知らずに勝手なことを」
すると、俺のスマホに着信が鳴った。
「早く電話に出たらどうです?」
「お前に言われなくとも分かってる」
俺は頭木の挑発の言葉に返答して電話に出る。
『ねぇ! 龍世! 五分過ぎてるけど、今何処にいるの? さみしいよぉ』
スマホ越しで聞こえる涙声を聞いた俺は、胸が苦しくなっていた。
「本当にごめん! 今売店近くの物置部屋にいるから、今からそっちに……」
『待てない! もうすぐそっちに着くから、優奈と待って!いるんでしょ!』
薫が一方的に電話を切った。俺は深呼吸してからスマホを制服の胸ポケットにしまう。
「違うって言うなら、なぜ薫先輩は、あんなに怯えた声であなたを探してるんですか?」
頭木後輩は悲しげな表情を浮かべて呟く。
「なんで、あの人はクラスで誰とも話さず、あなただけに付き従ってるんですか?」
「あんないじめっ子グループに付き従って見て見ぬふりをするお前たちよりはマシだからだろ」
頭木は、拳を握りしめたまま俯いた。
「……あの時は、怖かった。……私だって、信じたくない。だけど、そう思われるような状況を作っているのは、あなたじゃないんですか?」
突然、物置部屋の引き戸を思いっきり開く音が聞こえたので振り返ってみると、薫だった。