口の中に入って来てまず感じたのは苦味。いつもの麦酒ではほぼ感じないそれは確かな主張で口の中に満ちていく。次いで麦独特の香ばしい甘味が、苦味を覆い隠すかのようにやって来る。ハッキリと苦味を感じた後だからか、余計に甘味が強調されている様な気がする。そして何より驚いたのはこの独特の刺激だ。パチパチというのか、シュワシュワというのか。兎に角これまで味わった事の無い刺激が、口の中を蹂躙していく。ゴクリ、と喉を鳴らして飲み込めばそのシュワシュワの刺激が喉を伝って行くのが解る。しかも冷たいのがまたいい。疲労と入浴で体内に溜まっていた火照りを、一気に洗い流す様に冷ましていく。一口味見をしたら口を離すつもりが、そのままゴクゴクと飲み進めて一気に杯を干してしまい、ゴンとガラスの器だというのを忘れてテーブルに荒々しく置いていた。
「……小便だ」
「は?」
「今まで飲んでた麦酒は、コイツと比べたら牛の小便みたいなモンだ!何だよこれ、美味すぎるだろ!?」
「表現が汚ねぇな!?もう少しお上品にしろよお前は!」
そう言いながらローラはテーブルの上の『フライドポテト』を1つ摘まむと口に放り込み二、三度咀嚼してからビールをグイッと飲む。
「ッかぁ~!相変わらずここのビールと料理は最高だぜ大将!」
「はは、ありがとうございます」
「ずりぃぞお前!一人だけツマミ喰いやがって」
「いや、お前も食えばいいだろ」
ビールのあまりの美味さに度肝を抜かれて混乱していたのか、ローラの冷静な指摘にそれもそうだと思い直すミンファ。
『ポテト、って事は跳ね回り
跳ね回り芋はミンファも知っている。駆け出し探索者の頃に何度も狩ってその素材を売り払って小遣い稼ぎをしたし、野営中に何度も料理した。煮てもグズグズに溶けて大して美味くも無かったし、丸焼きにすると黒焦げになるまで焼かないと中まで火が通らない。かといって美味そうな焼き色だと思ってかぶりつくと生焼けで、堅かったり最悪の場合は腹を壊す。それでも簡単に獲れる上に安いから、稼げなかった駆け出しの頃には散々お世話になった食い物だ。だが同時に、あまり良い思い出のある食い物でもない。しかし目の前の芋は美味そうな焼き色(?)で何だか良い匂いもする。
「どれ……」
1つ口に放り込んでカリッ、という良い音を立てて噛んだ瞬間。ミンファは慌てて口を抑えた。思わず大声で「美味い!!」と叫びそうになったからだ。
『え?何これうっっっま……!!本当にコレがあの芋かよ!?』
カリカリサクサクという歯応えの良い表面の中には、ホクホクとした芋。煮込んでグズグズになったあの水っぽい芋から微かに感じていた芋の味を、今は確かに感じる。塩もかけられていたらしく、噛む程にカリカリサクサクとホクホクの芋に塩が混ざってどんどん美味くなる。しかも塩加減が絶妙で、酒が欲しくなる味付けだ。思わず酒杯に手が伸びるが何たる事か、その杯は空っぽであった。自分が飲み干したのだから当然なのだが、それを記憶の彼方にすっ飛ばしていたミンファは愕然とした。この酒に合いそうなツマミを前にして、酒がない。これは許されざる事だ。思わずミンファは叫んでいた。
「店主、ビールお代わり!大至急!」
「あいよー!」
威勢の良い返事と共に、並々とビールが注がれた酒杯がやって来る。
「どうだい、フライドポテト。美味いだろ?」
杯を入れ換えながら、店主がミンファに微笑みかける。ウンウンと大きく頷くミンファ。
「なぁ、これ芋なんだろ?どうやって料理してんだ?」
「あぁ、これは揚げてあるのさ。」
「揚げる?」
「あ~そうか、この辺じゃあ煮るか焼くか位しかしないんだったか……揚げるってのは、俺の故郷でやってる料理の仕方でな。たっぷりの油で煮るように火を通すんだ。こうすると焼くより速く火が通るから表面が焦げ無いのさ」
「ふ~ん、良くわかんねぇけど手間かかってるんだな」
「まぁな。角煮ももうすぐだから待っててくれ」
「お、おぅ」
サービスの無料で出てくる料理でこれだけ美味いのだ。金を払って食べる料理はどれだけ美味いのだろう?ミンファはそんな風に想いを馳せながらポテトをツマミにビールを飲んだ。
ローラもミンファも杯を重ね、ポテトの入った皿が空になった頃、店主が湯気の立つ皿を持ってやって来た。
「はいよぉ、『醜豚鬼の角煮』」
「コレが、カクニ……」
深めの皿に盛られていたのは、ブロック状に切られた肉だった。煮込み料理のようで、茶色く染まった肉と同じ様な色をした汁も一緒に盛り付けられている。
「変わった色だな……」
「あぁ。でも美味そうな匂いだぜ?」
クンクンと匂いを嗅いでいたローラの口の端からは涎が垂れている。
「そいじゃ、ごゆっくり。……あぁ、角煮の味を変えたくなったらこいつを使うと良い。ただし、使い過ぎると後悔するぜ?」
店主がそう言って小瓶を置いて立ち去ると、2人はフォークを手に取り勢い良く肉に突き刺して、ガブリとかぶり付いた。
「なん……!?」
「柔らか……っ!?」
2人が同時に驚いたのはその柔らかさだ。かなり大ぶりな肉の塊だったのに、かぶり付いた瞬間にほホロホロと崩れてしまいそうになる。慌ててフォークに残った肉も口に放り込むと、頬をまるで栗鼠りすみたいに膨らませて噛み締めていく。するとどうだろう、普段はあれだけ硬い筋の部分の旨味と、トロトロにとろけそうな脂身が混じりあって肉の味が洪水のように溢れてくる。それだけではない、あの肉を茶色く染め上げていたのであろう汁の味もする。ただただ塩っ辛いのではなく、脂の物とも違う甘味がする。塩気と甘味。両極端の味のようで、これが上手く組み合わされるとこんなにも深い味わいになるのか。まるで私達2人の連携の様じゃないか、とミンファは嬉しくなる。そしてこの味の濃くて脂っこい角煮の味の残った口を、ビールの苦味と爽快感で洗い流すとまた角煮が食べたくなる。角煮、ビール、角煮、ビール。手が止まらなくなる。
「「うんめえぇ~ッ!!」」
気付けば二人揃って声を上げていた。仕方の無い事だろう。こんなに美味いものを食べれば吼えたくもなる。
「そういやぁコレ、付けて食うと良いとか言ってたな」
「どれ、試してみっか」
ミンファが小瓶の蓋を取ると、そこには小さな匙と黄色いクリームのような何かが入っていた。
「何だこりゃ?」
「わからん。取り敢えず付けて食ってみりゃ解るだろ」
そう言ってミンファは瓶の中に入っていた匙で黄色いクリームを掬うと角煮の上に小さな山が出来る程載せる。そしてその角煮を一口で口内に納めるべく、大口を開けてバクンと頬張った。瞬間、口の中で角煮が爆発したのかと思う程の衝撃がミンファを襲った。
「~~~~ッ!!」
声にならない悲鳴を上げて、のたうち回るミンファ。
「おいミンファ、大丈夫か!?おい大将まさか毒でも……!!」
「あ~あ~、だから言ったのに。付け過ぎ注意って」
そう言って大将が呆れた様な顔をして新たなビールの器を持ってきてミンファに差し出した。ミンファもそれを受け取ると、ゴッゴッゴッと一息に飲み干す。ゲホゲホと噎せ返りながら涙を浮かべ、
「な、何だよこりゃあ!?殺す気か!」
「だから言ったのに、付け過ぎ注意って。大体、こっちだってあんなに辛子山盛りにして食うとは思わねぇよ」
「は、カラシ?」
「そう、辛子。マスタードの親戚さ。まぁ、マスタードよりも酸味が少なくて辛味が強いがね」