杉本翔輝は、ただの普通の少年だと思っていた。幼い頃から活発で、運動が得意で、学校でも友達と過ごす時間を何よりも大切にしてきた。しかし、ある日の診断が、彼の世界を一変させた。
春の陽気が心地よい午後、翔輝は突然、母に呼ばれて病院へと連れて行かれた。風が柔らかく吹く中、いつものようにおしゃべりしながら歩いていたが、その日は母の表情がいつもと違っていた。何も言わずに、ただ静かに歩く母の後ろに、翔輝はどこか不安を覚え始めた。
病院に着くと、医師から告げられた言葉は、彼にとって信じられないものだった。
「杉本君、君の心臓に疾患があります。今すぐに治療をしないと、命に関わる可能性があります。」
翔輝はその言葉が頭の中で何度もリフレインした。心臓?疾患?それが何を意味するのか、正直に言って翔輝にはピンと来なかった。だが、周りの大人たちの顔が急に険しくなり、その不安げな表情から彼は何かを察した。
「本当に、俺の心臓が…?」翔輝は、うわべだけの問いかけに過ぎなかった。その時、彼の心は完全に動揺していた。
医師は落ち着いた声で続けた。「杉本君の心臓は、生まれつきある異常を抱えている。日常生活で特に問題はないかもしれないが、過度な運動やストレスがかかると、突然命に関わる事態になるかもしれません。」
言葉は痛いほど胸に響いた。翔輝の目の前が一瞬で暗くなり、何もかもが現実のものとして受け入れられなくなった。
「治療は?」母が震える声で尋ねた。医師は少し黙った後、重い口を開いた。
「治療はできます。しかし、その治療によってお子さんの命が延びることは保証できません。薬の服用や手術で心臓を安定させることは可能ですが、完全に治るわけではありません。君は、今後何度もこの病気に向き合わなければならないでしょう。」
その言葉は、翔輝の体を冷や汗で包み込んだ。まるで自分がどこか遠くの世界に置き去りにされてしまったかのようだった。未来が見えなくなり、胸の中に不安と恐怖が渦巻いていった。
「僕は、どうすればいいんですか?」翔輝は震える声で、ただそれだけを尋ねた。
医師は一度深いため息をつき、答えた。「君には、選択肢がある。治療を受けて命を延ばすこともできるが、それは長期的に見れば大きな負担となることもある。しかし、君が望むなら、治療を拒否して、残された時間を好きなように生きることもできる。」
その瞬間、翔輝は自分の心臓の鼓動を強く感じた。自分の中で何かが変わったのが分かった。それが運命だとしても、どうしようもないのかもしれない。しかし、翔輝には一つ、心に決めたことがあった。
「じゃあ、治療はしません。」翔輝は、ほとんど自分の意志とは無関係にその言葉を口にしていた。
母は驚き、すぐに反論した。「翔輝、そんな…!」
「でも、お母さん。俺、もう決めたんだ。治療して、苦しみながら生きるより、好きなことをして死んだほうがいいと思う。」翔輝は、自分でも驚くほど冷静にその言葉を続けた。「僕の時間は、もう長くないって分かってる。だから、やりたいことをして、笑って生きるよ。」
母は涙をこらえながらも、翔輝の顔を見つめていた。そして、言った。「分かったわ、翔輝。」
その後、家に帰った翔輝は、湊や千夏を家に招きその話をすることになる。彼の幼馴染であり、親友の二人はその話を聞いて驚き、言葉を失った。しかし、翔輝がそう決めた理由を理解しているからこそ、何も言えなかった。ただ、翔輝の手を握りしめ、「一緒にいよう」と約束した。
この日から、翔輝の人生は、誰もが予想しないほど濃密で、時に過酷なものになった。彼の心は決して揺らぐことなく、限られた時間を全力で生きることを誓ったのだ。
それが、彼が選んだ人生の道だった。