マスタードならミンファも知っている。その辺で採れる
「けどよ、俺の知ってるマスタードはこんなに辛くなかったぞ!?」
「そらそうだ。マスタードとカラシは作り方が違うからな」
「え、そうなのか?」
「ああ。マスタードってのは種を酢や砂糖と練るだろ?カラシは種だけを擂り潰して粉にしてから、水で練るんだ。こうすると酸味はなくて辛味が強くなる」
「へぇ~……」
感心しながら、再び角煮にカラシを載せるミンファ。今度は山盛りではなく加減して少しだけだ。恐る恐る口に運ぶと、先程とは違い甘味と脂っこさの強かった角煮にカラシの辛味のアクセントが加わって若干しつこく感じていた後味がスッキリした物に変わる。その後味もビールを流し込めば綺麗に口内から居なくなる。いやむしろ、カラシの加わった事で爽快感が増した気さえするから不思議だ。
『良い男だなぁ、店主……』
酔ったお陰もあってか、余計に店主が魅力的に思えてきたミンファ。食欲が満たされて今度は溜まっていた別の欲がムラムラと鎌首をもたげて来たのもあったのだろう。空いた皿を下げに来た店主に、思わず声を掛けていた。
「なぁアンタ、決まった相手は居るのかい?」
「いやぁ、生憎とそういう関係には恵まれてませんねぇ。俺はほら、こっちの一般的な男とは見た目が違いすぎますし、あんまりモテないようでして」
遠慮がちに笑う店主を見て、ゴクリと生唾を飲み込む。確かに一般的な男というのは色白で、なよなよしていて、儚い生き物だ。だが目の前の男は逞しく、力強く、全て身を任せてしまいたいと思えてくる包容力がある。もしもこんな男に、閨で抱き締められてしまったら--?ミンファはそんな妄想をしただけで、下腹部の奥の方がきゅうっと切ない気持ちになった。
「そんな事はねぇさ。俺は好きだぜ?ほら、この力強い太い腕とかさぁ」
と言いながらグイッと腕を自分の胸元に引き寄せ、2つの膨らみに押し当てる。胸筋を鍛えた上に脂肪が乗っている為、同年代の探索者に比べてもデカいミンファ。こんな駄肉は邪魔だと思っていたが、目の前のご馳走が興味をそそられてくれるならばこれからは大事なお宝として大切に扱おうと心に誓う。テーブルの向かいからは『おいバカミンファ、止めとけって!』なんてローラの必死な声が聞こえる気がするが気のせいだろう。何なら今夜一晩の権利を手に入れたら、ローラにも分け与えるのも吝かではない。ぎゅうぎゅうとその柔らかな感触を更に加える。店主の視線が突き刺さるのも感じる。それだけで股座の辺りがムズムズする妙な感覚に襲われる。これはイケる、後はベッドの上で美味しくいただくか、美味しくいただいて貰うだけだと顔が勝利を確信してニヤけそうになるのを必死に堪えていたミンファの耳に飛び込んできたのは、
「お誘いはありがたいですけど……すんません」
という、店主の予想外の返答だった。
「なっ、何でだよ!?アンタだってコイツを触ってムラムラしてただろ!ホラホラ!!」
三度胸を腕に押し付けるが、店主の反応は先程とは打って変わって冷静な反応だった。いや、意識はしているようで押し付けられて変形した胸をチラチラとは見ている。だが、その『先』へ進もうという意思が感じられない。
「お客さん……ウチはね、『食堂』なんですよ。『娼館』じゃないんだ。飯は売っても男は売ってないよ」
「ア、アタシは別にアンタを買おうとかそういう話をしてるんじゃないんだ!せめて一晩のお情けを……!」
「止めとけ、ミンファ」
ローラがミンファの腕を掴み、店主から引き剥がす。邪魔をするな、と文句を言おうとローラの顔を睨む……否、睨もうとした。だが、ローラの真剣な眼にたじろぐミンファ。大人しくミンファは店主の腕を離し、店主は空いた皿とグラスを片付け始めた。
「悪かったな大将、迷惑かけちまった。コイツ男に馴れてなくてよ……アンタの色気に宛てられて
「いやいや、あんな誘いはしょっちゅうさ。まぁあそこまで露骨で情熱的なのはねぇけどな」
申し訳なさそうに頭を下げるローラに、苦笑いを返す店主。それじゃあごゆっくり、そう言って店主が離れた所でローラが口を開く。
「なぁ、何でこの店がこんなに平和だと思う?」
言われてみれば確かにそうだ。こんなに美味い料理と酒を出す飯屋、それも店主は男。そんな店がこんなに平和なのは可笑しい……寧ろ異常事態だ。もっと大量の女が押し掛けて、商売なんぞ出来るハズがない。何なら、良くない輩に目を付けられて拐われて変態貴族に売られるなんて事も有り得るだろう。
「周りを良く見てみな」
ローラにそう促され、周囲を窺う。先程まで気付かなかったが座って食事を楽しんでいる中にちらほらととんでもない実力者が紛れている。ミンファも一端の探索者として、それなりの力を有している自覚はある。だが、それでも遠く及ばない力の持ち主が平然と飯を食い、店主と会話を楽しんでいる。
「あんな良い男だ、良い女も自然と寄ってくるのさ。自然と自警団っつうのかな、店主を陰ながら守ってんのさ……勿論、自発的にだぞ?」
成る程、これだけの防壁があれば例え大規模な人拐いが襲ってきても撃退出来るかもしれない。
「だからお前さっきはちょいと危なかったんだぞ?何人かお前を睨んで殺気を放ってたからな」
「おいおい、怖いこと言うなよ……」
「それにすら気付かない位に逆上せてたお前が悪いんだろ、バカ」
ローラに小突かれるが、今回の事は完全にミンファが悪いのでぐうの音も出ない。
程好く酔って、腹も満たされた2人は、会計を済ませようと席を立つ。
「大将、お勘定」
「あいよ。えぇと、ビールが8杯に角煮で……銀貨5枚だな」
「あ、後これ。食材獲ってきた」
「おぉ、悪いね。んじゃあ1枚おまけして銀貨4枚で」
「う、嘘だろ……」
「どうした?高過ぎたか」
ワナワナと震えるミンファは目を見開き、
「逆だよ逆!安過ぎねぇか!?」
「そうか?ウチだとこれでも儲けが出てるんでな。」
「ウッソだろおい……」
銀貨5枚など、この辺りの飲み屋で酒を2~3杯飲めば吹き飛ぶ様な値段だ。それがあんなに美味い酒と飯をたらふく味わって、同じ値段とはとても信じられなかった。男がやっているかどうかを抜きにしても、断然お得な店だと言えた。
「まぁ、そう思うなら足繁く通ってせいぜい儲けさせてくれよ?お嬢さん」
そう言って悪戯っぽい笑みを向けてくる店主にドキリとしながら、
「お嬢さんじゃねぇ!ミンファだ……です」
そう言えば名乗っていなかったと思い出して名乗りを上げるミンファ。まぁ、最後の方は尻すぼみに声が小さくなってしまったが。
「そうか、これからよろしくな。ミンファさん」
「あぁ、また来るよ」
そう言ってローラと2人連れ立って、宿へと戻る道を歩く。
「なぁローラ」
「ん?」
「……神様ってのはいるんだな」
「どうしたいきなり?坊主にでもなるのか?」
「ちげぇよバカ!アタシ等みたいなモンでも真面目に頑張ってりゃあ、あぁいうご褒美を神様がくれるんだなって事だよ!」
「成る程な、それなら明日からもまた頑張ろうぜ?」
「おう」
そう言って2人は拳を打ち付けあった。また稼いであの店に通える様に、明日からも頑張ろうと想いを新たにしながら。